ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

続)墨田区一周サイクリング①

2021-06-18 | 道中


関東はまだ梅雨入りしていません

今年一番の暑さの日でしたがコンディションがいいのでGO

反対周りで墨田区一周







前回は四つ木橋でしたが今回は『新四つ木橋』からスタート

と言っても、橋から降りて土手に上がってから出発になります

ここまですでに15k消費






荒川沿いは道が広くていい

京成の八広駅は王選手の実家のそば

昔の駅名は『荒川駅』
           (王さんのコーチは荒川さん)


荒川放水路が出来た時の「四つ木橋」は駅より下流に架かっていたのでした

この辺の橋の「新」の説明はややこしいので割愛






木根川橋は元『江戸川水道橋』

この橋で『プラタモリ』のロケをやっていました


そして、さだまさし歌手の曲に『木下川橋』があります(2004年)

『木下川』とは荒川放水路が出来た時に沈んだ村の名前

木根川に名を変えて村の名を残したという経緯







左に見えるのが『かつしかハープ』

その下が『旧中川』で荒川と合流
(ちなみに江戸川ボートレース場はこの川の少し下流にある)

木下川水門を旧中川沿いに

信号機まで渡れない






旧中川沿いを走る

整備されていて気持ちがいい

なぜかスカイツリーが小さく見える






川は船やカヤックが通れる

旧中川の途中から北十間川へ

この旧中川は再び荒川放水路に出る







亀戸線を渡り北十間川(きたじっけん)

江戸時代に掘られた運河

スカイツリーの前まで続いている









「立花」と「文化」の地名がややこしい

『東あずま駅』とか『小村井駅(おむら)』は昔は『ひらい駅』とか

来月はいよいよオリンピック

2021年だけど2020年大会






十間橋を渡り横十間川へ

十間橋はスカイツリーシャッターポイントで有名

十間とは川の幅のことで

江戸に向かうのが堅川(たてかわ)で

その縦に対して流れるのが横


この辺りから町並みが、道と川の碁盤の目状になる










墨田区側は走れないので江東区側を走る

法性寺は1492年と江戸時代前からある

妙見菩薩系は平家








龍眼寺(萩の寺)に寄る

1396年と隣の亀戸天満宮より古くからある

名前の通り、目が良くなるのと萩で有名







蔵前通りを越え南下する

一説によると蔵前通か14号までが海岸線で

後は島みたいな遠浅の海だったとか

墨田区は島の付く地名が多いのはその名残らしい

江戸時代に埋めて人が住めるようになった







『亀戸銭座』

金座が今の日本銀行で銀座は銀座

ここは銭座で銭の製造場


亀戸のカメは『銭亀』だったのか?






総武線を越え『旅所橋(たびどころばし)』を渡る

ここから隅田川までがややこしい

碁盤の目なのに境界線が複雑

これぞ旅か?



つづく


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続)墨田区一周サイクリング⓶

2021-06-17 | 道中
つづき

ここまでは川沿いが境界線なので順調にこれました

ここからが碁盤の目なのに一本道ではないのです

昔から『本所』と『深川』の呼び名で親しまれてるエリアです






地図だと首都高で隠れているが

この下が『堅川(たてかわ)』です

江戸城方面に向かって流れるのが縦(たて)






墨田区側が埋め立てられ公園になってます

橋は隅田川の方から数えて一之橋、一つ目通りとかぞえ

この『松本橋』は四の橋と五の橋の中間位になる

次の牡丹橋が境界線で川沿いからジグザクに離れていくイメージ






四つ目通りからちょっと迷う

菊川橋を目指す

運送会社の上が住宅になっているんだけど

住民はこの会社関連の人達なのかな?

