今回は松戸周辺の【諏訪神社】を周りました
自分の中では神話の『国譲り』が気になっています
出雲と伊勢の使いの鹿島香取が力比べをして負けた出雲の神が諏訪に逃げたという説
下総国の一の宮は『香取神宮』の伊勢系、武蔵国のほうは大国魂神社と氷川神社があり大国主を祭る出雲系
そっちにあるのは分かるのだが千葉県にあるのが気になる
今はみんな伊勢神宮の傘下なんだけど・・・・
あと源氏は『八幡と諏訪』で、平家は『八坂と厳島』に分かれているイメージ
あくまでも自分の先入観ですが
今の所そういう認識です
ではまず流山市から
駒木にある諏訪神社です
807年創建で『建御名方神(たけみなかたのかみ)』を祭っています
諏訪大社の総本社は長野県諏訪にあり
諏訪湖を中心に『上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮』の2社4宮で構成されています
諏訪大社の特徴は本殿と呼ばれる建物を持たず、山や木をご神体にする
これが古来の日本神道のスタイルで最古の神社の一つといわれます
情報によると大和から移住してきた天武天皇の高市皇子が信濃の神を祭ったのが始まりだそうです
大和といったら『大神神社』で三輪山なんじゃないかと思うのだが、なんで信濃なのでしょう
神社ではこの周辺で一番敷地面積が広く、隣の『通法山成顕寺』と関連があるようです
そして源氏
戦勝祈願に鞍を木に掛けたことからこの地域は『駒木』になったようです
それ以前はなんて名だったんだろう?
隣に駒木台と古間木(ふるまき)という地名もあります(コマキとも読める)
狛や高麗と関連があるのではとも推測し渡来系の一族なのかもと思います
通説では馬が多く生息していたので『駒』を使うようです
駒形神社も関連がありそうです
この神社は『狛犬』は多いんですけど
龍の彫刻が見当たりません
なんでだろう?今回初めて気が付きました
その昔、、真言宗と日蓮宗の争いがあったといわれます
成顕寺は真言宗から日蓮宗になったようです
おそらく真言宗との遺恨があるのではないかと推測しています
柏市へ
こちらは柏の諏訪神社
ごく普通なんですけど、お守りが個性的
ハシビロコウやカピパラが刷られているのです
理由はわかりません
特に引っかかる情報はないのですが
森の中に鎮座するのは諏訪神社に共通します
鎌倉時代の創建となるとこの旧水戸街道は鎌倉街道ではないかと思いましたが移転してきたそうです
気になるのは
『鹿島大神宮』があること
これこそ力比べの敗者と勝者
和解したという意味合いなのでしょうか
総本社では『御頭祭』という神事があるので
個人的には鹿はタブーではないかと思っています
(下社秋宮にも末社に鹿島神宮があった)
狛犬のと台座の組み合わせがある意味不自然
この岩山の台座は『獅子』がおおく、子供もいるはずなんですけど
新しくなっていなくなってしまったのか?
七五三や宮参りをする行事があるならなおさらだけど
ん、狛犬の台座に沿革が書かれている
鎌倉時代から諏訪神社はあったが、江戸時代に水戸街道が出来て街道沿線に移転して一里塚を建てたとのこと
あら、昭和三四年に『唐獅子』を献上と書いてある
旧水戸街道は江戸時代にできて、鎌倉道は別のルートか?
色合いからして新しくした時に唐獅子から狛犬になってしまったのかも
と思われます
市川市へ
市川市平田の諏訪神社
平田という武将の屋敷跡に建てたと言われます
参道が長く、やはり森の中にあります
昔、この辺りは砂洲だったようです
ここが凄いのは総本社のように『御柱』があること
本殿の周りに柱が4本立っています
本場と同じく『柱』があるのはここで初めて見ました
そうすると『御頭祭』もあるのかも?
