つづき(隅田川編)
後半戦
約4時間経過
隅田川はサイクリングロードが少ないので境界線を走るのが困難
ここも荒川だけど荒川・綾瀬川を目指す
荒川から隅田川へ
このエリアも隔離された街
『新田』というように昔は水田地域
堤防に囲まれていると『進撃の巨人』を思い出す
塀の外の世界を知らないで一生を過ごす人はいるのか
高校まであるからありえそう
隅田川沿いにはテラスが存在し自転車は通れない
『新豊橋』を渡り北区側を走る
走りやすい方を走る
『豊島橋』から足立区に入る
ここからさらに川沿いは走れなくなる
下水処理所の裏は通行止めで走れない
宮城エリア
もう紫陽花が咲いていたのに驚く
荒川商業高校から再び川沿いを走る(足立区に荒川の高校?)
昔はこの辺は陸の孤島とされてたてらしい
『舎人ライナー』が出来て大分変ったもよう
荒川と隅田川に挟まれた狭いエリア
舎人ライナーの小台駅を越えるも道がなくなる
自力で荒川の方の道に出る
小台の道は難所
土手の上は自転車は通行不可
この辺も工場地帯
足立区は工場と団地のイメージが強い
北千住エリアに入る
このエリアも川沿いは走れない
『墨堤通り』を走る
ここに『元宿掘』があり隅田川からこの道まで入り込んでいた
葛飾北斎がここで絵を描いた場所
『元宿』とは北千住が宿場町になる前の宿場町
堤墨通りは『旧鎌倉街道』と言われる
神社は隣に移転
『元宿堰稲荷神社』
ここに『オバケ煙突』の石碑が唯一のこる
跡地は大学になった
墨堤通りは名前通り少し高い位置にあり尾根のよう
堤防の役割があり両サイドが低くなっている地形
隅田川方面へ行く
千住緑町
ココが千代田線の『緑町B換気室』
この下に地下鉄が走る(Aもあるのかな)
上りと下りが別ルートなのが疑問
用地買収が出来なかったというけど納得いかない
鉄道繋がりで幻の駅へ
踏切周辺あたりと思うのだが面影はなし
線路沿いにある敷地がもしかしたらそうかも
『千住大橋駅』から300mの距離だったとのこと
京成電鉄の千住大橋駅の次に『西千住駅』があったようです
1935年に開設して12年間で廃駅になったもよう
知っている人は少ないかも
(2019年のアド街ック天国の『千住大橋』で放送)
ショッピングモールには寄らず『千住大橋』へ
この辺は再開発宅地
(926年創建の橋戸神社には寄りました)
松尾芭蕉の通った跡は今のドラマのロケ地みたいなもの?
俳句の舞台になっている
『行春や鳥啼き魚の目は泪』
(見送りに来た友との別れを詠んだ句)
『足立市場』の脇の路を進む
千住は宿場町だけど『やっちゃば』とっいった市場も有名
千住大橋は隅田川にかかった最初の橋(1594年)
大橋といったらここしかないので橋には千住の名は付かない
60年後くらいに両国に橋が架かる
日本橋が誕生したのは慶長8年(1603年)
このエリアも川沿いには走れない
なるべく境界線に近い道を走る
(前回は荒川区の方を走った)
北千住駅と牛田駅の間に『中千住駅』が昭和28年まで存在
昭和62年までは名残があったもよう
関屋町は工業地域です
なるほど
引き込み線も何本か入っていたようです
墨堤通りに出る
川の手通りを越え金八エリアへ(千住曙町)
『堀切駅』は足立区
荒川放水路が出来てから今の場所に移転
堀切駅の歩道橋が墨田区との境界線みたいなもの
昔の堀切橋は今の首都高の所に架かっていた
綾瀬川はここから花畑へ通じてる
墨田宿から船で花畑へ行ったと思う
元宿も新宿(にいじゅく)も江戸時代前からある宿
旧桜中前に行く
今は大学になったがここが金八先生のロケ地
葛飾区がこち亀と寅さんとキャプテン翼なら
足立区は金八先生じゃないだろうか?
銅像はできないのかな?
例の『ラーメン屋さん』に行く
まだあった
この辺は鉄道ジャングル
牛田駅と関屋駅に挟まれている
駅の場内案内が聞こえてくる距離
1.7mのガード下もよくTVに出てきたシーン(昔は1.8)
175cmの自分も立てるからもう少し高いかも
ここより低いガード下はモヤさまで紹介されていた
ラーメン屋さんに唯一『金八先生』の名残がある
さすがに記憶も薄れてきている(初期は40年前)
堀切橋で荒川を渡る
荒川を越えるのは千住新大橋と堀切橋
荒川土手も行きたかったが
この辺で6時間過ぎた
マッチが長ランを着て歩いた土手や外人がマラソンしている土手
ドラマのオープニングの道もおさえたかったが・・・
つづく