ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

横浜RIDEⅠ

2020-03-24 | 道中


思い立ったが吉日

三県境界線の次は横浜を目標にしたんですけど

まさか無事に帰ってこれただなんて


『行けそうな気がする』

行けるところまで行けといった感じでスタート

前日の強風が嘘のようなコンディションです




欲張らずに、多摩川を越えればいいかなと予定

最短ルート重視、でも旧東海道は通りたい

基本は、『心の羅針盤にしたがう』です





国号六号線の良い所は、

自転車に乗ったまま橋を渡れるところ

他の橋は歩道橋の階段を上るスタイルが多い

自転車は原則車道なんだけど自転車通行禁止の橋がある

お尻と足を休めるには歩いた方がいいですけど





浅草の向いの向島にある『牛島神社』に寄る

天神様でないのに牛がいる

歴史は古く860年創建で牛頭天王ことスサノオウを祭っている

元々はここより北の方にあったが関東大震災で焼けて移転してきた

鬼のような牛の感じの石造がいいです


(古代隅田驛はさらに上流、浅草の向こうの更に隅の位置)





向島の桜まつりは自粛のようです

写真は新種の桜の『雅』

天皇家の雅子さまにちなんでの命名

山桜と寒緋桜の自然配合だとか





所変わって日本橋人形町

『大門通り』とは最初の吉原はこの辺にあったとのこと

今の浅草にあるのは『新吉原』、

旧はこの地だったので元吉原なのです

その後は、富沢町として古着屋で賑わっていたようです





日本橋から『新橋』へ

新橋はモダンジャズなイメージ

新しい字が付くけど古くからある街みたいな


新橋は江戸時代前は海はだった土地

埋め立てて新しく橋をかけてできた町

江戸時代も十分古いけど、それ以前から文明はあるので

新しい方の部類になってしまいます

(〇〇新田の新も江戸時代に造った田圃のこと)





新橋で寄りたいのは『イタリア街』

今、本物のイタリアは大変なことになってます


機関車時代に回転台があった場所です

JRAのウインズ前


(当時の新橋駅は帰りに寄りました)





第一京浜を走る

旧東海道は今の15号、今の国道1号ではないのです


『御田八幡宮』

今回は寄れなかったのですが709年創建

この道より右側は高台になっています





『高輪ゲートウェイ駅』

駅前はこれからですが駅は完成しました

最終的には品川駅と一体化された街になるようです


50年ぶりの山手線新駅です(西日暮里以来)


高輪も古代からあった驛の一つ

桜田門から高輪を通り五反田の中原道で丸子橋のルートが有力とされている

更級日記の竹芝寺(濟海寺)はこの辺りと推測される





『品川駅』

品川なのに港区

品川区の中心は品川駅ではないのです

ここは北品川の更に北なのでした


日本初の鉄道は、明治5年の新橋横浜間と言われているが

本当は品川横浜間が最初だったともいわれます(仮開業)

横浜駅とは今の桜木町駅で、今の新橋駅は烏森駅でした


余談ですが、品川といえば、品川ナンバー

この町の車は当たり前に『品川ナンバー』

軽自動車も高級車に見えます


つづく





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横浜RIDEⅡ

2020-03-23 | 道中
つづき



品川宿は寄り所満載な街

一つ一つ神社仏閣に寄っていたのでは時間が足りなくなるくらい

直観(フォース)を信じ寄るように走る


(今まで寺町のイメージが全くなかった)





八つ山橋

ゴジラが初上陸したのはここの辺りらしい

この先、京浜急行沿いに走るようになる





旧東海道沿いに行く予定が、八ッ山通りを走ってしまった

そのお陰で、『クジラ塚』を観る事が出来た

こういうのも旅の醍醐味

品川の漁師町の名残も観れてよかったです





ここが鯨塚

『利田神社(かがた)』に寄る

もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で江戸時代のモノ

鯨といったら千葉県の和田町だけど品川に鯨文化があったのは驚き





品川宿場町での休憩(品川橋)

