ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

茨城旅行(電車編)

2024-08-31 | 名所

当初の予定では

香取神宮と鹿島神宮に行くつもりでしたが

最終的には大洗の磯前神社に行って帰ってきました


夏休みはなんか海が観たくなる

なんでだろう








通勤時間帯を避けるように

朝早めに家を出る

早朝の駅の雰囲気はなんかいい






常磐線から我孫子駅で成田線に乗り換える

名物の店はまだ開いていない

朝飯前すぎた







成田線も読めそうで読めない難読の駅名が多い

逆に読めたと思い込んでいた名前が違っていた

松が『まん』だなんて

松戸市民の概念を変える呼び名だ







成田駅で乗り換え

ロス時間があるので、コーヒーブレイク

自販機だが蓋まで閉めるのが凄いと思った








成田駅内には売店が無い

このまま行くと香取駅周辺も店がまだやっていないのではないか?

と思い、先に鹿島神宮へ行くことにした




佐原駅で鹿島線に乗り換える





7時半ごろ到着

絶妙に早かったのか

駅前の店はまだ開いていない







駅からは東南の方角

歩いて神宮へ向かう

レンガ道が特徴






途中に『塚原卜伝』の銅像がある

室町時代の地元の英雄剣士


ドリフのコントでよく見たあの

『隙があるならばかかってきなさい』と

囲炉裏を囲って鍋を焚いている師範

弟子がいきなり襲いかかると、鍋の蓋でガードして

鍋の熱い汁を箸で弟子の目に浴びせる

弟子は思わず『参りました』と土下座をするのが定番なんだけど

あの手この手を使い師範から一本を取るのが面白かった

この人がモデルだったと今頃知る






上り坂を振り向いて見る景色はいい

イメージではもっと賑やかだと思っていた

茨城県の景勝








鳥居までの参道はこんな感じ

室町時代から続く店があり

鎌倉の名の店がある


もちろんまだ開いていない

つづく





















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茨城旅行(鹿島神宮編)

2024-08-25 | 名所
つづき







入口の鳥居は東日本大震災で被災したもよう

現在の木製の鳥居は敷地内の木で造ったとのこと

樹齢600年の木の風格


厳密にいえばここは二の鳥居で

一の鳥居は北浦の湖にある

鉄道が敷かれるまでは

水運で来るのが従来の入口だったとか







日本三大楼門の一つ

ただいま改装中

朱色だそうです







楼門から東に向かって進むと右側に拝殿が建つ

その裏に本殿があり後ろにご神木がある

鏡石があるも中に入れないので観れない


拝殿が北を向いているのが特徴


東北ににらみを利かせていると言われているが

最近では『大甕神社(おおみか)』を見ているのではとも言われる


東北の人が南に向かって拝めば

自然に参拝してることになる






向かい側に『仮殿』

建て替えの時にこちらに移動

こちらは南向き



北へ行くと


武徳殿

鹿島香取と言ったら武神

剣道の道場


そして


弓道場

本来の武芸といったら弓矢

馬に乗って弓を放つのが武士だった



本殿の方に戻る



奥へ(東へ)

この雰囲気が鹿島神宮

天然記念物『鹿島神宮の森』






鹿園

鹿と言ったら奈良県だけど

奈良の春日大社の鹿はここ鹿島の鹿







奥の宮

こちらは家康の時代に建てられた模様

荒御魂を祭る

【荒御魂(あらみたま)とは、神の荒々しい側面を表しています。
反対に穏やかな面を和御魂(にぎみたま)と言います。】


神紋は左三つ巴だが『尾長三巴紋』で長い

五七の桐は皇族にゆかりのある者が使える家紋でもある



さらに奥に(南に)



大鯰の碑

古くからナマズは地震の根源とされていて

それを押さえつけているのがここの神様








要石

ここの大岩で地震をおさえているのです

もう大地震が来ないように祈りました






これが要石

小さいと思われるがこの下に巨大な岩となっている

あの黄門さまが七日間掘っても掘り切れなかつた伝説が残ります

凹んでいるのは香取神社の方が凸ていて対になっているとのこと


本来はこっちがメインなのではと思われる

(古代神道は自然崇拝で社殿はなく、磐座(いわくら)やご神木の方を崇拝していた)


中臣の祖が鹿島出身説

645年大化改新の中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒した時の中臣氏が

のちに藤原氏となり天皇家を裏で支える存在となり

東北の平泉まで勢力を伸ばした一族となるのだが

どうなんだろか??







本殿に戻る

御手洗池方面へ行くのを忘れた

なぜ『大国社』があるのか見逃してしまった

他に香取社、息栖社はなく熱田社がある

伊勢社もなく『狛犬』も置いていなかった

(狛犬は宝庫にあるとか)







本殿で気になる神紋を見つける

はっきり確認はできないが『鶴』の家紋が見える

「上がり藤」にも見えるが「鳳凰」にも見える

そして「五三の桐」になっていて奥の宮のとは違う

徳川にも関連があるも家紋が無い

何かスッキリしない・・・


こっちは和御魂(にぎみたま)を祭っている


常陸国一宮

東国三社の一つ


ここ鹿島神宮と富士山を結ぶライン上に

東京スカイツリー・皇居・明治神宮・小田急線が並び

さらに熊本県の『幣立神宮(へいたて)』まで続いている

東から日が立ち、西で陽が蘇るために沈む

(幣立神宮の旧住所は阿蘇郡蘇陽町で高天原発祥の地とされる)






