ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

塩の道ポタリング二

2018-08-31 | 道中
つづき





ここから綺麗な直線がつづく

しかし最後まで川沿いを走ることができない

でもここが人工に造った重要な川

昔は海は波で転覆するおそれがあるので

川の方が安定して安全に物を運べた








小名木川(おなき)

約4.6kで開削した小名木四郎兵衛の名を命名

陸には関所があるが川や海には関所はないのか?

この川の入り口に『中川船番所』がありました


(現在も資料館が残っている)







釜屋の渡し

小名木川も昔は橋が少なかった

貨物線はのちにできるが廃線に





クローバー橋

もちろん昔はないが川が十字路になっている

自転車が通れないのが残念





小松橋から扇橋にまた川のエレベーターあり


扇橋閘門


ミニパナマ運河とよばれる


(現在工事中)









しばらく進むとまた川沿いを通れるようになる


浮き橋があり水位によって高さが変わる


綺麗なので新しくできたようだ






でも最後は通れなくなってしまう

水門あり


江戸前とは字のごとく

江戸の前のこの島辺りをさす

江戸前すしはこの辺で捕れた魚を使うものだが

上方の押しずし対して握りずしを江戸前とも呼ぶとも







万年橋から墨田川を眺める

隅田川の向こうは武蔵の国



清州橋を渡り日本橋川へ

昔は永代橋はあったが清州橋はない

永代橋も今の位置ではない


川には中洲があり埋められたが

昔はその間を通ったもよう


隅田川テラスに出る






日本橋川の入り口の橋は工事中(豊海橋)

昔の永代橋はココにかけられていた

番所がここにあり

ここから河岸街になる


この先も川沿いに自転車は走れない

なので橋をジグザグに進







湊橋

昔からある橋、そこの小網町に行徳河岸があった

箱崎の中洲埋め立て地と霊厳島(こんにゃく島)を結ぶ橋





鎧橋

昔は鎧の渡し

地形的にこの先のカーブが気になる

なんで直線ではなかったのか?

吉原大門のような入口

小船町に行くようになっているように見えるが









兜神社に寄る

都市伝説では将門結界の7星の1つ

明治の創業だが源氏の兜の伝説がある

鎧橋に兜町

将門に由来しているらしいが

時の明治政府によって書き換えられたとも





江戸橋

日本橋より江戸橋の方が中心ぽいけど

江戸橋も今の位置とは違いう場所に


江戸橋から日本橋にかけて直線になる

この区間からが『日本橋魚河岸』

この方向に江戸城と富士山が見えるんだとか

今は首都高で見えない





日本橋に到着

行徳から約13k

松戸からは+19kくらい








昔の魚河岸はご覧の感じ

護岸の高さは当時の高さぽい

板で船から渡すのはなんか意外な光景

(何匹かこぼれていそう)





これが日本橋魚河岸の石碑

女神らしき石造なのか?だが

この地で300年の歴史を持つ

一日に千両ものお金が動いたと言われる

(千両役者級?)


元々は佃島の漁師が調達した御膳魚河岸がは始まりと言われる

(佃島の漁師は家康が大阪から連れ来た)


魚を食べるには調味料は欠かせない

銚子、野田の醤油、流山のみりん、行徳の塩と

江戸川沿いにそろっている


こうしてみると下総国(千葉県)の役割が見えた気がする


では
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うなぎ道ポタリング往路(壱)

2018-08-19 | 道中




『なま街道』の次ときたら『うなぎ道』

あまりメジャーではないけど

利根川の布瀬河岸と江戸川の加河岸を結ぶ陸路

暑い中、走ってきました


流山には『流山河岸』と『加河岸』の2つがあり

幕府御用と田中藩御用に分かれていたようです

現在は名残もなく堤防の形も違うので

イメージはわきません


常夜灯は水運で栄えていた証のようで

『加村の渡し(矢河原)』は新選組の近藤組長が

流山を最後に渡ったとして有名(板橋で処刑)





ではスタート


正確な河岸の位置ははっきりしていないもよう


橋を渡り広小路へ






元々流山街道は今よりも川沿いを通っていました


そしてここから諏訪神社までを『諏訪道』と呼んでます


(”うなぎ道”は通称というか一般的ではない)






市役所の前の坂なんだけど大変です

役所から博物館までの高台(飛地山)は

田中藩の屋敷地だったと言われています

この坂の上が加台、下が加岸というくくり


(流山の方は根郷と宿)





加の交差点まで坂は続く

交差点付近は昔と違っていますが

あえてクランク状には昔からなっていました

(松戸だと陣屋や木戸があった場所と似ている)





運動公園までやや下る


この辺も2か所、旧道と変わっています









流山市から柏市へ

流山と柏の市境は複雑です


(野馬除土手を市境にしたそうで)