墨田区なのに住所は江東橋

江東区側は毛利








『菊川橋』に出る

ここが『大横川』

堅川に対しての横川

川の『十字路』が存在する



橋を渡り左折

町並みは同じに見えるので境界を探すのが大変

墨田区が菊川で江東区は森下

住所が頼りです


ちなみに、菊川駅の北口側に『遠山金次郎』の家があった





新大橋通りも境界線

(この辺で時計を無くしたはず)

この先から碁盤の目が崩れる







菊一児童公園

この一角から道が斜めになる

ちょうど亀戸との境界線の十間橋の辺りと対角にある

表鬼門と裏鬼門の関係だったりして







曲がってしまった正体は『五間掘』

六間掘もありごちゃついている

埋め立ててあるので分かりづらい






堀は清澄通りを斜めに横断

Mの字のような境界線

この角度は日本橋の方の街の角度と似ている


金庫と鍵の博物館は個人宅みたいです

セキュリティ会社のステッカーは貼っていないかも

ちなみに鼠小僧の墓はここから北の両国の回向院にある








なんとか一之橋の道に出る

この辺も難しいエリア

墨田区が千歳、江東区は新大橋

角度のある道がこの辺から多くなる







一丁目一番地は隅田川の方から付けられる

境界線は分からなくとも丁目の番号の察しは付きやすい

ここから隅田川沿いに北上する


ちなみのこの辺の江戸時代は御船蔵でした

その後、隅田川を埋めて造ったエリア

なんとなく日本橋エリアに道を合わせている気がする








墨田区は歴史案内板が充実している

一之橋を渡る前に『江島杉山神社』に寄る

(初音森神社は見逃す)







この神社の凄いのは

江の島と同じような『岩屋』があるところ

洞窟の中には蛇の置物などがある

弁財天は『蛇』が多く、水神系は亀か龍


日本三大弁天は、宝厳寺・竹生島神社(滋賀県・竹生島)、大願寺・厳島神社 (広島県・厳島)、江島神社 (神奈川県・江の島)

上野の不忍の池の弁財天は竹生島系、そしてここは江の島系

厳島系は何処でしょう?








一之橋から両国橋へ

最先端のキックボードを発見

セグウェイは普及しなかったけどどうなるんだろう?

新しいタイプも出てきているけど

映画の「バックトゥーザフューチャー」ではタイヤがない時代になっていたっけ




つづく






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続)墨田区一周サイクリング➂

2021-06-16 | 道中
つづき


大体前半13k位

墨田区は平安京をモチーフにしているのか?

江戸城周辺は『のノ字』に発展するように設定されている

墨田区は町と村のエリアが分けられていた

葛飾郡に属する





両国橋の名の由来は、武蔵国と下総国の両国に架かる橋

昔の国境はこの隅田川

墨田区は元『下総国』に属する


国と国の狭間の国境警備は大変

いつ敵が襲ってくるかわからない状況

江戸を中心にした時に国境は江戸川に移される

江戸川には下総国府の市川があるんだけど

下総の中心地は佐倉の方に移される






プラタモリ情報だと昔は浅草より両国の方が繁華街だったらしい

大火事があって浅草に移ったみたい


『猪』のオブジェの店は江戸時代の地図にも載ってる老舗名店

力士は手の付く四つ足動物は食べないと言われるが

力士以外の人は食べていたことになる


ちなみに、猪はボタン、鹿はモミジ、馬はサクラ

「ももんじ」とは百獣という意味

4つ足動物を扱う店を「ももんじ屋」と呼ぶ




『両国駅』と『両国国技館』と『大江戸博物館』

両国といったら相撲だけど

発祥みたいなのは深川八幡で回向院で興行して

ちょっと前までは蔵前国技館でやっていて

今ここが相撲のメッカとなっている経緯

地下が巨大な『焼き鳥工場』になっているのは有名


元々は軍の倉庫であり江戸時代は御竹蔵(木材と竹を保管する地)でした



両国駅は総武線の始発終着駅でした

昔の駅名は『両国橋駅』

隅田川は越えていなかったのだ


大江戸博物館は江戸を知るには重要なポイント

墨田区は博物館が多い町です

徳川家康の銅像は大江戸博物館前にある

もう一つは東京フォーラムの中

徳川は15人の将軍がいるが家康以外はないのはなぜ??