てな感じで鹿島の地を立つ


後で分かったのだが

本殿は北を向いているが神座は東を向いているとのこと

出雲大社とは真逆の配置になっているらしいが

外からは確認できない



海へ向かう

つづく


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茨城旅行(大洗編)

2024-08-22 | 名所
つづき






一両編成のワンマンディーゼル車

これこれ

鹿島臨海鉄道大洗鹿島線


鹿島神宮までがJRの管理だが

鹿島サッカースタジアムから水戸までは第三セクター鉄道管轄

電子マネーは使えません






日本一長い駅名あり

車内ではハマナス公園前だけの表示

ハマナスは食べる茄子ではなく「花」のこと







新鉾田駅

なぜ新なのか?

昔は鉾田と石岡を結ぶ路線があったが廃線になった鉾田駅があった


メロンが有名で農業大国を謳っている

お笑いタレントの名は見かけなかった

鉾田市は平成17の市町村合併で大きくなった








海岸沿いを走るのかと思ったら

森の中を走る感じ、緑が多い

踏切が無くトンネルをくぐると












大洗駅

なんかいい、思っていたより広い

関東版あまちゃん








駅前はこんな感じ

観光地化され垢ぬけている

海までも歩いて行ける距離


右側がビーチ、真ん中が漁港、左側が磯辺といった感じ

レンタサイクルもバスも充実している

お目当ては「大磯磯前神社(おおいそさき)」






街を歩いていたら戦車を発見

ガルパン(ガールズ&パンツァー)というアニメの舞台がここ

大洗の街になっていて聖地巡礼的なモノ






マリンタワーのある所が海

神社は左の方

歩きなれていないせいか足が攣ってきた







この辺から漁港魚市場エリアとなる

海鮮系の店が立ち並ぶ

思っていた以上に多い







やはり「海鮮丼」

タッチパネル式の店で店員も標準語

(訛った人に出会ったのは電車の運転手くらい)

刺身のツマまで入っているタイプは初めてかも

ご飯は大盛りです






店を出る



直ぐ近くはもう海だった

磯エリア

海の香りがしていい








大鳥居が見えた

もうすぐ

ホテルや宿が充実しているのも意外だった



坂を上がって


大洗磯先神社に到着

丘の上

正規のルートは階段みたい









階段からのオーシャンビュー

最高

海に来てよかった








参拝

どことなく鹿島神宮に似ている

菊の神紋

大己貴命と少彦名命の組み合わせは

神田明神と似ている

856年の平安時代の創建







カエル

筑波のガマガエルも有名だが

将門の首塚のもカエルが置かれていた

海のそばで蛙のイメージはない






海風が涼しくていい

休憩して降りる

足はまだ痛い










なんとか下り切る

下の狛犬に置いている石が丸い

河原の石は丸いけど、海のそばの石も丸いだなんて

石器時代の人達はこの石をうまく利用したのではないだろうか?

大洗は古墳群があるように古くから人が住み着いている









磯に出る

この鳥居に太陽が昇る時期がある

冬至の日に神社の正面に朝日が入るように計算されている

冬至の日は東南の方角から日が昇る

伊勢神宮の夫婦岩もそういった感じ








磯から神社へは狭い参道を通る


レイライン好きにはちょっと残念







海沿いを歩き駅に戻る

足が痛い

前日に自転車で80K走ってバテタ

多少影響があったのかも











なんとか駅に到着

水戸方面から常磐線で帰る


出発間際に集団が乗り込んできた

グラビア撮影

アイドルらしき女の子2人とカメラマン

スタッフ数名、有名人なのかは不明

わずか一区間で退散していった

そんなものなのか


リアルあまちゃんじゃん




なかなかいい夏休みでした

では

















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ざっくりとアンデルセン公園へ

2024-07-07 | 名所
まだ行ったことが無い所へ行くシリーズ第3弾

船橋アンデルセン公園へ

自転車でも2時間もあれば行けるコースです






常盤平にある「金毘羅神社」に寄る

何も無さそうな雰囲気だけど







拝殿裏に本殿があります

意外と見逃しやすいのですが







天狗のお面が奉納されてます

烏天狗と鼻天狗は対になっているとのこと



おもに船乗りの航海の安全を祈願する社

大杉神社と類似している

なんでだろう















五香交差点を抜けて
六実駅の踏切を渡り
佐津間を右折し
鎌ケ谷方面へ





464号で白井へ進む

JRAの騎手学校を観たかったが道が複雑なのでパス

またの機会にする








不安になりつつも

よく分からない道を進む

須加神社の前の道に出る予定







なんとか出た、288号



立寄る





朱色の本殿に彫刻が彫っているのは珍しい

江戸時代創建で[素戔嗚]を奉る

神保町と神の付く地名




16号方面に向かい右折すると



西口ゲートに到着

どこの入口がベストか分からないままま入る







矢沢曰く

一回目散々な目に遭う
二回目落とし前
三回目余裕


てな気持ちで入る







平面の地図を観てもよく分からない

とりあえず肌で感じる

アンテナとセンサーを張りめぐらす









最初は花を見て楽しむ場所かと思っていたので

ミニチュアの意味やオーデンセってよく分からなかった

ガリバー気分かな??