豊四季は明治になって開拓された地名


その開拓碑が稲荷神社にあるのだが旧住所は市野谷村


(開拓とは牧場を住めるようにする、入植という)






旧日光街道と踏切を越え諏訪神社へ


神社は流山市で道は柏市


神社を左折






神社の夏祭りがそろそろ


提灯をたどり坂を下る


大堀川へ







駒木橋を渡る


真っすぐ行くと成顕寺だが右折

(野馬除土手の遺跡あり)


農産物直売所に寄り、ランチバイキング






今回は魚じゃなく野菜中心

バイキング、海賊、船乗り、水運といったイメージ

うまし


燃料補給し再び陸路







低い地でも高田(たかた)


高田は『水切り場』で有名なのだが場所が特定できず


昔はあったが今は石碑が何処かへ行ってしまったらしい


(道が違うのかな?)






古地図によると

神社の入り口には『菅ノ社』の記

菅原だから天神様?アパートの角に石造がある

集会所に天神社と字名は残っている

灯篭の手前のは『道祖神』と地図にある

グーの地図は大杉神社とあるが

実際は高田熊野神社である

この先の中学校の向いに熊野大社の記がある

誤植か?地図と名が合わない


『殿内』の名もあり高田には城があったもよう





なんと石造は動かせるらしい


これがあると古道感が増すのに


”馬頭観音”が多いので駄送した形跡はある


中学校の前は丘になっていてお墓

その下に石造

浄善寺と記されているが今は満徳寺

お堂は現在にも記されている






警察の前を通り16号へ

古地図に湯殿社があるが今は小学校

川のそばはここまで


なぜ川の低地ルートを通ったのか?疑問が残る

川が氾濫すると何日も通れないのに


手賀沼の呼塚河岸や戸張河岸からも鰻は運ばれたという


つづく



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うなぎ道ポタリング往路(弐)

2018-08-18 | 道中
つづき




結論から言うと12k位なので

記事も短いはずなんだけど

曲がり角が多くまとめるのが難しいのです





16号を越え高校を通ると上り坂

この坂はきつい

そしてこの先は複雑





道なりなんだけどややこしい

左折して石仏小堂を右折する

古くは『大門街道』と呼ばれ

近所の覚王寺の参道だったとされる





一本杉を過ぎると下り坂

こういうのがあると古道感はある

一里塚には木がありその下で旅人は休み

この木を頼りに歩くもの





広々した坂は開放的

けやき通りを渡り右折

直進しやすいので注意





宿連寺湧水

ここで喉を潤したもよう

魚も生息している





坂を上がる

お墓の横なので石造もある

寺の村なだけに古そうな道





須賀神社を過ぎて左折

木が多いので日蔭がいい

賽銭泥棒が多いのが残念





左折するタイミングが難しいが高校入口の交差点の道


この曲がり角に意味がありそうだか地図に載っていない


坂を下りまた上がる





また寺の脇の道

善照寺の角を曲がる










ここには『道しるべ』がある

ちゃんとしたルートだ









次の道を左折するのだが印はない

このくねくねに進から

『ウナギ道』なのかと思えてしまう










頼りはこのお堂と石造

古くからあるんだと思える

47号を渡る

(47号は新道)






南龍寺の前の道に出る

布施村と富施村に分かれているのが不思議

後は直進






坂を下る

ピンクの恐竜がいい








布施弁天

灯篭には江戸か松戸の文字が

ここで小金方面と流山方面に分かれる

水戸街道の脇往還道として栄えていたもよう






土手が見えて着いたと思うけど

利根川の堤防はもう少し先

この辺で海から90k位(銚子から)

(この土手を成島土手と呼ぶらしい)






田圃エリアでも石造がある


昔は湿地帯の草むらだったもよう


利根川は坂東太郎という暴れん坊の異名をもつ





ゴール

約一時間半

橋の左側に『七里ヶ渡し』の碑がある

ここが布施河岸

上流に鬼怒川があり東北の方の物資が運ばれた

銚子からの物資だけではなかったもよう


戦で大事なのは補給

いかに敵の補給を断つかがカギとなる

なのでどれだけ安全に確実に運べるかが重要


そういうのを想像しながら走るのが楽しいです


つづく
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うなぎ道ポタリング復路(参)

2018-08-17 | 道中





布施河岸から加村河岸までが正規の駄送ルート

いろいろともめ事は多かったようです

利根川は家康がわざわざ銚子まで造った川

北の防衛上、橋は造らず渡し船に

水運で物資を調達する意味合いもあり

ここを止められると江戸の経済がマヒ

してしまうチョークポイント

だから複数の駄送ポイントを設けたのだと思う

問題は浅瀬になることが多く小さい船に

積み替えなければならないので陸路も必要だったもよう






ではスタート

なぜ『うなぎ道』なのか?