『獅子供養』がありました
唐獅子には『牡丹』がセオリーですが紫陽花
『狛犬と諏訪神社の関連』が今回のテーマでしたが
その根拠がまだ見つかりません、でもやたら多いです
狛犬とどう関連があるのかまだ調査中
諏訪神社には狛犬と唐獅子が多いと思っています
『獅子の子落とし』タイプ
基本的に獅子の雄は子育てはしないのです
子を抱えているタイプは犬であり『安産』『子宝』の意味合いがあるといわれます
拝殿の彫刻も両方口が開いており『獅子』とのこと
口を開けているのが獅子で閉じているのが犬ともいわれます
この判別が統一されていないので難しいのです
あら?松戸にはないの??
萬満寺の横にある王子神社が『元諏訪神社』だったのでした
王子神社は熊野系なんですけど『幸江序命(さちえのみこと)』が正体不明
萬満寺自体は元は真言宗の大日寺で室町時代に臨済宗に代わりました
王子神社は一六世紀半ばに王子権現に変わった模様
行ったことのある人は気づいていると思うのですが
狛犬が多い方です(萬満寺の彫刻も狛犬が多い)
明治維新後に神仏分離で分けられたが元は同じ敷地でした
偶然というよりは諏訪神社の影響もあるのではないかと推測します
しかし、三峯神社が脇にあるので『狼』なのかもです
茶色いのは陶器製で髪がストレート
狛犬がクルクルと渦を巻いた毛なら獅子なのか
狛犬と諏訪神社の関連はいかに
(憶測では、都市伝説的の獅子をシンボルにする一族の信仰なのではと思う)
【追記】
最近寄ったら情報が変わつていました
なんと、7月の夏祭りに
『獅子の土用干し』がありました
やっぱねだけど何をするのだろう
(茶色い狛犬は『備前焼』で珍しいようです)
余談ですが
神紋の『梶の葉』の根っこの本数が四本と五本のがあります
『四本が上宮』で『五本が下宮』
という見分けたがあるのです
自分の中では神話の『国譲り』が気になっています
出雲と伊勢の使いの鹿島香取が力比べをして負けた出雲の神が諏訪に逃げたという説
下総国の一の宮は『香取神宮』の伊勢系、武蔵国のほうは大国魂神社と氷川神社があり大国主を祭る出雲系
そっちにあるのは分かるのだが千葉県にあるのが気になる
今はみんな伊勢神宮の傘下なんだけど・・・・
あと源氏は『八幡と諏訪』で、平家は『八坂と厳島』に分かれているイメージ
あくまでも自分の先入観ですが
今の所そういう認識です
ではまず流山市から
駒木にある諏訪神社です
807年創建で『建御名方神(たけみなかたのかみ)』を祭っています
諏訪大社の総本社は長野県諏訪にあり
諏訪湖を中心に『上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮』の2社4宮で構成されています
諏訪大社の特徴は本殿と呼ばれる建物を持たず、山や木をご神体にする
これが古来の日本神道のスタイルで最古の神社の一つといわれます
情報によると大和から移住してきた天武天皇の高市皇子が信濃の神を祭ったのが始まりだそうです
大和といったら『大神神社』で三輪山なんじゃないかと思うのだが、なんで信濃なのでしょう
神社ではこの周辺で一番敷地面積が広く、隣の『通法山成顕寺』と関連があるようです
そして源氏
戦勝祈願に鞍を木に掛けたことからこの地域は『駒木』になったようです
それ以前はなんて名だったんだろう?
