ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

昭和40年代バーバー

2018-09-30 | 名所
え~私

生まれも育ちも練馬区大泉町(旧北大泉)

理髪店の長男として生まれました


生家はここで育家は離れにあり

まもなくここも老朽化にともない立ち退きに

元々借家なのでいつかはこの日が来ると・・・



見納めならぬ撮り納めに行って参りました

築54年

歴史に幕です






外装はこんな感じ

テントは張り替えていますが西向きの店なので

日除けが降りるようになってます


サインポールはもう製造されていなく貴重品

昔は二階にも小さいのありましたが

外壁が剥がれ落ちました


店舗は2.3回はリニューアルし

タイル張りは当地の流行

木造の外壁はボロボロな板張り

(住居はほとんど当時のまま)





2階には物干し台があったが木が腐ってなくなりました

電柱も昔は木で登って2階に行けました

南向きなので日当たりは良好



中に入ります


お店です

椅子2台置ける大きさです

夫婦2人でやっていました

コンクールとかに出てトロフィーや楯があるが

店には飾らないでたようです


更に中へ




お茶の間です

約3畳

黒電話健在

狭すぎて全体が撮れないが

ここで家族5人食事をしていた事も

壁が背もたれになっています




キッチンです

ここで5人分の料理を仕込む

その裏に風呂とトイレがあります





木の風呂です

温度調整もシャワーもありません

洗濯機は入口にあり脱いだら入れる


そしてトイレはボッタン便所

トイレットペーパーでなくチリ紙

落ちたことはないが怖いです

カギがなく開けて人がいると驚きます





2階へ

階段が急です、よく落ちました

下がキッチンの全容

廊下と兼用でした





2階の親の寝室

6畳に末っ子と3人で寝ていました

クローゼットはなくタンス

(この部屋から昔は富士山が見えていました)





そして子供の寝室

4畳半に弟と2人で寝てました

弟の勉強机は廊下に

(個室の自分だけの部屋に憧れました)




2階からの景色

昔と全然違います

豊島園の花火や新宿のビルが見えていました



(子供部屋から親の部屋の景色)

障子で仕切りがあり外すと広くなります

テレビも隣の部屋から見えました


外へ



裏口の勝手はカギが内鍵で外から開けられず

掛かっているとお店からの出入りになる

お客さんに挨拶して入るのが恥ずかしかった



ガスはプロパン

トイレには汲み取り屋さんが来る

水は昔は地下水を使用していた

下水は今は蓋があるけど昔はオープン

汚いけど川のようにして遊んでいた

昔の道は砂利道で石につまずき骨折した記憶がある


問題は自転車置き場

置くスペースが狭くて大変だった

ドロップハンドルの自転車が傷だらけに


基本的に道路にはセンターラインのない道が多い

すれ違うのが大変で1通が多いエリア

坂の上なんだけど降りたら上がるのが大変


小学校は坂の下にあり半分くらいは坂道

中学は学区の境だったので遠かった

駅までは徒歩30分、自転車だと半分くらいだけど坂がある

バス停は歩くと10分だが朝は駅までたどり着けない

高校は自転車で20分だが雨の日にバスと電車で行くと1時間位

とま~大変でした



物は無くなると消えて無くなるが

思い出は記憶のある限り残り続ける

もうじき大きい道が出来

町の光景も変わってしまうが

この思い出を永遠に胸に刻む




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塩の道ポタリング一

2018-09-01 | 道中




”塩の道”とは行徳から江戸城を結ぶ道

行徳の塩を確保するために

道三掘り・日本橋川・小名木川・新川を人工的に造り結んだとされる

それは建前なのか、その先の東金道を直線にひき

東の太平洋からのルートを確保したのだとも言われる

同時に、利根川を銚子までひき、水運を発展させた

それから江戸川ができ

関宿・野田・流山・松戸の河岸が栄えた

市川の行徳は木下成田を結ぶ重要な拠点である





今回は松戸の常夜灯からスタート


水運がこのまま栄えるのかと思いきや


鉄道に取られてしまいました


(川の流れに逆らっても、時流には逆らえない)





松戸の納屋河岸

利根川の布佐からの魚はここに

松戸の河岸は4ヵ所位あったそうです





金町松戸の関所

昔は橋がなく渡し船

この葛飾橋が最初にできた橋

(元は少し上流の旧水戸街道に)





『矢切りの渡し』は有名だが

昔は、上矢切と下矢切の2つがあった

下矢切が今の『ヤキリのワタシ』





坂川の下流は柳原水門へ

ここで江戸川と合流

昔は市川に流れていた





小岩市川の関所

ここは重要なポイント

古くは下総の国府があり、古代官道の起点(井上駅)


松戸の御鹿狩りの時は家臣達はこちらから渡ったもよう

市川橋も元は関所を結ぶ所に造られていた





昔は放水路はなく今は旧江戸川と呼ばれる

海まで9kから3kへとワープする

行徳橋を渡る

(もちろん行徳橋も昔はない)





常夜灯公園に到着

ここは新河岸とよばれ

元々は違う場所だが特定できず

(本行徳の渡し辺りだが)





ここでランチ


マグロ丼(漬け鮪)


うまし


成田に行く人たちもここまで船で賑わったもよう


再出発





今井橋
.
ここにも渡し船あり

手前の湊にもあるのだが石碑はなし





妙見島

右の水門が新川入口

浦安橋から渡る





浦安で捕れた魚もここを通り運ばれる

今は船は入れなくなっている

昔の江戸川には橋が無かった





新川も新しくリニューアル

言葉が被ったけど江戸情緒あふれるスタイルに

江戸時代は知らないが・・・





江戸川区といったら金魚が有名

『金魚ちょうちん』

山口県柳井市の名産品として150年の歴史を持つ





荒川放水路に着くが繋がっていない

上流の船堀橋を渡る

(昔は中川で荒川は人工に造った川)





東京ロックゲート

昔はなかったが、水運のエレベーター

(川と川の水位が違うためここで調整)


ここから小名木川に入る




つづく



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