風車といったらオランダなイメージ

柏にも印旛沼にもあるといった認識

風車のタイプもいろいろある








建物の中に入る

匂いがちょいと苦手







説明書きを読んでみたら

アンデルセンは「デンマーク人」だったと知る

ここはすべてデンマークの街並みだった

いわゆるデンマークのテーマパークだった

デンマーク情報はバイキングしか思いつかない

東京ドイツ村じゃないけど『デンマーク村』だったのだ






うかつにも途中で昼飯を食ってしまったので

デンマーク料理を食べ損ねた

次回リベンジ(オトシマエ)






人魚姫の石造がある

マッチ売りの少女や裸の王様も

アンデルセンの作品









さっきのは農村地帯の家でこっちは都市部の家の造り

マッチ売りの少女は都市部の町でマッチを売っていた設定

いや~かわいそ過ぎる話・・

オーデセンというのは北欧神話のオーディーンの名から

FFファンなら斬鉄剣でお馴染みのオーディーン







デンマーク王国はドイツの隣で島国みたいな地形

コペンハーゲンは聞いたことがある街

ノルウェー・デンマーク・スウェーデン・アイスランドは北欧と呼ばれている







こういう建物も

これがデンマークか~という感じになった

本物を見たことが無いけど







太陽の橋

橋もなかなか見ごたえがある

デンマークにある橋かは不明






なんか見たことのありそうな

やはり岡本先生の作品

平和を叫ぶ






他はチョウチンアンコウのクレーンが面白かった

こういう発想ができるのが童話を描く想像力につながりそう



基本的にはここは子供を主体にした公園

子供向けのモノは割愛

動物園、アスレチクス、噴水プールなどもある








最後に自然ゾーンを散策して帰る

この時は気が付かなかったが虫刺されがひどかった

半ズボンで歩かない方がいい




帰る







帰りは鎌ケ谷方面から

県道57号で松戸まで帰れる

道は狭いがアッダウンがほとんどなくていい







途中で「鎌ケ谷大仏」に寄る

駅前にあると知っていたが

見落として通り過ぎて戻る








あった

事前に知っていたので大きさは気にならなかったが

むしろ場所の方が「えっ、ここっ」と驚き

札幌の時計台みたいな


この鎌ケ谷大仏の前の道は「木下街道(きおろし)」59号

そして57号は『小金佐倉道』といい古くからある道

交差する鎌ケ谷宿として繁栄していたらしい



五香→金ヶ作へ進み、千葉西病院の前から小金原へ

小金原のすずめ公園を通りテラスモールへ

ここまでは激坂が無く来れたのだが

関さんの森へ行く坂が一番きつかった

後は下るだけで楽


一番の難所は国道6号

帰りのこのルートは距離は最短じゃないけど

足に一番負担がかからないコースでした


では















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ざっくり市川動植物園へ

2024-06-30 | 名所
まだ行ったことが無いシリーズ第2弾

市川動植物園へ

行ける時に新規開拓




暑い日だけど雲があると日影になっていい

風も弱くまずまずのコンディション







馬橋

街の名の由来の橋

下を流れる川の名は「長津川」

長津の文字は「肆(よん)」だと気づく




長津川沿いを千駄堀方面へ

低地を専松高校の下まで進む

激坂を登り市立病院の方へ



松戸元気村の方に行くと





香取神社

ここの奉納されている額が

僧侶が妖怪に頭から食われているんだけど・・

情報なし・・・


そして近所のお寺へ





1447年開山の円能寺

松戸七福神の福禄寿を祭る

松戸市の七福神は2つの流派が存在する



武蔵野線の先の方へ進む


北郷遺跡

縄文時代の土器が出た場所

今は何も無いエリアだが

先住民はいた


森の方へ


怪しげな森の中を下る

散策ルートにはなっている






家畜の墓

比較的新しい

塚の付く地名はそういう場所が多い


二〇世紀森の広場に出る

そこからまた激坂を上がる

道を間違えると新しいものに出会う





常盤平まで来た

新京成電鉄が経営統合され

『松戸線』となるらし







念仏寺

個人宅ポイ

お寺もいろいろ







常盤平といっても平ではない

緩やかなアップダウンがある









鮮魚街道に出る(281号)

ここから松飛台方面へ向う

途中で串崎新田の飛び地があった


北総線は谷間を走っている

なのでいったん下ってまた上る

ちょっとした難所



梨街道こと464号に出る





大町日枝神社に寄る

拝殿の裏に本殿があるスタイル

あまり見かけないが常盤平の金毘羅神社も

拝殿の裏にある

見落としやすいので一周したほうがいい






なんだかんだ到着

大慶園より手前にある

自転車を置いて園内へ





レッサーパンダとオラウータンの2大看板

後日、モヤさま2で放送された

感想はまるっきり一緒だった







刈りたてのアルパカ


(さすがに触れなかった)




牛でか~~

(象くらい大きく感じた)







フラミンゴの関節は逆

(初めて知った)





