ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
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ポタリングしてます。

諏訪神社考察ポタリング

2020-05-31 | 名所
今回は松戸周辺の【諏訪神社】を周りました

自分の中では神話の『国譲り』が気になっています

出雲と伊勢の使いの鹿島香取が力比べをして負けた出雲の神が諏訪に逃げたという説

下総国の一の宮は『香取神宮』の伊勢系、武蔵国のほうは大国魂神社と氷川神社があり大国主を祭る出雲系

そっちにあるのは分かるのだが千葉県にあるのが気になる

今はみんな伊勢神宮の傘下なんだけど・・・・

あと源氏は『八幡と諏訪』で、平家は『八坂と厳島』に分かれているイメージ

あくまでも自分の先入観ですが

今の所そういう認識です


ではまず流山市から



駒木にある諏訪神社です

807年創建で『建御名方神(たけみなかたのかみ)』を祭っています

諏訪大社の総本社は長野県諏訪にあり

諏訪湖を中心に『上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮』の2社4宮で構成されています


諏訪大社の特徴は本殿と呼ばれる建物を持たず、山や木をご神体にする

これが古来の日本神道のスタイルで最古の神社の一つといわれます





情報によると大和から移住してきた天武天皇の高市皇子が信濃の神を祭ったのが始まりだそうです

大和といったら『大神神社』で三輪山なんじゃないかと思うのだが、なんで信濃なのでしょう

神社ではこの周辺で一番敷地面積が広く、隣の『通法山成顕寺』と関連があるようです













そして源氏

戦勝祈願に鞍を木に掛けたことからこの地域は『駒木』になったようです

それ以前はなんて名だったんだろう?


隣に駒木台と古間木(ふるまき)という地名もあります(コマキとも読める)

狛や高麗と関連があるのではとも推測し渡来系の一族なのかもと思います

通説では馬が多く生息していたので『駒』を使うようです

駒形神社も関連がありそうです








この神社は『狛犬』は多いんですけど

龍の彫刻が見当たりません

なんでだろう?今回初めて気が付きました


その昔、、真言宗と日蓮宗の争いがあったといわれます

成顕寺は真言宗から日蓮宗になったようです

おそらく真言宗との遺恨があるのではないかと推測しています












柏市へ





こちらは柏の諏訪神社

ごく普通なんですけど、お守りが個性的

ハシビロコウやカピパラが刷られているのです

理由はわかりません





特に引っかかる情報はないのですが

森の中に鎮座するのは諏訪神社に共通します

鎌倉時代の創建となるとこの旧水戸街道は鎌倉街道ではないかと思いましたが移転してきたそうです





気になるのは

『鹿島大神宮』があること

これこそ力比べの敗者と勝者

和解したという意味合いなのでしょうか


総本社では『御頭祭』という神事があるので

個人的には鹿はタブーではないかと思っています


(下社秋宮にも末社に鹿島神宮があった)





狛犬のと台座の組み合わせがある意味不自然

この岩山の台座は『獅子』がおおく、子供もいるはずなんですけど

新しくなっていなくなってしまったのか?


七五三や宮参りをする行事があるならなおさらだけど


ん、狛犬の台座に沿革が書かれている

鎌倉時代から諏訪神社はあったが、江戸時代に水戸街道が出来て街道沿線に移転して一里塚を建てたとのこと

あら、昭和三四年に『唐獅子』を献上と書いてある


旧水戸街道は江戸時代にできて、鎌倉道は別のルートか?

色合いからして新しくした時に唐獅子から狛犬になってしまったのかも

と思われます





市川市へ





市川市平田の諏訪神社

平田という武将の屋敷跡に建てたと言われます


参道が長く、やはり森の中にあります

昔、この辺りは砂洲だったようです





ここが凄いのは総本社のように『御柱』があること

本殿の周りに柱が4本立っています


本場と同じく『柱』があるのはここで初めて見ました

そうすると『御頭祭』もあるのかも?





『獅子供養』がありました

唐獅子には『牡丹』がセオリーですが紫陽花


『狛犬と諏訪神社の関連』が今回のテーマでしたが

その根拠がまだ見つかりません、でもやたら多いです

狛犬とどう関連があるのかまだ調査中


諏訪神社には狛犬と唐獅子が多いと思っています





『獅子の子落とし』タイプ

基本的に獅子の雄は子育てはしないのです

子を抱えているタイプは犬であり『安産』『子宝』の意味合いがあるといわれます

拝殿の彫刻も両方口が開いており『獅子』とのこと

口を開けているのが獅子で閉じているのが犬ともいわれます

この判別が統一されていないので難しいのです










あら?松戸にはないの??





萬満寺の横にある王子神社が『元諏訪神社』だったのでした

王子神社は熊野系なんですけど『幸江序命(さちえのみこと)』が正体不明

萬満寺自体は元は真言宗の大日寺で室町時代に臨済宗に代わりました

王子神社は一六世紀半ばに王子権現に変わった模様







行ったことのある人は気づいていると思うのですが

狛犬が多い方です(萬満寺の彫刻も狛犬が多い)

明治維新後に神仏分離で分けられたが元は同じ敷地でした

偶然というよりは諏訪神社の影響もあるのではないかと推測します


しかし、三峯神社が脇にあるので『狼』なのかもです

茶色いのは陶器製で髪がストレート

狛犬がクルクルと渦を巻いた毛なら獅子なのか



狛犬と諏訪神社の関連はいかに


(憶測では、都市伝説的の獅子をシンボルにする一族の信仰なのではと思う)


【追記】





最近寄ったら情報が変わつていました

なんと、7月の夏祭りに

『獅子の土用干し』がありました

やっぱねだけど何をするのだろう

(茶色い狛犬は『備前焼』で珍しいようです)