たんなる俗称なのか

利根川で捕れるウナギは手賀沼のウナギと

味と種類が違っていたからとも言われる

(手賀沼のウナギは『青』と呼ばれ珍重されていた)





来た道を戻るが景色が違う


こっちからは荷を積んでの移動となる


重いのは馬だけか








なぜ日本では馬車が発展しなかったのだろうか?

坂道が多かったのと道の質が悪かったのだと思う

雨上がり後のぬかんだ坂は馬でも無理


西部劇に出てくる馬車は砂漠の平原だからこそ





行に見落としていた石造もみつかる

(ワンピース的にはポーネグリフ)


字が読めないのが残念


この辺は中城という地名があり

布施城の一部といわれる







道しるべを右折


ここで小金方面と


流山方面に分かれる








昔の主道は今の裏道










香取神社を通り善照寺を左折


善照寺は開山七〇〇年


松戸市の本福寺も『時宗』で

東葛地区に三ヶ寺しかない希少な寺院





寺を左折したら

坂を下りまた登る

県道七号に出て渡る

突き当りを右折







須賀神社


日蔭が助かる


涼む





坂を下り


宿連寺湧水


大きい道に出たら左折






けやき通りには川が流れている

『地金掘り』と呼ばれ左に行くと松が崎城跡があるので

そのお堀の役目をしていたと思われる

(大堀川もそういった役目かも)


そこからまた坂を上がり左へ


道が狭くなる





一本杉


ご神木


住所は松ヶ崎







石仏お堂を左折



右はお寺への参道



東南には松ヶ崎城跡








道なりに右折し


坂を下る


昔は手賀沼を一望する岬みたいな地形







坂を下ると道が広くなる


一六号に出る


警察の前を通り高田へ







さすがに今日も暑い

図書館で休憩





つづく
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うなぎ道ポタリング復路(四)

2018-08-16 | 道中
つづき




ちょっと寄り道したが40分くらいできた

柏の情報は柏でと図書館に寄る

このうなぎ道を”大杉みち”とも呼ぶらしい





高田は水切り場


ここでウナギの水を取り換える


うなぎは生きたまま運ぶのが鉄則







低地を駒木橋まで走る

源氏ゆかりが諏訪神社と成顕寺にあり

呼ば塚からこの道を通ったと予想される





駒木橋から諏訪神社へ


坂を上がる








諏訪神社の馬は源氏が関連していて

ここの地名が駒木になった由来にもなる

鞍掛の字名も残っている







踏切を渡ると

旧日光街道がここで交差する








ここから流山市

市野谷と野々下になり

野々下に『水かえの宿』があったそうだが場所が不明


氷屋さんもあったらしい








運動公園前


キッコウマンアリーナに改名


昔ここに川があったのでここで水を替えられ可能性も


川沿いを通るのはいつでも水をいつでも替えられるメリットがあったのかも






加の交差点の道を『古代官道』という説もある

三輪山の茂呂神社が重要ポイント

鰭ヶ崎の東福寺から続くのだか

市川からのルートが微妙に思う






加の交差点の県道5号はクランクになっているが

昔はこのうなぎ道の方がクランクになっていた

今後新たに道が整備される予定


市役所前の坂を下る


見晴らしがいい

この坂の上一帯を『飛地山』と呼んでいた





坂を下ると流山街道

旧道は川の方

広小路を右折し

古民家を左折






江戸川土手に到着


橋の名は富士橋


川は今上落


矢河原渡し桜広場へ





ゴール

12kと言われるが16k弱

一時間半コース

徒歩だと3時間くらいか


なま街道の半分

こっちの方が早いような

ルートは複数あった方がいいけど


恐らくだけど

ルートが決まっていると盗賊に襲われる危険もあるので

日によってルートは変えているのだと思う


最初は加岸2号公園から大杉神社を通るルートかと思ったが

こっちの公園だとい情報も

では
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なま(鮮魚)街道ポタリング往路1

2018-08-02 | 松戸




スーパー猛暑の中を走ってきました

鮮魚街道を松戸納屋河岸から布佐河岸までを往復

車のガソリンのように水分を消費しました





プレ編で下見をしたので完成度は高いのですが

『なま街道』と言うのは1ルートだけではないのでした

魚河岸もここだけではなく3軒くらいあったようです


ここの角の家が世襲で名前を受け継いで今も残っています

土手の堤防も今みたいに高くなく砂地だったようです

では出発





前回は水戸街道を左に行ったのですが今回は右から

このルートが代表的な道のようです

松戸神社の前を通過

(この神社の灯篭が見どころ)