鳥は飛んでこなかった










カワウソとレッサーパンダとアーミーキャットは

軽く触れただけ








猿山はほとんど触れず










てな感じで、まだ半分以上は見どころがある

秋の紅葉の時期がおすすめかも

夏場は臭いがきつくなる・・・









帰りは五香公園の方から

バス停に書いてある文字の意味

昔の地図は猪見塚と表記されている





ここも行こうと思ってもなかなか行けなかった場所









御鹿狩りの会場本部みたいな場所

ここに山があって全体を見渡し指令を出していたという

鷹狩りもそうだけど軍事訓練だとも言われる

江戸時代は平和だったので戦を知らない武士も多かった


幕末に黒船が来たけど・・・ご覧の通り



以上

初めて市川の動物園へ行ってきました



































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権現堂の桜

2024-04-10 | 名所
つづき



どこが正面でどこが入口かが分からないけど

辺りをうろつく

とりあえず自転車でまわる







自転車が通れる道があった

人が少なく穴場かも

と思いきや







菜の花と桜のパノラマ

あ、テレビで見たところ

ここだったんだ








兎に角広い

菜の花もこんなのみたことがない

空の薄暗さもまた明暗があるような







自転車を置いて土手に上がる

桜堤

基本的に桜は土手に咲いている








土手の上から先ほどの菜の花が見える

その向こうが中川





全体図があるけど把握が難しい

広い公園の中の一部みたいな

町全体の地図ぽくもある






堤防は広くないので混雑しやすい

この狭さが桜の隙間を埋めているのかも

桜の内部







屋台もすごい

桜まつりは昨日までだったようだけど

延長したのか充実している






堤防から降りる

メインの入口はこっちぽいけど

駐車場の方からも入れる






駐車場側もすごいけど

川の方の菜の花のある方が自然でいい

あまり歩くと帰れなくなるので退散







改めて写真で見ると津波みたいだ

ビックウエーブが襲いかかるみたいな

それが迫力なんだと思う



つづく















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国宝の熊谷の聖天山へ

2024-03-25 | 名所


お墓参りの途中で寄った

熊谷市妻沼にある聖天堂

『聖天山 歓喜院(妻沼聖天山)』

本堂の彫刻が国宝級のこと

【日光東照宮を彷彿ほうふつさせる本格的装飾建築で、その精巧さゆえに「埼玉日光」と称され、国宝に指定されています。】




残念ながら入場は4時までで中には入れず

遠くからでも豪華絢爛なのは伝わってくる

彫刻の細やかさには神が宿っている気がする




拝殿前はこんな感じ

神事の相撲の土俵もある

石舞台







拝殿の彫刻も素晴らしい

聖獣オールスターがそろっている

逆光で見えにくいけど虎もいる

その下の飛竜も浅草寺以外で見かけた




大根の家紋を見かけた

浅草の待乳聖天山と同じ

【日本三大聖天は、妻沼聖天(歓喜院)、待乳山聖天(本龍院)、生駒聖天(宝山寺)の3ヶ所を数えるが一般的。】







前の入口

広いので記事にするのが難しい

時間も限られていたので要所をおさえる


表門へ


東へ歩く

かなり広いけど

廃寺になったのも多い模様

石碑が建てられている


参道は東西に長く配置されている





入口、正門

創建は鎌倉時代

江戸時代に彫刻とかが完成した

ブラタモリでもやっていたが、鎌倉時代の建物は京都の寺院がモデルになっている

でも災害などで当時モノはほとんど残らず

明治維新後の神仏分離でだいぶ変わったもよう










貴惣門

狛犬と龍の彫刻がすばらしい

懸魚(げぎょ)も建物の見どころというが

個人的にはまだ魅力がわかない

破風の屋根が3枚で作られているのは珍しい








中門

国宝という文字がなんかありがたい

熊谷は【暑い】で有名だけど歴史もちゃんとある





他はこんな感じ

9か所くらい見どころがある



南側の離れたところにも本坊がある

駐車場も広い












神社仏閣巡りでのポイントは『珍しさ』

他では見かけない希少性にある

(個人の感想)













南の入口の灯篭が珍しい

鬼が付いている

龍はたまに見かるがお初かも


そして本来は南が入口が一般的なんだが

東が正門になっているのも珍しい

しかも少し斜めになっているのに意味がありそう

おそらくこのラインの延長に何かがあるのかも

榛名山か浅間山と関連があるのかな?


鎌倉や江の島から南に位置するも

そっちを向いていない







神社仏閣自体もすごいけど

それを作った『技術者集団』の存在も見落としてはならない

江戸初期には日光東照宮のようなモノを創れるまでの技術レベル

鎌倉初期から500年くらいの時が過ぎている

今でもその技術は受け継がれている

なんかいいよね


余談ですが


【仏教の天部の神々のほとんどはインドのヒンドゥー教を由来しますが、聖天(歓喜天)もヒンドゥー教のガネーシャ(Gaṇeśa)がルーツ。
ガネーシャとは、サンスクリットで「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」で、インドでは富の神様として崇められています。
その父は、なんとヒンズー教最高神であるシヴァ神(シヴァ神は仏教に取り入れられ大黒天になっています)。】


池の噴水の象

本の『夢を叶えるゾウ』のモデルが象のガネーシャ

聖天様がルーツだなんて

何でこんなところにって

スーパーとかで掃除してるおじさんが実は社長だったみたな

そういった連想、妄想


では



















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灯篭の穴ポタリング

2024-02-29 | 名所
今回は灯篭の「穴」の数にこだわったポタリング

初4つ穴を見つけたら3~6まで見つかりました

何処も同じようで少し違う

神社巡りの楽しさです




先ずは地元松戸市

松戸神社の灯篭の見どころは

一つだけ「∵」なのがある





一般的によく見かけるのがこのタイプ

ゆえに『∴』(therefore)

『∵』は、「なぜならば(何故ならば)」「しかるに(然るに)」 (because)

数学で使う記号






参道に多くある中の一基

なぜここだけ

意図があるのだと思えます




浅草へ



浅草神社の裏にあるお稲荷さん

ここも3つなんだけど一般的なのとは違う

三社様の3と関係があるのか?