この目黒川で北と南に分かれる

千住宿でいう隅田川みたいなポイント

テイクアウトの弁当が崩れていた





食後に『荏原神社』に寄る

この神社は凄かった、『龍』が素晴らしい

創立709年、江戸時代にこの地に移転しているが

川の氾濫で南品川から北品川になってしまう経緯をもつ

府中の大國魂神社とも「関連がある」のです、品川道とか

(西品川の貴船神社が元の場所とも)





偶然かと思っていたけど神秘的な体験

写真に写る光の玉、逆光だからなんだけどそうでもない所にも入り込む

ネットで調べるも同じ現象を見る





見学を終え旧街道に戻る

当時の道幅のままらしい

池上通が鎌倉時代の『下総道』で

中原街道が『古代東海道』と推測されている

池上道はここから始まる





『品川寺(ほんせんじ)』に寄る

浅草の『浅草寺(せんそうじ)』と似たような呼称

創立806年と品川区で最古の寺(空海の真言宗)








再び旧東海道を走ると『龍馬像』への道しるべ

こういうのがあると見落としが少なくて済む

やはり現場の生情報を大切にしたい





『龍馬像』

本来は19歳の頃だけど、写真を撮った時のポーズがモチーフ

立会川の近くに土佐藩屋敷があったのがゆかり





本線に戻る

『泪橋』がここにもあるのは初耳

仕置場が近いからだけど、本来は浜川橋とよぶ

立会川だけど





『鈴ヶ森刑場』

南千住の小塚原刑場と同じ

江戸の刑場は、元々「北の浅草」「南の芝」の二箇所に設けられていてその地に移転したようです


古代大井驛はここから西の大井6丁目付近

池上通の鹿島神社・来迎院(969年創建)の辺り

品川区歴史館へ行きたい



つづく


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横浜RIDEⅢ

2020-03-22 | 道中
つづき



旧東海道から15号へ

15号は第一京浜とよばれるが基本は旧東海道

新しいのは国道一号線

時代とともに東海道のルートは変わる


大森から大田区に入る

大森の『大』と鎌田の『田』で『大田区』となったとか

多摩川を目指す





大森海岸というように旧東海道は海沿いのルート

現代は埋立でかなり内陸になったから実感がわかない


大森貝塚が有名

明治10年にアメリカ人のモースが汽車の中から発見したとされる

ここが日本考古学の発祥で縄文文化の発見とも言われる

本郷の弥生文化も東京での発見で命名された

家康が江戸に入る前のには古代文明があったと推測される


再び旧東海道へ





のんびり走るには旧道がいい

環七はこの辺を通っている

再び15号へ






この辺りから海から離れて進む

個人的に『大田区立体育館』はプロレスの聖地に思っています

新日本プロレスの旗揚げはここで猪木vsカールゴッチ戦が有名

他にも生中継でここ大田区体育館の名を聞く名勝負があります


京急蒲田駅まできた




環八を越え六郷神社へ

大田区は道が広く自転車が走りやすい

この辺りは六郷と呼ばれいるが八幡塚とも呼ばれる







『六郷神社』に寄るも、全体の写真を撮るのを忘れた


結構広い、新築されているが1057年創建

元々は八幡宮で源氏にゆかりがある

見どころはこの狛犬、区内最古だがユニーク


家康がこの東海道ルートを作ったと思っていたが

源氏も古くから関わっているとなると・・・川崎大師も古いみたいだし

平安時代からある道なのかな?

東海道の海は海だから水上ルートだった可能性もある





いよいよ多摩川越え

思ったより土手は低い

タマリバーがルー語に思えた(やぶからスティクみたいな)


最低限の目標はココ、多摩川

横浜まで行けたら最高

川崎で帰ろうか、体と相談





『初神奈川県』

多摩川は意外に狭く河川敷が広く感じた

神奈川という川はあるんだろうか?と気になる


神奈川の崎・・・多摩川の崎・・・





川崎側は堤防になっていた

東京と神奈川とでは高さが違うのかな?土手のスタイルが違う

江戸時代初期は橋があったらしいけど、しょっちゅう流されるので渡船スタイルに変わる

東海道はずっと陸続きかと思っていたが愛知県の辺りも船を利用していた

ここが渡し船でも問題はない


この辺りで約4時間半

3県境界編の関宿みたいな感じ

進むも勇気、退くも勇気


つづく

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横浜RIDEⅣ

2020-03-21 | 道中
つづき




橋を下ると親切な道案内

ようこそ川崎宿へ

『川崎宿』到着

松戸宿より開けている感じがした


今回は、ここで引き返そうとしたが

『せっかくここまで来た』という思いがぶつかる

次はいつこれるかは保証はない

足はまだ持ちそう

けど時間が・・・(今は2時くらい)

