ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

足立区一周サイクリングⅠ

2021-05-15 | 道中


今回は前回の反対周り(左回り)

出発点は同じなのですがトータル距離に差が出ました(1時間半位)

前回取りこぼしたところは回収できました


一周約60k、自宅からだと10時間コース

いや~疲れました

天候も良く、日が長くなったのでよかったです



まずは『中川橋』からスタート


自宅から中川まで約10kちょっと

10時ごろ出発(メーターを0にする)

風はなく曇りで小雨が降りそうな涼しいコンディション





中川沿いを北上

途中で車は通れなくなる

飯塚橋を越える






昔の金八先生のシュウの家は中川沿いにあったらしいが場所が分からず

土手より低い位置の家なのだが・・・

六木水門を越える




『神明六木遊歩道』は通れないので

埼玉県側を走る

『垳川(がけがわ)』に沿って西へ向かう





『ふれあい桜橋』を越える

リアルなペインティングが印象的

この橋から大谷田交差点まで桜並木が続く





首都高速まで埼玉側を走る

垳川の足立区側は自転車は通れない

八潮市は『つくばエクスプレス』が初の鉄道開通





『浮花橋』から東京に入る

交通量のある狭い道

『綾瀬川』沿いを走る

(ここから先はしばらく橋が無いので注意)





川の交差点に来る

この辺が『花畑(はなはた)』の中心地

後で寄るが『大鷲神社(おおとり)』は平安時代からあるとされる

『酉の市』発祥の地ともいわれる





桑袋大橋を渡り『花畑八丁目』エリアへ

前回取り残したエリア

飛び地というか境界線が特殊




川が氾濫し住むのは難しかった模様

この辺を通って源氏が奥州に行ったのは船なのか馬なのか?

日本武尊の伝承もあるので交通の要かも??





なんとなく雰囲気が独特なような

団地も多いので人口は多そう

草加市を通りまた東京へ





『大鷲さくら橋』を渡り右折

この辺りから『毛長川』


『大鷲神社』は以前に撮った写真





浅草にも『鷲神社』があるが神紋が違います

浅草は月星と九曜紋で、花畑は扇子に日の丸

どちらも『日本武尊』を祭っているが

平家と源氏の違いにも思える

両者とも『酉の市発祥の社』とうたう


『鷲宿』という地名もあるので重要な地に思える







中川・垳川編でした

つづく
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足立区一周サイクリングⅡ

2021-05-14 | 道中
つづき(毛長川編)

スタートから一時間半位

花畑は8丁目まであり南花畑も5丁目まであり広い

足立区最北の地は東京都の最北の地となる

(北区より北に位置している)







毛長公園は整備中

この辺の人の最寄り駅は埼玉県の『谷塚駅』が近い

埼玉も元々は武蔵の国なので問題ではない



『武蔵の路』に入るも



すぐに行き止まり

国道四号が横断できないので迂回

(この辺りは難所で学習が必要)

自力でまた毛長川沿いに戻る






東武線のパスは川沿いがスマート

前回は清掃工場に阻まれ遠回り

竹ノ塚エリアは学習が必要







毛長橋を渡り『毛長神社』へ

毛長川の名前の由来となっている神社

足立区ではなく草加市にある






なんとなくだけどここに来ると毛が長く伸びそうなイメージ

女性が祀られているので男性には好意的なのかも

新里町だけど江戸時代より前にあるから古い方






再び毛長川沿いに戻る

埼玉側の方が次のアプローチがスムーズも

舎人二ツ橋まで行ってしまった



修正してホームセンターへ



ここでランチ

『つけ麵チャーハン』

炭水化物X炭水化物はスタミナの源





ここも取り残しエリア(足立区最北端)

『舎人(とねり)』も飛び地が存在する

厳密にいうと川が境界線ではない





首都高を越えた次が境界線

この辺は複雑なので前回は省略

二回目だとなんとなく状況がつかみやすい



毛長川から新芝川へ向かう



ホテルとゴルフ練習所と衛生センターが目印

埼玉と東京の道路標識が2つ存在する

これをおさえればOK






難しいと言いつつも、ここはまだ道が境界線

他は道でない所が境界線もある

足立区の大半は『川』が境界線ですけど





新芝川沿いを走る

このまま行けば荒川に出るんだけど

この辺りの境界線は単純ではないのです






この辺から首都高が境界線になるのだが

土手からは降りられず新芝川橋から東京に入る

『北足立市場』はここの近く(舎人公園の隣)

足立区は市場が2か所ある




この辺で三時間位




首都高の下を走る

川口市の一部が足立区に入り込んでいる感じ

加賀とか入谷とか、他所にもある地名がある

(入谷は9丁目まである)






川口市のこの辺が『ほぼ東京』というのはうなずけるくくり

団地と工業地帯が隔離されている

境界線の道はないエリア

花畑8もこんな感じのくくり






再び首都高下の境界線から川へ向かう

川口市がここまで浸食(東領家)