眼鏡橋を渡りGSを左折

このルートは『御成道』とも呼ばれお鹿狩りに通る道

なので個人的には庶民はこのルートはあまり使わなかったと思う





歩道橋を渡り千葉大の横道を

古地図では大学の敷地内の道

坂がきつい

この坂を積荷して下るのは危険そう





6号線を渡り坂をまた上る

464号の下に道があるが新しい道

6号線には『陣が前』とあるが

古地図にはこの先に『ジーガ前』『ジイノ前』と記されている





美野里の交差点を左折

この道が市川から通ずる『古代道』とも言われる

木戸の名が残り重要なポイント

この辺は『陣が前』と呼ばれ重要度は高い

大橋も御成道とよばれこっち周りもある

スーパーの横の細い道を走る





ちょっと早いが南部市場で食事

やはり『海鮮チラシ』

鮮魚街道だけに





再び本線に戻る

庚申塚とホームセンターの間の道を行く

この辺も下水遺跡があり古くからある土地

航空写真だと軍用鉄道のカーブの名残が分かる





坂を下りスーパー銭湯の脇から281号に出る

また坂を上がり稔台駅へ

ここに『御成道附』の小字があり


五香の御鹿狩りに通る道


余談だが、軍用鉄道の八柱演習所はこの辺


踏切を渡りカッパ横丁を通る





こっちの方も古くからある道

八柱駅の踏切がややこしいが

八坂神社の角から真っすぐに行くの正規

ここにも木戸があり

御鹿狩りは真っすぐ西病院の方の騎射立場へ向かう

なま街道は神社を右折





駐輪場の隙間から門前公園へ

この辺は道が開拓され旧道は無くなった

昔は金ケ作陣屋がありここを通るのは面倒だったようです


(木戸や陣屋は関所みたいなもの
牧場にあるのは馬の侵入を防ぐとも)





本線は一本左だが道が途中で切れる

坂を上がり281号と合流

古地図は明治になってからのモノが多く

(牧場を開拓して道になっているが

その前はどうだったのか疑問)






子和清水を左へ

中学校の横の道を走る

野馬除土手に沿って五香まで





五香の交差点は地下道を通るしかない

五香六実は元々の牧場を開拓した土地

野馬除けの土手は残っているが道はどうだったんだろうか?

想像できない


ちなみに御鹿狩りは十字路を右折し五香公園へ

そこに将軍様の『お立場』がある





五香の道は狭くて危険

逆走してくる自転車もいるので注意

六実に入ると広くなる





野田線を越えると佐津間(鎌ヶ谷市)

下り坂の2又を右へ

この先から下総航空基地になるので街道は途絶える

基地を迂回し常夜灯まで自力で進む


つづく





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なま(鮮魚)街道ポタリング往路2

2018-08-01 | 道中
つづき




基地は鎌ヶ谷市と柏市に分断されている

迂回は柏市側

飛行場は平に造るので起伏の少ない地形だったと想像する





高校の横の道から基地の横の道に出る

この辺には大津川があるけど川の氾濫はどうだったのか?

魚の水を取り換えるにはいいけど

(津や戸の地名は港のような意味合い

手賀沼から下ろうと思えばこれるはず

佐津間の津も意味はありそう)






基地のフェンス沿いを走る

アッダウンはある

何回か通っているが飛行機の離着を見たことはない






基地の正門を過ぎた辺りから

本線と合流

二又の右の道





墓の横の坂を下る

かなり急な坂

そこに見えるのが常夜灯

下りで勢いつけると見落とすので注意





ここでほぼ半分の距離

木の陰で休憩したり、井戸水で魚の水を取り換える

常夜灯は明治12年に建てられた





ここからはちょっと複雑

道が裏道みたいになっている

でもちゃんと石造があるので目印に





切通のような坂を上る

16号に出て渡る

プレの時に280号で行ってしまい失敗した





この辺から白井市の農業エリア

緩やかな坂道

交通量もほどほどある





交差点付近は工業エリア

なんか意外

『中』という地名がある





しばらく行くと林道エリア

社の森と言ったイメージ、森の祠

暑い日の日陰は救い神





木下街道に出る

庚申塚がずらりと並ぶ

この辺に『月影の井』がある

日本三井の一つ


郵便局から坂を下る

車の通りは多い





松山下公園を通り亀成橋を渡る

タイヤの付いた亀のオブジェがあったが

亀成と関連があると知る

発作を左に行く





補正された綺麗な道

昔は川沿いの土手のイメージ

橋も綺麗で面影なし





布佐の町自体綺麗に区画整理

成田線をアンダーパスで抜ける

本線は一本隣





ゴール

観音堂前

『都』と言う地名





自転車を停め歩いて利根川土手に出る

土手はかなり高い

昔は土手はなかったもよう


ここで銚子から来た船の魚を陸にあげ

馬に荷を積み替え松戸に運ぶ


復路編につづく





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