ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

松戸市一周サイクリング2023(小金領編)

2023-07-02 | 松戸
今年は

千葉県誕生150周年

松戸市誕生80周年

ヘアーショップライズ誕生25周年ってことで

松戸市を一周してきました

7年ぶりです




今回は右回りなので横須賀からスタート

坂川沿いを走る

川沿いも補装の無いエリアもあるので注意

流鉄の踏切の位置も事前に学習した方がいい

小金城趾駅の踏切はちょつとロスだけど

結局は松戸市側に

『これより松戸』がある





大金平の大金平大橋

川の橋も場所によって激坂級なので注意

なるべく優しい橋で足は温存したい




幸田(こうで)の八木乃大橋

この高台に幸田貝塚がある

本当にこの辺は海だったのかな?





東平賀の常磐線ガード下

常磐線には踏切が無く通過する場所も限られている

ここまで川が市境

ここから市境が入り乱れる




国道6号もアンダーパス

上に標札があるのでおさえる

近くに根木内城址公園がある




旧水戸街道は260号線

この辺は低地で川が2本流れている

柏市との境は谷と沢、谷沢


松戸中央と書いているが松戸市の際

昔は中央にあったが移転して今はここに


それこそ昔は合戦の場で光輝かしい丘だったといわれる





280号白井流山線

クランクして谷沢道を進む

小金原団地の壁の高さにウォールを感じる

(ぽつぽつと雨が降りだした)





イチョウ通りはアンダーパスなんだけど上に上がる

『これより松戸市』の看板がある

国道でも県道でもない道にあるのはなんでだろう?

市道だからこそか




富士川の源流であり坂川の源流の一つでもある

ここに湧き水、湧水

人が移住するには湧き水は重要

館やお城を築くにはいつの時代でも重要な場所

江戸時代の小金西新田は水戸藩の奉行所があり

もめ事はこの辺で裁きをしたという

『水戸家鷹狩り場役所』といい『殿内』という地名も残る

古くは栗ヶ沢

高城一族が最初に館を構えたのもこのエリア

ここから根木内、大谷口へと城をつくり

小金領と呼ばれる規模へ発展

のちに小金牧とよばれ馬の産地となる

江戸幕府の直轄地






このエリアの難しいのは根木内

基本は川筋の沢なんだけど入り乱れている

川は乱れるから境界線も乱れるのか?


つづく
















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松戸市一周サイクリング2023(小金牧編)

2023-07-01 | 松戸
続き


大清水湧水から坂道を上がる

金が作からは道が境界線

柏市と松戸市の標札がある




『新並木交差点』を右折

ここに標札があってもいいと思うが

なぜないのだろう



五香六実エリアへ


五香六実エリアは牧場を開拓した土地

北海道と同じく『入植』という言葉を使う


その時に建てられたのが『高靇神社(たかおじんじゃ)』

高麗と間違いやすいが龍蛇神を祭る


元牧場だけに『野馬除け土手』が所々の残る

市境もその土手だったりするのも開拓地の名残




この辺の道は入るとなぜか出られなくなる現象が起こる

柏市側もかなり大変

大きい道を走るのが無難

グリーンベルトが市境になるもそこに出るまでが困難なエリア




六高台のスーパーの脇へ

これより松戸市


この辺はクリーンセンターを周ってこの標識をおさえればいいと思う

高柳新田は曲者


このエリアはポイントおさえるのが優先




六実高校と中学校を周る

この後六実駅の方へ

野田線の踏切の位置の確認は大事




281号線を通り六実駅の横の踏切を渡る

この辺は難しいエリア

『ここまで松戸市』の最東端

これをおさえればクリア





南側の踏切から元山駅方面へ向かう

気になる地名は兵庫とか六高台とか関西ポイ

そもそも『六実(むつみ)』も読めそうで読めない





下り坂

道が悪いが本線

近くに川があるので低地


自衛隊の脇の踏切に到着

『これより松戸』

このタイプの標札は2か所だけで希少




市境は自衛隊基地の中

迂回して進む


この辺が
『御鹿狩(おししがり)』のメイン会場

御囲の地名があり猪見塚があり

獣をここに追い込む


松飛台を通過



串崎新田エリア

新京成電鉄の車両基地がある

くぬぎ山車両点検基地だけど住所は松戸市




この辺も『野馬除け土手』が境界線

隣の初富が開拓の最初の地である(十余り三まである)