足立区には『谷在家』があるけど関連はいかに





新芝川から荒川へ

対岸に東京の飛び地が存在する

この辺は『鹿浜』で8丁目まである


23区内で他県と接している区といない区はどっちが多いんだろう

(葛飾区は千葉と埼玉の2県に隣接してる)





『農業公園』で休憩

ソフトクリームを食べて古民家を見学


アウトドアのキャンプではなく、インドアの古民家が究極に思えた

竈の料理と囲炉裏で食事とか

電気のない原始的な生活

あえて不便を愉しむみたいな

古民家自体キャンプ生活みたいな

ちょっとあこがれ







荒川からリスタート

荒川サイクリングロードは、葛西臨海公園から熊谷の方まで行けるらしい


ただ自転車道の整備状況を踏まえると、武蔵丘陵森林公園までの区間が、サイクリングロードとして走るのには最適です。距離は東京区間が30キロ、埼玉区間は45キロ、総距離はおよそ75~80キロです。


『鹿浜橋』を渡り隅田川へ





海から20k地点

ここからが『墨田川』の始まり

この先は『新河岸川』で川越まで行く

記念撮影、埼玉の飛び地アリ


出発から四時間位、30k



つづく
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足立区一周サイクリングⅢ

2021-05-13 | 道中
つづき(隅田川編)

後半戦

約4時間経過

隅田川はサイクリングロードが少ないので境界線を走るのが困難

ここも荒川だけど荒川・綾瀬川を目指す






荒川から隅田川へ

このエリアも隔離された街

『新田』というように昔は水田地域


堤防に囲まれていると『進撃の巨人』を思い出す

塀の外の世界を知らないで一生を過ごす人はいるのか

高校まであるからありえそう





隅田川沿いにはテラスが存在し自転車は通れない

『新豊橋』を渡り北区側を走る

走りやすい方を走る






『豊島橋』から足立区に入る

ここからさらに川沿いは走れなくなる

下水処理所の裏は通行止めで走れない





宮城エリア

もう紫陽花が咲いていたのに驚く

荒川商業高校から再び川沿いを走る(足立区に荒川の高校?)




昔はこの辺は陸の孤島とされてたてらしい

『舎人ライナー』が出来て大分変ったもよう

荒川と隅田川に挟まれた狭いエリア





舎人ライナーの小台駅を越えるも道がなくなる

自力で荒川の方の道に出る

小台の道は難所





土手の上は自転車は通行不可

この辺も工場地帯

足立区は工場と団地のイメージが強い


北千住エリアに入る



このエリアも川沿いは走れない

『墨堤通り』を走る

ここに『元宿掘』があり隅田川からこの道まで入り込んでいた

葛飾北斎がここで絵を描いた場所


『元宿』とは北千住が宿場町になる前の宿場町

堤墨通りは『旧鎌倉街道』と言われる

神社は隣に移転






『元宿堰稲荷神社』

ここに『オバケ煙突』の石碑が唯一のこる

跡地は大学になった






墨堤通りは名前通り少し高い位置にあり尾根のよう

堤防の役割があり両サイドが低くなっている地形

隅田川方面へ行く


千住緑町


ココが千代田線の『緑町B換気室』

この下に地下鉄が走る(Aもあるのかな)

上りと下りが別ルートなのが疑問

用地買収が出来なかったというけど納得いかない


鉄道繋がりで幻の駅へ


踏切周辺あたりと思うのだが面影はなし

線路沿いにある敷地がもしかしたらそうかも

『千住大橋駅』から300mの距離だったとのこと




京成電鉄の千住大橋駅の次に『西千住駅』があったようです

1935年に開設して12年間で廃駅になったもよう

知っている人は少ないかも

(2019年のアド街ック天国の『千住大橋』で放送)





ショッピングモールには寄らず『千住大橋』へ

この辺は再開発宅地

(926年創建の橋戸神社には寄りました)





松尾芭蕉の通った跡は今のドラマのロケ地みたいなもの?

俳句の舞台になっている

『行春や鳥啼き魚の目は泪』

(見送りに来た友との別れを詠んだ句)






『足立市場』の脇の路を進む

千住は宿場町だけど『やっちゃば』とっいった市場も有名

千住大橋は隅田川にかかった最初の橋(1594年)


大橋といったらここしかないので橋には千住の名は付かない

60年後くらいに両国に橋が架かる

日本橋が誕生したのは慶長8年(1603年)






このエリアも川沿いには走れない

なるべく境界線に近い道を走る

(前回は荒川区の方を走った)

北千住駅と牛田駅の間に『中千住駅』が昭和28年まで存在

昭和62年までは名残があったもよう






関屋町は工業地域です

なるほど

引き込み線も何本か入っていたようです

墨堤通りに出る






川の手通りを越え金八エリアへ(千住曙町)

『堀切駅』は足立区

荒川放水路が出来てから今の場所に移転

堀切駅の歩道橋が墨田区との境界線みたいなもの

昔の堀切橋は今の首都高の所に架かっていた

綾瀬川はここから花畑へ通じてる

墨田宿から船で花畑へ行ったと思う

元宿も新宿(にいじゅく)も江戸時代前からある宿







旧桜中前に行く

今は大学になったがここが金八先生のロケ地

葛飾区がこち亀と寅さんとキャプテン翼なら

足立区は金八先生じゃないだろうか?