被官稲荷社

あまり見かけないのでオリジナルなのかもしれない

でもなんでこのデザインなのか?




千葉県へ


柏神社

元々は羽黒神社だったのこと

改装されて綺麗になっている





古い灯篭は端に移転

そこには4つ穴が

4つは初めて見た

太陽と月は分かるけど4つの意味は?

オリオン座の外側なのかな?

出羽三山なら3だろうけど・・

なんでだろ



松戸へ


根本天満宮

京都の北野天満宮系

元々はここの場所ではなかったもよう






5つ穴かと思っていたら「6つ穴」

天神様だけに『梅』のモチーフ

これは分かりやすい

個人的には5つの方が五芒星みたいで面白いんだけど


伊勢神宮の灯篭に六芒星のマークが刻まれていることから

ユダヤ教と神道はつながっているという都市伝説が生まれた

.神輿とか菊の紋章が共通しているというのだが真実はいかに



余談だが
国土地理院の地形図では地図記号として使われる。互いに無関係な2つの意味があり、
・植生記号としては「茶畑」 ∴
・建物記号としては「史跡・名勝地・天然記念物」  ∴
を表す。



残すは1と2

2は見かけた記憶がある

7の北斗七星はあるのか?

以後調査

















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1)新春ポタリング東京2024

2024-01-19 | 名所
今年の正月は『としまえん』の跡地と

『新宿の3Dビジョン』を見てみたいというルートで帰宅しました

去年はトキワ荘だったのだが、年々記憶が・・・




坂を下りまた坂を登る

ここが最初の難関

放射七号目白通りへ




谷原の交差点は避けるように

北原通を走る

環八を渡り富士街道へ

(昔と呼び名が違う?)


春日町駅で方向が分からなくなり迷うも

坂を下り


なんとか『豊島園』に到着

石神井川の傍にあるので低地






休みなのかなと思いきややっていた

予約制なので当日券は売っていない

なんとなく思っていたのと違う




鹿のオブジェが目に入った

何だっけ?

ジブリ映画を連想したけど

たしかに森で鹿に遭遇していた




森と言ったらハグリット

いた

文字だらけだ




へび?

あ、ヘビも関連してたっけ






トレードマークは眼鏡

アラレちゃんもメガネ

てな感じだけど、見落としもあるかも






全体図はこんな感じ

USJと違って建物の中のスタジオがメイン

全部見ると4,5時間はかかるらしい

(6500円)






『としまえん』の名残は少し保管されている


歴史は全く知らなかったけど


お城の跡地にできていた







駅周辺もリニューアル

滅多に乗らなかったので思い出はない

最近は大江戸線も乗り入れている


練馬区民は豊島園で成人式をやるんですけど

仕事で行けませんでした



移動


豊島園の隣には

『練馬十一ヶ寺』というのがあり

関東大震災後に浅草から引っ越してきた寺が11あるそうで

練馬にいる頃はまったく知りませんでした

近所の白山神社は平安時代からあったそうです





練馬駅へ

西武池袋線は高層化されました

豊島園線は坂を登って上にいきます





練馬駅での思い出は

小学校の時にリトルリーグに入っていて納会をこの辺でやって

高校の時はコンパをやった記憶がある

バイト先のラーメン屋さんで研修した人が独立して店を出したのがこの辺

卒業式は練馬文化センターでやりました

卒業して40年・・

駅周辺は大分変った・・・・

(覚えてない)


移動


練馬区から豊島区へ

豊島園は練馬区にあります


漫画の聖地?

アニメの聖地は練馬区だ


目白通りを進む




坂を下り

新目白通りから高田馬場へ

神田川沿いの低地

行列の正体は神社じゃなくラーメン屋さんだった



そして


もう一つの母校

一年間通いました

理容の聖地,原点


技術は『見て覚えろ、盗んで覚えろ』なんて言われていた時代に

論理的に形式化した教科書を作ったのがここの創業者

理容師が国家試験制度になったのは戦後で、77年になる


つづく

























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麻布台ヒルズポタリング2

2023-12-24 | 名所
つづき



駐輪所が無いと思ったら地下にあった

エレベーターで降りるのが斬新








店内はこんな感じ

オープンして1か月なので人が多い








ガーデンヒルズというだけあって緑も豊

大都会にこんなのができると地方のメリットが霞んでしまう










クリスマスマーケット

ドイツの町がモデル

ロシア大使館が近所にある







人が多くて落ち着かない

物価はアメリカ並み








外装はジェットコースターみたいな曲線

このオブジェも曲線のなんだかな~



ザツクリと一周して帰る





せっかくなので東京タワーにも寄る

隣のフリーメーソンのロッチが再開発で移転していた









帰路

飯倉は古代東海道が通り御厨があったといわれる地







常盤橋の渋沢像が消えていた

いよいよ来年から新紙幣に変わる


浅草のオレンジ通り

イルミネーション?





