つづき
『呼塚(よばつか)』も読めそうで読めない地名
源氏の名馬を埋めた塚らしい
今は交差点の方か有名だが
柏の由来となる河岸場として栄えていたもよう
呼塚橋を渡り再び旧水戸街道へ
ここからまた登坂
我孫子市に入る
再開発の土地で遺跡調査中
歴史的発見があるのか気になる
周辺には『松ヶ崎城』と『根戸城』の跡が見受けられる
根戸の根は干支の『子』の意味があり最初とか1の意味があるという
江戸、松戸、根戸、水戸などの『戸』は『津』の意味がある
船戸は分かりやすく船が付く港
下戸が良く分からずだが戸張も地形的な由来ぽい
またカーブがあるがここは宿場町ではない
街道沿いの集落には意味がありそう
布施弁天の方には手前の十字路を左へ
またまた六号線を渡り線路の方へ
台田(だいた)にはダイタラボッチの伝説がある
国道356号を走る
常磐線を歩道橋で越える
反対側の道にでる
356号は木下の方へ行く道
日が暮れだす
この辺から『我孫子宿』
イメージより綺麗で昔の面影がない
ここでこの日は終わり
続きは次回に
仕切り直す
昔はこんな感じ
家が路面に対しノコギリ型に建っているのが特徴
『武者隠し』ともよばれ隠れて敵を襲う事が出来る
道がクランク状なのも曲がり角で待ち伏せができ
直線だと矢が飛んで来たら逃げられないとされる
防衛作と言われるが
宿場町は襲われやすいのかと気になる
本陣を襲われないようにするためなのか
実は城下町だったのか
なぞ
周辺には根戸城以外の城は見当たらない
明治にはここから手賀沼にかけて文豪の別荘地として栄えた
今だと我孫子宿の次は取手宿なのだが
江戸時代初期は布佐→竜ケ崎→水戸のルートだったようです
利根川がまだ銚子まで工事が完成していない時期と一致する
一里塚なのか、ここで分岐する
取手は左へ
石碑はあるんだか整備されていない
つづく
『呼塚(よばつか)』も読めそうで読めない地名
源氏の名馬を埋めた塚らしい
今は交差点の方か有名だが
柏の由来となる河岸場として栄えていたもよう
呼塚橋を渡り再び旧水戸街道へ
ここからまた登坂
我孫子市に入る
再開発の土地で遺跡調査中
歴史的発見があるのか気になる
周辺には『松ヶ崎城』と『根戸城』の跡が見受けられる
根戸の根は干支の『子』の意味があり最初とか1の意味があるという
江戸、松戸、根戸、水戸などの『戸』は『津』の意味がある
船戸は分かりやすく船が付く港
下戸が良く分からずだが戸張も地形的な由来ぽい
またカーブがあるがここは宿場町ではない
街道沿いの集落には意味がありそう
布施弁天の方には手前の十字路を左へ
またまた六号線を渡り線路の方へ
台田(だいた)にはダイタラボッチの伝説がある
国道356号を走る
常磐線を歩道橋で越える
反対側の道にでる
356号は木下の方へ行く道
日が暮れだす
この辺から『我孫子宿』
イメージより綺麗で昔の面影がない
ここでこの日は終わり
続きは次回に
仕切り直す
昔はこんな感じ
家が路面に対しノコギリ型に建っているのが特徴
『武者隠し』ともよばれ隠れて敵を襲う事が出来る
道がクランク状なのも曲がり角で待ち伏せができ
直線だと矢が飛んで来たら逃げられないとされる
防衛作と言われるが
宿場町は襲われやすいのかと気になる
本陣を襲われないようにするためなのか
実は城下町だったのか
なぞ
周辺には根戸城以外の城は見当たらない
明治にはここから手賀沼にかけて文豪の別荘地として栄えた
今だと我孫子宿の次は取手宿なのだが
江戸時代初期は布佐→竜ケ崎→水戸のルートだったようです
利根川がまだ銚子まで工事が完成していない時期と一致する
一里塚なのか、ここで分岐する
取手は左へ
石碑はあるんだか整備されていない
つづく