五香と六実もそのうちの2つ



そして甲子園に出た専大松戸高校の練習グランドがある

外野のフェンスができたみたい

勝てば勝つほど設備が良くなりそう

室内練習所の土地は空いている





五香六実、串崎は

野馬除け土手が多く残る開拓地エリア

松飛台は松戸に飛行場があった名残

串崎はこの地形が串ぽい

ここから北総線沿いに走って行く


つづく
















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松戸市一周サイクリング2023(北総編)

2023-06-30 | 松戸
つづき


大町駅横

464号が走るも標識は高塚新田の方にある

北総線は松戸市と市川市の間を走る




松飛台駅から北総線と離れていく

この辺は『梨』が有名

農村エリアの坂を登る





464号は別名梨街道とも言われる

『ここまで松戸市」がある

ここから坂を下り秘境?を走る




森に囲まれるもの新鮮

51号を走るのもいいけど交通量が多いので避けた

大きい道に出て坂を上がる




車の通りが激しい

スパーの横に

『これより松戸市』の最南端がある

高塚新田のこの辺りは賑やかだ




ちょっとしくじり市川との市境を走れなかった

弁天池をとおりくねくね進み

坂を登った辺りが境界線

高台からの景色は良い

(この辺りからグダグダになってしまう)





自動車修理工場を曲がり秋山方面へ

この辺も複雑なのでざっくり

目印がないので難しい

坂を下る




この『秋山公園』こと『天照天神公園』

『天照』が地名になっているのがレア

ここは是非おさえてほしい




高校の野球グランドの南の橋を通過

国分川とか春木川というが細い

この川が境界線だが道が悪いので迂回


北国分駅方面へ向う




坂を登り

『伊弉諾神社』

天照大神の親

なぜかさっきの公園の方を向いている

ここのの北側の道が市境




北総線の国分駅を通過

180号が通るも標識なし

この辺りも境界線が乱れるも

神社から直線に進み、郵便局を左折する道がスマート





坂を下り坂を登ると外環自動車道

郵便局からこの道が『古代官道』ともいわれる

下総国府から常陸国府に行く道がいまだ謎のままだけど




北総線の矢切駅は地下

県道1号に『これより松戸市』

中原寺を右折するのがベター






このエリアで感じたのが松戸市の鉄分

松戸市の鉄道のカバー率の高さに感服

千葉県内でもベストスリーの鉄道王国松戸



つづく

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松戸市一周サイクリング2023(江戸川編)

2023-06-29 | 松戸
つづき


松戸街道から栗山エリアへ

配水塔が文化遺産になってます

ここから江戸川に向かい坂を下る


柳原水閘が境界線

排水機場も文化遺産です





こっちの水門が境界線だと勘違いしてました

江戸川は東京都との境界線であり

江戸川区ともわずかに隣接している




北総線をくぐる

松戸市の南でも北総線

国府の市川市から見れば北だけど


ちょっと昔にこの北総線開発の最中に埋蔵金が出てきたらしい

国府台合戦の時の里見家の軍資金だったとのこと

里見家の財宝の伝説は安房の小松寺に暗号文が云い伝えられている


矢切の渡しは松戸市の観光地の一つ

ヒット曲で有名になり、野菊の墓も有名

この矢切地区は物流センターになる噂があったが

向かいの柴又の方が大いに反対したという


『男はつらいよ』の第一話はこの矢切から渡し船に乗って

故郷の柴又に寅さんが帰るシーンが名場面

江戸川の土手にいる寅さんが川を眺めている先は松戸市の光景






国道六号線と常磐線はアンダーパス

外環も通過

カーナビで東京から千葉に入るとピーナツの映像が出てくる(昔)


『ようこそ千葉県へ』とチーバ君がお出迎え

旧水戸街道は『葛飾橋』でこっちの方が古くからある橋

江戸時代に江戸川には橋は架かっていなかった




別の日の撮影だが葛飾橋から観る松戸市はこれがシンボル

ビルの屋上に回転展望台があるのは当時の流行最先端技術

戦艦の大砲の技術を応用して造られたという

今は回転させなくしたもよう


松戸市の表玄関はここに思う

(裏はどこだ?)