スカイツリー

そして

金町駅前のイルミネーション


松戸に到着


途中で足がツルもなんとか無事生還

AGHに帽子を落としてきてしまった

約65K

まだまだ走れそうです

では














































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三郷流山橋有料道路見学

2023-11-30 | 名所


本来は三郷側が表なんでしょうけど

流山側から徒歩で渡りました

開通式の翌日、出来立てほやほや

新しいモノ好きです





アクセスは旧流山街道の所から

車とは入口が違います

自転車は車と同じ扱いなのに、人と同じ道

片側一車線タイプ








流山名物クランク

たしかにいきなり道に出たら事故の源

でも押して降りるならクランクは無くてもいいのでは

三郷側にも変なクランクが付いていた

いる?





江戸川以外にも細い川がある

サイクリングロードはアンダーパス

土手からも橋にアクセスはできるが






今の所通行止め

料金所を通過しなければ自転車は無料になる

車道は横断できない






流山市の花は『ツツジ』

本来は10月完成予定が11月に延期

まだ完全には完成はしていない




県境境界線








車道側にある

境界線好きには確認しがち

矢印タイプ





川の上が境界線なんだけど







中州があり川が二股に分かれている

どちらかというと埼玉側の方が面積が広い

江戸川が2本あると勘違いしがち






三郷市の花は『サツキ』

皐月と躑躅は似たようなものだけど

ともに桜が咲いた次に出番がくる





三郷側もサイクリングロードから入れない

でも北側は道が下から来ている

いずれ橋が追加されるのか?





橋を下る

埼玉側の方が広々しているイメージ

土手の下はごちゃついている







料金所

ETCが一種類しか使えないのが問題に

人が2人配置






自転車は募金箱の様?ポストの様?

両替え機が無いということはおつりはない

両替の両って何時代だ




ここが表口

立派な感じはする

越谷レイクタウンまで一本道で行ける






オープン前はこんな感じ




引き返す





気になるのは反対側が途中で切れていること

ホントは2車線になる予定だったのか?

有料が終わった後の何かか?






なんだろ?この穴はと思ったら雨水孔

橋の水はどこへ行くのか?雨水道があった

下水と雨水は分別するらしい

道の傾斜も水が溜まらないように計算されている






街灯はやはりLED

街灯は車のためか?歩行者のためにあるのか?

電気料金も気になるところ

電気の配線はそれぞれなんだろうか?


戦後まもなくにできた大阪の老舗会社

戦後の復興から日本を照らし続けている

なんかすごいやん





夜にも通った

歩道が照らされている

満月とまぎわらしい





この日は自転車を置いて歩いて往復


車の数より人の方が多かった


流山橋の渋滞は穏わされるか?

脇から湧いてくる車は減ったような

急がば有料で回れ

ですかね

































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松ヶ崎城史跡散策(柏市)