・・・考えながら少し走る(暗くなるまでには帰りたい)





川崎はビルが多く都会な雰囲気

松戸宿の方はは多少古民家が残る

個人的に、川崎・川口・松戸は同じポジションに思っていた

(川1つで東京都と堺)

けれど、川崎と川口は元武蔵国で松戸は下総国だった


距離的には前回の関宿の感じ

あと1時間位と読んだ

いざ横浜、

行くことにした(せっかくという思いが勝る)

川崎はまたこれそう




八丁畷駅から15号へ

旧東海道は直進だった

第一京浜は広くていい





鶴見橋を渡ると

『国道駅』というのが気になった

ここは国道15号だったんだと知る





おっ

大好物・・・けど我慢して帰りに寄るようにした

鶴見はA猪木の生家と記憶している





生麦町は『生麦事件』が歴史的有名

生麦と言ったらビールでしょ!と思っていたら

本当にビール工場があった

旧道とはこの辺で合流





東神奈川、元宿場町

昔、原チャリで来た時、川崎あたりからエンジンがオーバーフローしだし

ここから押して中華街まで歩いた記憶がある

修理屋さんを探しながら歩いたらそこまで行ってしまった

なんとか家に帰れたが歯が真っ黒になってた思い出がある





矢印に向かって進むと別世界が

海(港)に来た感が出た、昔はここはなく横浜駅前を通ったと記憶する

駅前に浮浪者が多いのが印象的だった





予想通り1時間でこれた

時間との闘い、くつろげない

横浜と言えば何処の横浜なんだろう?中途半端で帰るのはもったいない

横浜のランドマークタワーはおさえた





日本丸、そして観覧車

横浜ぽさに酔いしれるも、帰りが気になる

やっぱ港に出ないと


横浜市もかなり広い

浜沿いでない地域でも横浜出身と名乗るらしい

鶴見区に入ったら横浜市なのでそこで引き返しても

とりあえず横浜まで行ってきたことになったんだろうか?

横浜の定義は難しい

つづく





昔は横浜まで武蔵の国だったようです

明治初期はまだ赤レンガ倉庫は海

鉄道は元横浜駅の桜木町駅まででした(明治5年)

新港町というように後から埋め立て

明治44年以降に横濱港駅プラットホームが完成
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横浜RIDEⅤ

2020-03-20 | 道中
つづき




赤レンガに向かう

山下公園と中華街は諦める

思いついたのが汽車のプラットホーム

そこが鉄道の終点





赤レンガ街は思った以上に人がいた

着物を着た人は日本語を話していた

撮影をしている人もいた


港を眺める

ベイブリッチとマリンタワーを確認

コレも横浜のシンボル





ベイブリッチには噂の豪華客船か?

ブリッチの高さが合わないようにも見える

横浜は飛行機の無い時代の『海の玄関』

そこから汽車で首都東京へ乗り継いで行くのです





その船から鉄道に乗り変えるのがこのプラットホーム

鉄道の最初は新橋・横浜間だが横浜は桜木町のこと

ここはその後に開通しています



せっかくの横浜だけどトンボ返り

着いたとたん帰りの事を考える.