この葛飾橋に東京都と千葉県の境界線が埋め込まれている

川の真ん中が境界線と思っていたがかなり松戸よりにある

個人的にここをおさえてほしい


そしてこれが


『是より御料松戸宿』

堤防から降りないとならないので行かなかったが

後日撮り直し





江戸時代には堤防はなく砂浜だったもよう

土手に目印があるのは近年のもの

『是より御料松戸宿』も昔は石ではなく木製だったとのこと


おそらくだけど『これより松戸市』の原型と思われる

松戸宿の前後境にはこういう標識が建っていたという

松戸市の境にこれより松戸市があるのは

御料だった時代の名残なのかも

川向に『金町関所』がありました



平潟は旧遊郭の跡地

流山市には平方の地名があるけど関係は??いかに

江戸時代前はこっちの方を通っていたとも


その隣町の樋野口エリアは元は武蔵国

江戸川を修復し直線にしたことによって下総国に編入されたのだ

と言ってももっと昔の国境は墨田川の方だったので出戻りなようなもの








それから旧有料橋をくぐると



世界のスーパースターこと大谷君の聖地

WBCの時に流れてたCMは古ヶ崎の河川敷がロケ地

排水機場と橋が映っていました

一番新しい新名所




坂川放水路の水門周辺は映画ウシジマくんファイナルのロケ地


松戸市と流山市の境界線が建っているのでこれもおさえる


このTXの先が映画東京リベンジャーズのロケ地

見たことのある風景が有るとサイクリングロードも飽きない

書き忘れたが金八先生の家も実は江戸川沿いにあったのだ



土手を降りる



リサイクルセンターは建て替えられた

道が整うも境界線は複雑


流山街道の『これより松戸市』

このタイプがあるな元山の踏切の所とここだけ

七右衛門新田は現存する松戸五新田の一つ




新松戸エリアをざっくり進み

スタートラインの横須賀に戻り

『これより松戸市』でゴール


6時間半、途中食事をしているので6時間くらい

途中何度か足がつりました

意外と記憶にまだ残っていたのでよかったです





一番改善された町はこの松戸市と流山市の境界線が整備されたこと

それでも複雑は複雑なのでざっくりと進んだ

松戸市の地形は低地、谷津、台地の三タイプで構成されている


前回もそうだけど
行った事のない人は写真を見てもさっぱりだと思った

自分では記憶を頼りに編集してるけど
忘れた写真を見たら『どこだここは?』となった

『あっここね』と思ってもらうよう記事を書いているのだが
自分でも6年前の記事を見てもそうはならなかった(反省)



松戸市80周年
松戸に移住して25年
またいい思い出になりました


























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ライズツアー坂編1

2023-02-23 | 松戸
今回は松戸の坂コースをぶらり

馬橋から北松戸までシン市立病院経由で走ります

下総台地の地形が面白いです




『馬橋』です

村の名の発祥の地がここ

馬の鞍の形をした橋を建てたのが名の由来

正確には鞍馬橋だと思うのだが?・・・

杉並区にも同じ地名があります


この橋の下を流れるのが『長津川』

名の由来は不明ですが『21世紀の森と広場』へと続いる

この川沿いに進めば坂無しで新市立病院の下まで行けるはずです





三中の前になると暗渠になっています

この三中の所に『馬橋小金城』があったといわれます

ちょっと寄り道して坂を登ります




坂の上からの景色

さらに八が崎方面に坂を登っていくのですが今回はここまで


この辺は『南竜房』と飛ばれる地名なのですが

この房のような坂の事なのか?

長津川のカーブが房の形なのか?

はたまた鰭ヶ崎が竜のヒレならば、竜の房なのだろうか?

由来が謎です

(竜と蛇は水神と関連がある)