2023-10-26 | 名所


柏市にある『松ヶ崎城跡』を散策

手賀沼に近く、水戸街道の通る立地

『戦国時代』のお城です





入口がよく分からなかったが

街中に案内板を見つけました

コンビニが近くにあります






お城の『入口』は大事です

敵の侵入を防ぐ工夫が見どころ

石垣はないが高台になっています





本来はあの場所に階段は無さそうだけど段差になっているのは

舌状大地を生かした地形で

手賀沼を前方に大堀川と地金掘りに囲まれています





城の全体図はこんな感じ

北の方(上)から入ってきた感じですが

本来の入口ではなかった模様


さっきの場所は『腰曲輪』と呼ばれるお城の一部



城内へ




本来は手賀沼が全望できるのだが今とは地形がだいぶ違うので想像力が必要

戦国時代の城と江戸時代の城は作りが全く違うと思った方がいいくらい

特に関東は平地が多く、石垣のない土盛の砦のようなものが主

土で成ると書いて『城』


白い天守ができたのは江戸時代になってからで
その前は黒い天守だったようです

天守ができたのは信長が造った安土城からといわれる

ここはそれより古い時代のモノ







なんもない!と思うけど『門』の跡

城内での本曲輪への入口

物見台の横に配置








『物見台』

古墳を利用している

古墳があるということは戦国時代以前から利用されていた土地

香取の内海に面していた






土塁と門と堀の防御壁

本曲輪を囲む設計


曲輪(くるわ)は、『廓』や『郭』とも書く

城郭・遊郭・五稜廓など

クルクルと囲まれているものを指す







本曲輪

ここが城の中心


基本的にこの時代は支城では寝泊まりはしない

戦の時だけ利用したといわれる

支城では籠城もしなく焼き払って逃げたらしい















内側の土塁


※土塁とは、敵の侵入を防ぐために、土を堤防のような形に盛り上げて作ったものです










外側の土塁

城の南側に位置する

『柵』とか『作』というのも城に関する

土塁の上に柵を建てたほうが高さができ

より侵入を防げる








『虎口』

城の重要な入口

ここで敵の戦力をだいぶ削る仕組みがある








『堀』

本曲輪を囲むように彫られている

初期は弓矢の届かない距離に掘れるも

鉄砲ができてから距離が変わる







西側の出入り口

虎口は2か所


北西側は宅地化される

こちら側の防御はどうなっていたんだろうか







今は公園化されているから木が多いけど

戦国時代の平山城スタイルはハゲ山だったという

火を放たれたら火事になるので必要以外には植えないとのこと






城を出る




かなりの急坂

緩いと攻めやすくなる

住むと不便なのは間違いない






まさかここから上がれるとは思わなかった

南側の大堀川がある方

近くに
成田山不動明王の金毘羅神社があるのだが見つけられず







代わりにというか『湧水』をみつけた

水があるということは『生活』ができるということだけど

お城では生活しないので意味がなさそう

でもこちら側に集落を作っていた可能性もある



当時の戦は現地到達で奪った城の物資を略奪していた

盗られまいと井戸に毒をもって逃げたなんてことも

戦国武将は思っている以上にエゲツナイといわれる












字が読めず情報がない

ここが金毘羅様??不動尊?

水と言ったら弁天様を祭りそうだけど

金毘羅は船乗り信仰に関連する

城の東南に配置されている


基本的には鬼門の位置に神社が配置されるのだが

北西には『妙見山萬松治寺』がある

妙見と言ったら千葉一族の北辰信仰


そしてなぜ戦国時代の城が城址跡が多いのか?というのは

江戸時代に『一国一城』制度になったから残っているのは少ないのです

石垣の石も関東は石が採れる山が限られているので

平野にある城は石垣が少ない




戦国時代の実態

江戸時代の感覚から抜け出さないと見えてこない

当時の地形とはだいぶ違うと思われる

資料が少ないだけにどれだけ想像ができるか

何も無い所に歴史は残る





















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足立区考察

2023-10-02 | 名所




足立区には奥州へ向かう

源氏の通ったとされる地が残る

「白旗」の付く地名は源氏の白い旗に由来する






「竹ノ塚」周辺なんだけど古墳群があり

古くから人々が生存している地域

大和朝廷に制圧され武蔵国となる






馬と船の埴輪から交通手段が連想される

竹塚・伊興の周辺は古代から重要な地だったと思われる

毛長川は今より広い河だったもよう





弁天池かと思っていたけど

「円墳」とのこと

現存するいのはこの公園だけで宅地開拓で消滅


竪穴式住居などはここより北西の伊興遺跡公園に保存されている

(今回はそちらに行けなかった)




それと




足立区の北東に位置する

「花畑大鷲神社」

日本武尊がこの地に寄って後に祭られるようになる

源氏も寄ったとされるので平安時代には存在している

(酉の市が有名で浅草大鷲神社のより古いといわれる)


扇子の家紋は「源義経」が使っていた

北区の平塚神社と同じ

義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号されました。


(浅草の鷲神社の家紋は月星で千葉氏が使う平家系なが気になるところ)






入口の提灯が個性的

なんと「成田山新勝寺」も奉納していた

足立区と成田を結ぶ関係は否めない


西新井大師と新勝寺を結ぶルートにこの神社は通ったのか?

参道が長かったら流山道沿いとなる

(流山の東福寺も流山道から離れているが成田山の石碑がある)


綾瀬川と毛長川と伝右川の分岐点なので水運の要地

「宿」の地名が残っているので重要なのは間違いなさそう





それから



足立区ではないが隣の八潮市の

「大曾根八幡神社」

一説では新羅三郎が寄ったとされるので大鷲神社からつながる

白旗と八幡は源氏にゆかりがある




個人的に八幡宮の八は「鳩」の形が本格派系に思える

旧町名も「八幡村」だからここが中心地だが

江戸時代は「大原」という地名が宿だったので大曾根との

関連が気になる

八幡村大原字大曾根だったのかな??

(八幡村は明治にできたもよう)






余談だけどこの神社の彫刻は素晴らしい

柴又の帝釈天くらい細かく彫られている

今まで見たことのない動物もいるのが見どころ



同じく八潮に



「八条八幡神社」は室町時代創建

源氏のゆかりは記されていないが八幡は源氏系

古くは「下妻街道」が通っており八条にも宿があった

ここから流山行くルートが流山道候補





アド街でも4位に紹介されたが

明治時代の彫刻が重要文化財として市内初となる

中川沿いにあるので水運も発展したと思われる




なぜ江戸時代に水戸街道を通らずこのルートなのかは

『関所』を通らないメリットがある

江戸川にはいくつもの『渡し』がある

もちろんその時代にはまだ『橋』はない


江戸時代以前はどうだったのか?

陸路より水路の方が主だったのではないかと思う


奈良平安時代に古代官道が整備され

鎌倉時代も鎌倉街道が整備されたが

関東は家康が来てから道が整備され江戸が開けるようになる


幕末には新撰組を追って流山に集結したルートはいかに

新撰組も綾瀬・松戸から流山へのルートが定かではない

道の考察は面白い



















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流山道(足立区)

2023-09-27 | 名所


今回は足立区にある『流山道』へ

何故ここに?

古くは西新井大師と成田山新勝寺をつなぐ大師道ともいわれる

なぜ流山?の名になっているのだろう??