安田庭園

両国の街は寄りたい所が多くて困る

両国だけで一ネタ出来るほどの魅力

あえてスルー

刀剣博物館も気になる~





首都高下を走り続ける

前回首都高下を走ったのでスマートに進まないのは学習すみ

今回は河沿いにこだわらないで進む








厩橋を過ぎ駒形橋

『うまや』も『コマがた』も『馬』に関連している

隅田川の橋の名の地名は墨田区側に多い

蔵前橋と駒形橋はわりと新しくできた橋の部類


今は隅田川だけど江戸時代は大川と呼ばれていた

古隅田川は葛飾区と足立区の間を流れていた

墨田と隅田の違いはいかに


昔はこの道に『路面電車』が走っていた








吾嬬橋

アサヒビールは元はサッポロビール工場の跡地

この辺の成り行きはややこしく割愛



ランドマークのオブジェはウン〇ではなく『「フラムドール」(金の炎)』だとか

社員の燃える心をイメージした聖火台

通称「アサヒビールタワー」は、琥珀色の壁面ガラスと頂部の白い外壁はビールジョッキをイメージしている。とのこと。


この辺が本所と中之郷の境目

明治になると区と町と村に分けられる






墨田区役所の隣に『勝海舟』像がある

指をさしている方角が気になる

上野の西郷さんと勝さんは同じ位置で同じ方向(南)を見ている







枕橋を渡る

水門を船が通るのを初めて見た

ここは北十間川

今は旧中川と隅田川を結ぶが江戸時代は木場の方へ横川で繋がる


最初の『浅草駅』は今の『東京スカイツリー駅』の所でした

今の浅草に移動してからこっちは『業平橋駅』に変更

業平橋駅から東京スカイツリー駅となる経緯











墨田公園

元水戸徳川家の屋敷

なぜこの地に配置されているのか?

やはり重要なポイントに思うが単なる鬼門除けかも


米と木と銭が墨田区に集中している

米は年貢でお金と食料であり、木は建築材であり燃料になるとても需要な物

ここをおさえられてしまったら国が機能しなくなる

敵を攻めるのはまずここ


江戸の方は玉川上水とかが有名だけど

墨田区側の水の事情は不明

上水と下水は分けていたのかな?

亀有からひいた上水があるけど水源はどこだったんだろう

南割下水と北割下水はあったようです




公園内の『牛島神社』に寄る

元々はここから少し北から移転してきた神社

860年創建で「素戔嗚尊」を祭る

見どころの多い神社

鳥居の形が奈良の大神神社と同じ『三ツ鳥居』






方角も面白い

北を背にして南に面しているかと思いきや

微妙にズレている

丑の方角を背にしていたのだ、牛だけに








ここは『撫で牛』でも有名

関東大震災で引っ越してきたが

牛は青銅製で江戸時代から撫でられてきている

江戸時代の人と同じモノを触れるのはロマンがある





北上する

『郷土資料館』

墨田区の歴史はここで





『三囲神社』に寄る

ここもおさえたい神社

元は稲荷神社で三井財閥と関連がある






必見は本殿裏の『三つ鳥居井戸』

三柱鳥居ともいわれる

さっきの牛島神社の三つ鳥居と関連があるのか興味深い

普通の本道の鳥居は三の鳥居まである






一般的には三越デパートにあった『ライオン』と

笑顔の『狐』が有名


墨田区でライオンと言ったら歯磨き粉でお馴染みの

ライオンの本社がある







料亭通り(見番通り)

向島といったら六大花街の一つ(東京六花街)