平安時代から鎌倉時代にかけての館は盆地に構えるものだが

戦国時代になると高台に砦や城を構えるようになる

プラタモリでやっていた足利家の館の『鑁阿寺(ばんなじ)』と似たような場所

後に山があり前に川といった地形

スケールが違うが萬満寺も後ろに三ケ月台地があり街道があり川がある


鞍のような橋は『太鼓橋』とも呼ばれ、下に船が通れるメリットがあり

江戸時代には主流だったようです

長津川がどのくらいの規模の川だったのか謎だけど

湧き水が出る川なら人が住む根拠はある

新井堤という地名もあるので集落の可能性は高い


上流へ向かう


この辺の自治会は竜房の名を使う

この分霊した『子安神社』もお城の候補地

場所的には最も適しているが決定的な証拠はない




消防署を越えて武蔵野線沿いへ


トンネルの坂を登っても市立病院には行けるが

森と広場へは八ヶ崎の激坂を登らないでも来れる道があるのだ


車だと八ヶ崎の坂を登り下って消防署の前を通り

トンネルをくぐって新市立病院というルートだが

自転車はこの道の方が楽




新駅の予定地

新松戸駅と新八柱駅の間にできるといわれるが・・・いかに

病院と公園の集客力が弱いとのこと




病院の裏坂を上る

かなりきつい

アーチェリーの練習所

(昔は射撃練習場があり)


病院から高校へ


この松戸の高校の上空写真が面白い

なんと五角形なのだ

東の角から右回りに進む

90度から120度

(交差点は角切をしているが道は直角)




正門もカットされているので気が付きにくいが

ポールの立っている辺りまで敷地

60度




西の角から南の角へ

西南の一辺に少し凹んでいる場所があるが表鬼門なのか?

創立100年と歴史ある学校




町内版の地図だと分からないが地理院の地図だとこんな感じ


五角形といえば五芒星の星型

葛飾区の熊野神社も5角形の敷地で安倍晴明と関連している

この中和倉地区にも熊野神社があるのは偶然か?


校章のデザインが『凛冽高雅(りんれつこうが)』
松葉十個と梅の花を図案化したものである。
松葉には地元松戸と常緑の操を意味し、
梅花は浅春に他にさきがけ、凛と雅やかに咲く様を表現している。
とのこと

梅は五芒星

松葉10は五芒星を2枚重ねている

天体ドームもあるとなると星はいなめない



つづく

















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ライズツアー坂編2

2023-02-22 | 松戸
つづき

松高から


ここからが坂ゾーン

専松方面へ

10度とあるけど最初だけ

途中で車が消えまた現れる

このスリバチの坂が市内最強




一度下まで行き

また坂を登り振り返った光景

伝わるだろうか




カーブしているので全長は見えないが

頂上の手前からだとこんな感じ

いったん消えてまた現れる


ここが最強






専松前が山頂エリア

標高27m


北の向かい側は住宅地

古墳の真ん中の島のような地形

自然にできたのか?人工的なのか?は不明

お城を作るには適していると思うが遺跡はない

怪しい




6号線方面へ

いったん下りまた昇る

振り返るとこんな景色






頂上から頂上へ高低差12mを登る

この頂上の道が尾根道なっている

6号へまた下る


駅側の六号の方からだと

やっと坂を登ったと思ったら

また坂を下って上らなくてはならないしんどさ
(次の坂が見える)

それが2連チャン

これがエグイ

このエリアが松戸市最強たるゆえん





今回は松高の方から来たけど

この坂も意外に長い下り坂になっている

逆からだと長い登り坂


六号線の『本郷山龍善寺』の脇に出る

6号線は標高7mくらいで意外にある

龍の名が付くので寄ってみる

(首切り地蔵が有名)




龍善寺の坂もきつい

この寺自体は新潟から引っ越してきて歴史的には新しい

今回通ってきた坂も新しく人工的に造られた坂






平面の地図だと気が付かないけど

凹凸の地図で見ると凄さが分かる

一本道でのアップダウン

この地形

最高です




















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本土寺参道考察

2022-11-25 | 松戸


今回は紫陽花と紅葉で有名な『本土寺』の考察

本土寺で気になるのは参道と場所

なぜ窪地に建てたのか?

なぜ参道が曲がっているのか?




平面の地図では高低差は見えないが

道の角度は分かります

北上して左に曲がる参道




古くは水戸街道に入口があったといわれる

水戸街道もここでクランクして方向を変える

小金の地名の由来はこの鍵状のカーブともいう説もある




小金の郷社『八坂神社』も元々はこの水戸街道沿いにあった

鉄道が通り、駅前再開発で今の位置に移転

本土寺の参道も遮断される



迂回して杉並木の参道へ

水戸黄門も通ったとされる

そして問題のカーブ




ここでなぜ曲げたのか?

今は二股に分かれるようにみえるが

北西の方角に曲がる





水戸街道が先にあったのか?

本土寺参道の方が先にあったのか?