隣に駒木台と古間木(ふるまき)という地名もあります(コマキとも読める)
狛や高麗と関連があるのではとも推測し渡来系の一族なのかもと思います
通説では馬が多く生息していたので『駒』を使うようです
駒形神社も関連がありそうです
この神社は『狛犬』は多いんですけど
龍の彫刻が見当たりません
なんでだろう?今回初めて気が付きました
その昔、、真言宗と日蓮宗の争いがあったといわれます
成顕寺は真言宗から日蓮宗になったようです
おそらく真言宗との遺恨があるのではないかと推測しています
柏市へ
こちらは柏の諏訪神社
ごく普通なんですけど、お守りが個性的
ハシビロコウやカピパラが刷られているのです
理由はわかりません
特に引っかかる情報はないのですが
森の中に鎮座するのは諏訪神社に共通します
鎌倉時代の創建となるとこの旧水戸街道は鎌倉街道ではないかと思いましたが移転してきたそうです
気になるのは
『鹿島大神宮』があること
これこそ力比べの敗者と勝者
和解したという意味合いなのでしょうか
総本社では『御頭祭』という神事があるので
個人的には鹿はタブーではないかと思っています
(下社秋宮にも末社に鹿島神宮があった)
狛犬のと台座の組み合わせがある意味不自然
この岩山の台座は『獅子』がおおく、子供もいるはずなんですけど
新しくなっていなくなってしまったのか?
七五三や宮参りをする行事があるならなおさらだけど
ん、狛犬の台座に沿革が書かれている
鎌倉時代から諏訪神社はあったが、江戸時代に水戸街道が出来て街道沿線に移転して一里塚を建てたとのこと
あら、昭和三四年に『唐獅子』を献上と書いてある
旧水戸街道は江戸時代にできて、鎌倉道は別のルートか?
色合いからして新しくした時に唐獅子から狛犬になってしまったのかも
と思われます
市川市へ
市川市平田の諏訪神社
平田という武将の屋敷跡に建てたと言われます
参道が長く、やはり森の中にあります
昔、この辺りは砂洲だったようです
ここが凄いのは総本社のように『御柱』があること
本殿の周りに柱が4本立っています
本場と同じく『柱』があるのはここで初めて見ました
そうすると『御頭祭』もあるのかも?
『獅子供養』がありました
唐獅子には『牡丹』がセオリーですが紫陽花
『狛犬と諏訪神社の関連』が今回のテーマでしたが
その根拠がまだ見つかりません、でもやたら多いです
狛犬とどう関連があるのかまだ調査中
諏訪神社には狛犬と唐獅子が多いと思っています
『獅子の子落とし』タイプ
基本的に獅子の雄は子育てはしないのです
子を抱えているタイプは犬であり『安産』『子宝』の意味合いがあるといわれます
拝殿の彫刻も両方口が開いており『獅子』とのこと
口を開けているのが獅子で閉じているのが犬ともいわれます
この判別が統一されていないので難しいのです
あら?松戸にはないの??
萬満寺の横にある王子神社が『元諏訪神社』だったのでした
王子神社は熊野系なんですけど『幸江序命(さちえのみこと)』が正体不明
萬満寺自体は元は真言宗の大日寺で室町時代に臨済宗に代わりました
王子神社は一六世紀半ばに王子権現に変わった模様
行ったことのある人は気づいていると思うのですが
狛犬が多い方です(萬満寺の彫刻も狛犬が多い)
明治維新後に神仏分離で分けられたが元は同じ敷地でした
偶然というよりは諏訪神社の影響もあるのではないかと推測します
しかし、三峯神社が脇にあるので『狼』なのかもです
茶色いのは陶器製で髪がストレート
狛犬がクルクルと渦を巻いた毛なら獅子なのか
狛犬と諏訪神社の関連はいかに
(憶測では、都市伝説的の獅子をシンボルにする一族の信仰なのではと思う)
【追記】
最近寄ったら情報が変わつていました
なんと、7月の夏祭りに
『獅子の土用干し』がありました
やっぱねだけど何をするのだろう
(茶色い狛犬は『備前焼』で珍しいようです)
余談ですが
神紋の『梶の葉』の根っこの本数が四本と五本のがあります
『四本が上宮』で『五本が下宮』
という見分けたがあるのです