古地図にも料理屋と記されているから凄い





弘福寺と長命寺

この裏に牛島神社がありました


弘福寺は「風邪除けの信仰を集める咳の爺婆尊」が有名

関東で鯱が観れるのも珍しいかも


長命寺は『桜餅』で有名

幼稚園と一緒になっているので入りづらい






墨堤通りに出ると

『墨田少年野球』

世界の王貞治の聖地


隣の『言問い団子』も有名

長命寺の桜餅と言問い団子となると

日本スイーツの元祖の地でもある


言問橋が国道6号で水戸街道だけど

旧水戸街道は北千住の方から水戸に行くのでした

言問橋の所に言問い団子屋さんはありません




つづく
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続)墨田区一周サイクリング⓸

2021-06-15 | 道中
つづき

墨田区には『鳩の街』と呼ばれた地帯があった

鳩の名の由来は不明だけど、墨田という町名はこの辺でした

ひょっとしたら区の中心地はこっちだったのかも

墨田区は町名が変更されているのが多い


ちなみにですが、錦糸町亀戸は副都心地となっています






子育て地蔵

『地蔵坂』は墨田区唯一の『坂』とされる

4日・14日・24日は『縁日』でおなじみの商店街がある








『白鬚神社』に寄る

951年創建で『猿田彦』を祭る

QRコードでで賽銭をするハイテクな神社






都営東白髭アパート

名前はアパートだけど団地レベル

長さは1.2k、みんな繋がっているのが特徴


『防火壁』の役割がるといわれる

横文字だと「ファイヤーウォール」

ウォール街でもある?






隅田川神社入口

ここは前回寄った神社で『水神の森』とも言われた

水の神様がいれば火を防ぎそうだけど

水害に強い

火に強いのは『愛宕神社』と『秋葉神社』が有名だが

この近所にはない







このゲートのような造りが凄い

ワンピースファンならピンとくると思うが

白鬚とゲートときたら『白ひげ』だ

その名を『エドワード・ニューゲート』

地震対策もしっかりとられている






隣へ



榎本武陽像

白ひげのオヤジさんではないです

幕末に活躍した人物で幕府側の人間だったが

能力を買われ明治政府の役人となった

この人も、勝さんと西郷さんと同じ方向を向いている






鐘が渕エリア

かなり長いが17がない?なんでだろ

鐘が渕ゲートと門には名がついていた


最近の新しいゲートと言えば

高輪ゲートウェイ駅

表裏鬼門同士の位置関係かは如何に









墨田区最北端

鐘が淵、カネボウ紡績が有名

墨田区は花王、ライオン、カネボウと化粧品メーカーが揃っている

(カネボウ化粧品は花王の傘下となるのと、クラシエのブランドに分かれる)


綾瀬川と荒川と隅田川が交わるポイント

向いの関屋という地名は霞が関と同じく古代関所の名残らしい

古代道は墨田宿からこの辺を通り北区の王子の方へ向かうルートと

高輪、大井へ向かうルートに分かれたと予想される








堀切駅の『歩道橋』が正解だが違うルートを探す

もしからしたら地図に載っていない線路を渡るルートがあるかもと進

結果、無理でした


線路際を意識していたので

多聞寺には寄れず

1573年位からあり、毘沙門天を祭る

毘沙門天と言ったら北に位置し『虎』と関連がある

しかし「狸塚」があるとか

確認したかった









東武伊勢崎線は半蔵門線と東急田園都市線と相互乗り入れ

レアなシルバーボデー車両と遭遇

東急8500系だけど8621系?

シルバーボディーは日比谷線だと思っていたが調べてみたら

このタイプは廃車になるとか?

1975年(昭和50)デビューだから45年も走ってる

反対側のは緑のラインが上にあるので半蔵門線













結局『鐘が渕駅』まで行かないと渡れなかった

この道が『古代東海道』といわれる

奈良時代の人が創って通ったとなるとロマンあり






踏切を渡り、反対側の線路沿いを進

小学校から土手に出る

土手に上がるのが大変なので下を走る







小雨が降り始めてきた

この辺は『江川善左衛門村』

墨田稲荷神社は1532年創建


四つ木橋を越えたら







ゴール

新四つ木橋(国道6号の方が実は新しく架けた橋)

26k位だけど寄り道が多かったので時間はかかった

けれど充実度は高い

最後の多聞寺に寄れなかったのは心残り

移転してきたらしいけど957年には隅田川神社のそばにあったらしい

江戸時代前から人が住んでいた地域でもある



墨田区の凄い所は江戸時代の地図に載っているところ

江戸の火事や関東大震災、東京大空襲で墨田区は焼け野原になったけど

基本的な道と水路は残っている


江戸ってどこまでなの?というのも

奉行所の管轄と寺の管轄みたいのがある(朱線と墨線)

川を越えたら江戸じゃないと思ってたけど

墨田区は江戸の部類だけど江戸っ子の定義もむずかしいとか


墨田区は狭いけど質は高く濃く深い

いい街です



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