家に着くまでがサイクリング

(3時半発)




帰りは港の内側の道を走る

市場にもディープスポットがあった

新しい綺麗な建物より古い廃墟な建物の方が刺激が強い






東神奈川も宿場町だったが名残が感じられなかった

浮世絵には載っている名所


東京28k、川崎9k

入江という所が低くなっていてちょっとした坂道

橋もほぼ平坦で走りやすい





そして例の鶴見線の『国道駅』に寄る

凄い、この景色

この色合いは時間がないと創れない

廃れているんだけど骨董のような『育ち』を感じる

使い込まなけばこの感じは出ない

個人的に芸術の領域に思う





川崎で撮れなかったもの

先客がいてこの写真をずっと見ていた

歴史好きじゃないような人だったけど見入っていた


帰りは見落としを改修する作業がある

一本本線を外したが川崎の風俗街は北千住や品川以上に盛んでした





『多摩川』

堤防沿いまで線路がありました

マンションも多く建っていると地盤はいいのかもしれない


約二時間半でここに戻る

ここから日本橋へは2時間位


つづく




心残りは、神奈川県の旧東海道を見落としたこと

旧東海道で神奈川宿まで行けたのでした

川崎宿ももう少し寄りたかったが

ここにいたら横浜には行けなくなると思ったほど

これが初自転車で神奈川でした
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横浜RIDEⅥ

2020-03-19 | 道中
つづき



帰りは第一京浜を走る


京浜急行の蒲田駅

なんか高い所を電車が走る

モノレール以外は京浜急行が羽田空港に乗り入れている

北総線もここに相互乗り入れしてます





『磐井神社』に寄る

(別名、鈴ヶ森八幡宮、源氏ゆかり)

時間が無いけどなんか、なんか引き寄せられる魅力を感じました

ここは狛犬の子が『3匹』いるのが特徴


起源は537年と聖徳太子より古く

859年には武蔵国の八幡社の総社に位置付けられてました

浅草寺(628)より古い、都内最古クラスだが

ネットでは起源と磐井の名の由来が書かれていない





『品川神社』にも寄る(往きには寄れなかった)

ここはおさえないといけないスポット

この入口の鳥居の龍が見どころ

左には富士塚、都内最大級クラス

見どころ満載で、創立1187年、

八幡宮以外の源氏ゆかり系





この時間帯で階段を上るのは辛い

けど来た甲斐はあった

狛犬が陶器でできてのは馬橋の王子神社で見かけた

手水舎に河童がいるのはお初

龍づくしなのかと思いきやバラエティー豊か





富士山信仰もここまでこったのは観たことが無い

文字と記号みたいのが多い


カエルは将門神社で観られるが、こは源氏系

無事に帰れるのは自転車乗りにには大事






『八ツ山橋』

この看板も見落としていた

写真に撮り家で観るようにしている

品川宿周辺は想像以上に寺が多い町




品川駅にはラーメン街があった

休憩を兼ねて食べたかったけど自転車の停める場所が見当たらない

『札の辻』

ここは見た目より過去がディープ

元々の処刑場で鈴ヶ森に移転したとされる地





『新橋停車場』に到着

これで横浜~新橋間を自転車で走り切りました

(明治5年開業で、今の新橋駅とは違い場所)


寄り道時間を抜けば2時間位、

当時の汽車はノンストップで53分とのこと

ここからさらに松戸までは更に2時間かかる





夜の江戸川と違い都会は明るくて飽きない

道のライトアップも新しくなっていた

自転車専用レーンがあっていい





『日本橋』

往きには通らなかったけど、日本橋・横浜間は30k

道の起点はやはり日本橋


橋の中央の彫刻像は『麒麟』

今のドラマによると『麒麟は平和になった世にくる』とのこと

キリンビールの麒麟のデザインとは違う

ちなみに、東京駅の方には動物のキリン像がある


(都市伝説的には坂本龍馬の竜と馬を合わせたのが麒麟で
麒麟麦酒もフリーメイソンのサインとも言われている()




スカイツリーのライトが今まで見たことのないパターンだった

東京のシンボルはスカイツリーになるのかな


『松戸』のシンボルマークはこのビックハット

個人的にここが松戸の正面玄関の景色に思う

時刻は8時少し前

買い物をして家路へ

お疲れさまでした(フィニッシュ)





なんとか無事に帰えれました

片道5時間コース(往復約110k位)

時間にしたら過去に走りました(10時間以上寄り道入れて)

今回は長過ぎて横浜の実感が薄らいでいます

寄り残したところがあるのでもう一度行ってみたいです

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