現存するのは旧日光街道から花畑までの間

区画整理で道が消滅

足立区は西新井から六木まであったらしいが

その先の流山までのルートが不明




下妻街道で八条から流山へのルートだといわれるが定かではない

花畑大鷲神社の方から八潮→三郷→流山ではとも思える

八潮市には八幡村があり大原道の『大原』は八潮にある






まずは



「竹塚神社」がありここに陣と宿をとって奥州に行ったとされる

流山の駒木諏訪神社にも源氏の伝承が残る

そのルートが流山道なのではと考察する

流山から柏に行き、香取の海に出て水路で東北に行ったと推測






旧日光街道の小学校の脇の道が『流山道』

江戸から竹ノ塚までは日光奥州街道があるが

その昔は鎌倉街道や大師道も存在していた






小学校の隣に「氷川神社」と「寶積院」がある

ここに流山道の案内板が建つ

意外に道は細い







戦国時代は千葉氏の陣屋があったとのこと

隅田宿の石浜にも千葉氏の砦があったとなると

中世は千葉氏の勢力が強かったと思われる

千葉氏は平家の出で小金城の高城氏も平家の流れをくむ

相馬流山も千葉氏の分家





特に栄えている様子は見受けられないが





「大門」という大乗院の参道がある

門前町でそこそこの賑わいが記されている

1300年の歴史を持つ

(寄り道をして寺に向かう)





松戸の本土寺の参道も長いけど

ここの参道も長く時の権力者でもあったのだろうか

榛名掘りの名が気になるが

氷川神社の横に榛名神社があり富士塚のようになっていた

千葉氏が榛名山の方にも勢力を伸ばしていたのと関連はありそう






案内板によれば白蛇の伝説があり

藁で大蛇をつくる伝承が残る(じんがなわ)

流山神社の「大しめ縄」を連想させるも

辻斬りに近い模様

名前だけなら茂呂神社の「じんがらもち」も似ている







真言宗大乗院

平安時代の創建

やはり真言宗系の寺を結ぶ道は古代の道なのかも






再び流山道に戻る

道は国道4号線で分断される







回転ずしの脇を進むと

2つ目の流山道の案内板がある

成田山へ16里(64k)

榎戸は綾瀬川の内匠橋の辺りの地名でここから20町な距離





お寺が多い

玉蔵院は真言宗で戦国時代創建

この寺と公園でクランクするのも特徴


保木間の地名は、むかしこの地一帯は、低地で水難が多く、村民は小川に杭を打ち込んで保護したことから保木間と名付けられたという。






阿弥陀院も真言宗で江戸時代創建

足立区の「六阿弥陀」の一つとされる

伝承によると一本の木から6体の阿弥陀像を彫ったとされ

七福神巡りみたいに6か所めぐる詣があるもよう


足立区には六町、六月、六木と六の地名があるのも

関係が無くはないのかもしれない


余談だが

松戸市にも一本の木から3体の仏像を彫ったという弘法大師の伝承があり

根本・中根と名が残っている





西光寺は浄土宗で室町時代創建

本尊は不動明王で平安時代の作とされる

徳川の家紋がある








「成田山これより16里、榎戸迄20丁、大鳥之20丁」

大鳥が不明だけど花畑大鷲神社と思われる

さっきの案内板と距離が変わっていない





寺の横が流山道

この先に「道海道」があるも消滅

日光街道の脇道として公園に名が残る






区画整理の碑があり流山道は消滅

堤根という地名もほぼ見られない

花畑は古くは花又という地名


とりあえずここまでが現存する流山道



この先のルートが気になるも情報がない

榎戸の『不動院』も古いのでそこを通っていると思う

そこから大鷹神社に寄ると遠まわりとなり六木方面ではなく八潮の方から流山と推測

下妻道は大原道でもあるので榎戸で分岐していた


綾瀬川の水路も気になるところ

大鷲神社は『宿』の名が残り

墨田宿の次はここか宿だったかもしれない

でもそこから江戸川に出る水路はあったのかな?


・下妻道を榎戸→六木→大原→八条→流山

・旧水戸街道を葛西新宿→飯塚→猿又→二合半領→丹後→流山

・江戸→花和田→谷中→茂田井→流山→市の谷→野々下→駒木諏訪神社は諏訪道

















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2023年夏休み(2

2023-08-30 | 名所
つづき


イクスピアリ

日本じゃない異国の感じの建物

旅している気分になれる






そしてヤシの木の並木

マイアミは行ったことがないけど本場もこんな感じか

ここはマイハマ





豪華客船

タイタニック号の姉妹客船

飛行機の旅行より船の旅行の方が旅の王道だという








ビックサンダーマウンテン

富士山を見るようにテンションが上がります

角度を変えると表情が変わるのが好きです






海岸沿いを走る

自転車で海まできた

この辺から暑くなってくる






日影を探すも何も無い

ヤシの木は細すぎる

セミの声は聞こえない






この辺で海風に吹かれながら涼もうと思ったが

予想以上に暑くなった

雲が有ると日影になっていいのだが



そうだ、ホテル街しかない



ホテルが日除けになる

日影はこの通りにしかない

蚊に喰われ居心地がよくない



諦めて隣の臨海公園へ移動



橋を渡り葛西臨海公園へ

日影と自販機がある

こっちの方が快適だ




つづく





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