余談ですが



神紋の『梶の葉』の根っこの本数が四本と五本のがあります

『四本が上宮』で『五本が下宮』

という見分けたがあるのです





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茂呂神社考察ポタリング(松戸編)

2020-05-09 | 松戸



今回は松戸市小金原にある『茂呂神社』周辺を調査しました

平安時代の本(延喜式神名帳)に載っているとなると松戸市内で最古となる

松戸市内で古いのは上本郷の風早神社と松戸の松戸神社で

お寺は小金の本土寺と馬橋の萬満寺が古い



テラスモールの方から



八ヶ崎の方から行くとちょっときつい坂道になります

小金原エリアは『谷津』という地形でアップダウンの激しいのが特徴

敵から守るにはいいかもしれないが平時には生活が大変そうです





高木村の村社となっているが昔は『栗ヶ沢村』ではないかと思われる

境内は鳥居が2つある細長いスタイル

小金原団地による宅地造成で主道も大分変ってしまった





『茂呂神社』とは大和国の三輪山(御諸山)をご神体としている古代神道系で

大国主を祭っています(松戸市の七福神には選ばれていない)

大和王権の支配地でもあるという証でもあります

灯篭の鹿は『奈良』のイメージもあるが、『お鹿狩り(おししかり)』も連想する


(他の山の神様の石碑もあり、山岳信仰色が強い)





狛犬は新しく新調されていました

水の出る『龍』のモチーフが破損しているのか個性的

拝殿の龍が2匹いるのは珍しく、

狛犬も右側が牙があり耳が尖っているのが特徴





松戸市内には水戸黄門と関わりのある神社仏閣が多くこの神社もその一つ

東側の隣の『七面神社』もその一つで、ここにも寄ったという言い伝えもある

しかし『延喜式神名帳』の式内社とは認めていないもよう


そして字名も『谷ツ口』と神社の名残がないのも不思議

近所には貝塚が二か所あり、高城氏が最初に建てた栗ヶ沢城もあるのに

水戸街道の方ではなくこっちなのかもピンとこない

昔は黄門様も歩くような大きい道があったのだろうか?


周辺を散策




南側に栗ヶ沢公園があり『若芝遺跡』であり貝塚跡

住居跡も確認されており『栗ヶ沢城』とも言われています

千葉氏と原氏は平家の流れの武士なので茂呂神社にはゆかりがなさそう

(千葉氏は大日如来と妙見菩薩)

その下の高城氏がのちに東葛地域の棟梁となりこのあたりも小金領になる

戦国時代の頃の話で、最後は大谷口城に移転し豊臣に天下統一された流れ

(高城氏は九州の出身とも言われている)



そこから西側の隣へ




『貝の花』公園

貝塚は縄文人が住んでいた土地

古墳は関西が多いけど、貝塚は千葉が一番多い



貝塚はゴミ捨て場ではなく神聖な場所だったとのこと

大昔の貨幣は『貝』を使っていたとなると凄い富の象徴にみえる

『小金『と『貝の花』は同じ意味あいなのかも


ここから茂呂神社は鬼門の方角にある

更にそこから北東には『万福寺』がある

これはレイラインか??


艮の方角へ移動



『栗澤山万福寺』

曹洞宗で1571年に開山

この寺が気になるのはあえて低地にあるところ

萬満寺もそうだけど後ろに高台があるのになぜ低地に建てたのか?


曹洞宗は高城氏の菩提寺として中金杉に広徳寺もあるので関連はありそう

この時代のお寺はお城のような役割は無かったのかな?

『お堂上』という字名が残っている



そこからさらに北東へ



『根木内稲荷神社』

稲荷神社なのに狛犬・・・狐さんが見当たらない

土用干しの土に『`』が付いているのも気になる

『初午』がないけど『御備社』のことかな





ネットの情報によると元は『30番神社』ではないかという

三十番神とは日蓮宗や天台宗が信仰している神(神仏習合)

近所に日蓮宗の寺がある

(さっきの『七面大明神』も日蓮宗と関連があるとのこと)


でも根木内と言ったら『根木内城』の縄張り

この辺の勢力図はどうなんだろう?

僧侶も第三の勢力だったといわれます


ここからは北西へ



細い坂を下る

『昌壽山了源寺』

日蓮宗なんだけど情報が無い





狛犬の土台の家紋が『五七桐』

赤い鳥居の階段を上がるとお堂もある

なんか違和感を感じる





一番印象深いのが『羅漢道』の石造

八体ありそれぞれ違う

七福神とも六地蔵とも違う(初めて見た)

そして鐘楼堂の屋根の家紋が『片喰』

なんだろう?千葉氏系には関連がなさそうな


ここから北西の方角に根木内城があり更に北西に本土寺がある

本土寺があるせいか松戸市内は日蓮宗が多い

室町幕府は臨済宗(萬満寺)を保護していたと言われる

当時を想像するには『神仏習合』を頭に入れておかないとならない





なぜ茂呂神社が松戸にあるのか?

大神神社(おおみわじんじゃ)は三輪山がご神体で神南備の御諸(みもろ)とも呼ばれ

『お酒』と『蛇』『兎』『糸』が関連しているといわれる


こじつけようとすれば、隣町の地名に『酒井根』があり

隣の『七面大明神社』には黄門様の『大蛇の伝説』があるということだけ

古代官道らしき名残がみあたらないし茜津驛としての候補としては弱い

市川の方からくる道筋もおかしい


流山の方では大和王権の人達が移り住んできたという言い伝えがあるが

こっちの方には大和らしき名残も見当たらない

(唯一『芝』運動公園というのが奈良の桜井市に見かけた地名)

(苦しいけど『粟殿(おおどの)』の粟が栗と間違えたか変えてたりして、殿内もある)





今回はここまで


























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