銅像はできないのかな?






例の『ラーメン屋さん』に行く

まだあった

この辺は鉄道ジャングル

牛田駅と関屋駅に挟まれている

駅の場内案内が聞こえてくる距離




1.7mのガード下もよくTVに出てきたシーン(昔は1.8)

175cmの自分も立てるからもう少し高いかも

ここより低いガード下はモヤさまで紹介されていた

ラーメン屋さんに唯一『金八先生』の名残がある

さすがに記憶も薄れてきている(初期は40年前)







堀切橋で荒川を渡る

荒川を越えるのは千住新大橋と堀切橋

荒川土手も行きたかったが

この辺で6時間過ぎた


マッチが長ランを着て歩いた土手や外人がマラソンしている土手

ドラマのオープニングの道もおさえたかったが・・・





つづく
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足立区一周サイクリングⅣ

2021-05-12 | 道中
つづき(古隅田川編)

堀切橋を渡ると葛飾区堀切

前回取り残した小菅エリアに行く

出発して6時間半






堀切橋から小菅ジャンクション下へ

前回は水戸橋から堀切橋を渡ってしまった

東京留置所は足立区だと勘違い(葛飾区でした)

ここから一旦荒川沿いを北上するのが正規ルート






『東京留置所正門前』

留置所が建つ前は『小菅御殿』と呼ばれていた伊奈家の屋敷

伊奈家は利根川を銚子の方に掘った一族

それまでの利根川は江戸湾に流れていたので

江東区江戸川区は海の中

中川が古利根川と呼ばれるのはその名残

江戸川もその頃できた

家康が江戸に来るまでは足立区、葛飾区、墨田区も湿地帯や島状態

人が住めるような土地ではなかったと言われたゆえん







小菅万緑公園から古隅田川沿いを走る

荒川は江戸時代以降に人工に掘られた河なので

今と昔では地形が違う

足立区と葛飾区の境界線は昔は古隅田川

古くは武蔵と下総の境界線だった時代もある






綾瀬川を渡る

綾瀬が足立区で小菅は葛飾区


ここより北側の方に新選組が流山に入る前に寄ったとされる

『五兵衛新田』の屋敷がある

新選組をかくまってもおとがめはなしだったのか

どういった関係だったのだろうか




首都高下を南下し水戸橋方面へ

首都高は小菅JCで2つに分かれている

古隅田川は暗渠になり一部見失う

旧日光街道の手前の道を左折する






このエリアは古隅田川沿いに進むのかと思いきや

綾瀬駅まで道なりに進む

昔は綾瀬駅の裏まで川が流れるルートでした


今の綾瀬駅は元は西側にあって移動した経緯

千代田線開通し、北綾瀬駅が出来た時に移動したもよう

0番ホームがある


北千住駅と綾瀬駅は足立区




北口のコッペパン屋さんが気になり寄る

お土産として持ち帰ったら旨し

パサパサでないもっちり系のコッペパン、写真は無し


南口の駐輪場沿いが境界線

南下する

ここも探すのは難しい





この辺は川が暗渠されている

道が直線でないのは川の名残

川が蛇行しているのは、川の流れを緩やかにするためらしい






ここから中川まで、川を埋めた道を進む

アスファルトが出来てから埋めたと思うけど

元々あった水は何処に行ったのか?







所々川だった名残がいい

河だったところは地盤は低い

水は高い所から低い所に流れるのが基本






再び常磐線をくぐる

直線ならたいした距離ではないのだが

曲線で進むのがここの境界線の特徴

左が足立区で右が葛飾区、いいね♪





何だかんだ、旧水戸街道と似たような方向に進む

このルートは古くから主要だったのか?

鉄道も旧街道沿いに整備されている





私見だけど、道が整備される前は馬より船が主流だったと思う

関東で馬車が発達しなかったのは、湿地帯でぬかるみが多かったから

関東は水運文化ではないかと推測する


関所は『道』にはあるが『川』にはあったのだろうか?

渡し船は自由に移動できたかのか謎

車じゃないけど船を持てるのは限られた人







道沿いにある四角い石は『橋』の名残

ここに橋がありましたという

船が通れるほど深かったのか?

葛飾区が武蔵国になってから橋が出来たと思う

江戸時代には水戸街道が主になり

古隅田川は衰退したのかも






狭い路地が続く

これが『古隅田川』

軍用金伝説もある



また常磐線をくぐる






大型ショッピングモールまで来た

ほぼゴール、元は紙工場跡地

日立製作工場の方には引き込み線があった





マンションの間が境界線

中川に向かう

中川は足立区で、亀有は葛飾区






ゴール

惜しい、60k弱

5時45分頃到着






200mほど移動

だいたい60k、7時間45分、約8時間弱

自宅から計算すると10時間、80kコース

前回とは1時間半くらい差が出た


こっから更に家まで1時間

さすがに疲れた

事故が無かったのでなにより

いい走りでした



足立区完
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