ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

初めて流鉄に乗る。

2014-11-27 | 名所
ほとんど用事が無いと乗らない電車。

近いんだけど乗る用事が無い。

今回は雨降りだったので、流山博物館へ行く用事をつくり
初めて流鉄に乗りました。

総武流山鉄道の時代は1回乗りましたけど、1区間だけです。
(馬橋・幸谷間)

それ以来ぶり。

社名変更をしてから初乗り。
流山鉄道を略して流鉄かと思ったけど
流鉄流山線と呼ぶようです。


西武線好きにはたまりませんぞ。




始発駅から乗らず、鰭ヶ崎駅から乗りました。

この辺も使いそうで使わない駅。

この風情ある手書き風な料金表がいいですね。

ザ・ローカル。





自動改札が普及し

切符を切る場所がなくなったけどここは残っています。

なんかいいですよね、この感じ。

重要文化財。




単線です。

ほんと寅さんがいそうな雰囲気。

電車を待っている時間もいいです。

居眠りして夢でも見るかな。




でも暇なんで、駅中情報を散策。

スマホとか持たないのでこういう情報で楽しむ。

踏み切りの音が鳴ると電車が来た模様。

場内アナンスはない。




なんか『あまちゃん』も思い起こす。

駅横のスナック。(梨明日)

常連のたまり場的な。

今はやってないけど
そういうのがあったら面白そう。




もと西武線を使っていた自分には懐かしくてたまらない。

昭和57年所沢工場。

そうなんです。流山線は西武線の車両を使っているんですね。

外装はペンキを塗り直しているけど
内装は当時物。椅子の色。手すりの○とか。

椅子の下のヒーターのヌクヌク感。

これですよこれ。

最近の西武線は色も変わってしまい違う電車みたいだけど
西武線はココにも生きています。






最近の電車は窓が開かなくなってます。

でもこのタイプは両端を挟んで持ち上げるタイプ。

これですよ、これ。




到着。

終点です。奥には車両点検基地。

車内もそうだけど広告は少ない。
看板が寂しい・・・





駅はこんな感じ。


千葉県の『房総の魅力500選』に総武流山鉄道が選ばれ碑が立ってます。







駅前の雰囲気

キヨスクみたいなのはないです。

基本タクシー。
反対口には歩道橋で渡ります。


車両基地では塗装修正。
ラッピングじゃなかったんですね。
電車愛を感じます。

かなり古そうだけど大正時代のものだったりして。
塀で囲まれ中が見えないのが残念


ここから博物館まで徒歩。




帰りはちょうど『ジリリリーン』とベルが鳴ったので

すぐに乗り、写真が撮れませんでした。

なので来た時の写真。

イベントの看板?がちょっと名物?のようです。

火の用心のやつですけど



それにしても乗り心地はよくない。

物凄く揺れる。摑まらずに立っていられない。

ジョイントの部分の動きも凄い。

ココの感じも懐かしいです。




小金城址駅で降りました。

ココが唯一、複線になっています。

静まり返る駅のホーム。


侘びか錆びか




改札口は2階にあります。



流鉄の中ではココだけ。


パスモとかスイカは使えなさそう。





ここは駅ビルで駅マンションみたいになっていましたが
老朽化で廃墟になったもよう。

そんなには古くなさそうだけど。

廃墟感がなんかいい。
幻になるんじゃないかな。見納め。


隣の幸谷駅も駅マンションになって
駅前じゃなく駅上に住んでいるみたいな。

傘を持たなくても通勤できる素晴らしさ。

超一等地。

なんかもったいないな。




反対側は川があり歩道橋で渡ります。

夜景です。

この駅から松戸市になります。
(右がダイエー方面)




無駄に広そうな道路だけど、駅前開発はどうなったんだろう?

駅前なのに商店が無いのも珍しいのでは?


反対側は栄えているけど。


これで流鉄6駅中5駅乗り降りし、
残るは平和台駅のみ。

いつ使うことやら?

ぶらり流鉄でした。


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浅間神社(流山市)

2014-11-06 | 名所





今回は、謎の文字とされる『神代文字』を見にいきました。

なんでも漢字が伝わる前に日本で使われていた文字との事。

通説では日本人は文字を使わない民族とされているのですが
どうなんでしょうか?





ま、ごく普通の神社そうですけど。

三つ巴の神文の他に、桜の神文も使っています。

写真には撮れなかったのですが
神社の入り口は道路より階段で下って入ります。

出雲もそうなのですが、入り口から下り坂になっているのは特殊のようです。



この拝殿の裏に



富士塚があります。

もちろん人工的に造られていて、山が流れてきたという伝承はないようです。
江戸初期から明治にできたそうなんですけど。




山頂の景色はこんな感じ。

登るのがちょっと危険感はありました。

う~ん、富士山が見えないんですけど・・・。



頂上の石碑は明治19年のもののようだけど
この富士塚が江戸初期か明治からなのか?

本題はここではなく、

山の中腹にある


この『天宇受売命』の字の横の文字。

何故ココにこの文字が。

作者は鱸元長。

鈴木じゃなく鱸と洒落ているあたり
何かを問いかけているのかも。

(余談だけど、天宇受売命は猿田彦と夫婦という説もある)




阿比留文字とよばれる神代文字

『ひふみよいむ』

日文(ひふみ)とも



『なやこともち』


なんのこっちゃ?だけどこれは

一二三四五六、七八九十百千

と書いてあるのだ。


何故ココにこの文字が?
これがオーパーツ。

富士だけに22?

昔は『読み書きそろばん』が大事とされた。
この字が読めるか?書けるのか?数えられるか?
と言った意味があったりして??




帰りに向かいのイタリアンでピザを食べながら整理する。

数字には、壱弐参(いちにいさん)の漢字があり
中国読みといわれるが、中国はイーアルサンだし
朝鮮はイルイサム。

一二三(ひとつふたつみっつ)は日本独自とも。
一は『はじめ』とも呼んだり、1日はツイタチともいう。
二十歳はハタチ。三十日はミソカ、五十嵐はイガラシなど
特殊な呼び方もるのも日本ならでは。

もともと一文字に一字を当てていたが
一文字で表せるようになったのも日本独自。
当て字文化。
今じゃ何々と書いて何々と読むといった文化にまでなった。


もしからだけど、大和民族やアイヌ民族だけが文字がなく
滅んだ民族は文字を使っていたのではないか?なんて思う。

漢字が中国から伝わり、カタガナができて平仮名できて
音読み訓読みになったとされるから
この文字に『ひふみ』を当てはめるのは可笑しいと否定はされている。

逆に、これが元にして中国で文字ができ、また日本に帰ってきたんだとも言う人もいる。

真相はどうなのか分からないけど
千葉県内にあるのはこの流山市だけのこと。
ここにロマンを感じる。

失われた文明があったんじゃないですかね?






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