本土寺は鎌倉時代創建だが、

館の時代は平安時代からある




そして山門に到着

ここまではほぼ平坦な道




坂を下ると入口

なぜ低地に本堂を建てたのか?

一般的に寺は山の上にあることが多い

単純に低いところは洪水の恐れがある




一見谷底に見えるけど

さらに深いところに菖蒲畑がある

考えられるのは飲み水に利点があったのだと思える




道が先か?建物が先か?

この辺は『平賀』という地名が多く源氏の血筋の人物らしい

鎌倉時代に鎌倉街道として成立したのかも

萬満寺も鎌倉時代創建

参道の謎はおそらく風水による

『南東の入口』というのが吉相とされるからではないかと思われる

松戸市の大きな古い家の入口は南東を向いているのもその名残とか


『天子南面す』というように

北を背にして南を向くというのは本殿は南向きが基本




朝廷は奈良盆地と京都盆地に都を置いた

高台でもなく平野でもなく

本土寺の地形がすごい!

窪地にある高台


鎌倉幕府は山に囲まれた海沿い

この時代から地形を熟知している

一地方の豪族の館がここ

ここじゃなきゃだめとなると道は後から造ったはず

軍事優先はいなめない

テーマは参道だったけど

この地形の発見がすばらしい!
































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ライズツアー(江戸川放水路)初

2021-10-29 | 松戸


今月の連休は天候に恵まれずロングライドが出来ませんでした

今回は近場を・・・といっても片道20k圏内

新車を買ったら毎回行っている『江戸川kポイント』へ






今回はいきなり土手には上がらず下道を走る

坂川沿いを松戸宿まで


松戸神社の隣の『松龍寺(しょうりゅうじ)』が

リニューアルされていました

『葵の家紋』が印象的


浄土宗の知恩院系

拝殿の彫刻は昔のを取り付けていました





角町から矢切へ

小山交差点は『こち亀』の表紙になった場所です

この交差点の坂が個人的には土手に上がる一番ゆるい坂に思います

今回はまだ下道




道が狭くなりますが『宝蔵院』

仁王様が雨晒しで立っているのが特徴

入口のお地蔵さんも個性的です

上矢切




常磐線をくぐり、国道をくぐる

中矢切

なんとなく空気が変わる




道沿いに進むと

右手に『青面金剛(しょうめんこんごう)』

庚申塔と同じく村と村の境目に置かれます

ここの猿が個性的





土手沿いに出る


矢切(やきり)は『上矢切・中矢切・下矢切』の3つからなり

北から上中下に構成されている

下総と上総が上下逆なのは京都から来て最初に通ったのが上総で

その次に下総だったのでそうなったようです

下総の国府に近いのは下矢切の方だけど歴史的に浅いのかな?





長閑なエリアだが車を飛ばす人が多いので安心できない道


ちょっと前まで矢切高校の屋上にレーダーがあったけど撤去されていた


『矢切ネギ』はブランド品






松戸市の唯一の観光地がこの『野菊の墓』

『矢切の渡し』とセットで観光

昔の矢切の渡しは上矢切と下矢切の2か所あり

今あるのは下矢切の方


関所を通らないで川を渡れるのは地元の人だけだとか


最近は向いの柴又エリアが『国の重要文化的景観』となった

この矢切の風景もコミコミかと思いきや

矢切地区は『物流センター』になるんだとか

複雑






初級者コースとしてはここで引き返すのがお勧め

ほぼ平坦で片道一時間位で来れる距離

土手の江戸川サイクリングロードで帰るのも善し


東京側の水元公園と柴又帝釈天巡りも似たような距離

こまめに通えば慣れてきます

慣れたら次へ


つづく















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茂呂神社考察ポタリング(松戸編)

2020-05-09 | 松戸



今回は松戸市小金原にある『茂呂神社』周辺を調査しました

平安時代の本(延喜式神名帳)に載っているとなると松戸市内で最古となる

松戸市内で古いのは上本郷の風早神社と松戸の松戸神社で

お寺は小金の本土寺と馬橋の萬満寺が古い



テラスモールの方から



八ヶ崎の方から行くとちょっときつい坂道になります

小金原エリアは『谷津』という地形でアップダウンの激しいのが特徴

敵から守るにはいいかもしれないが平時には生活が大変そうです





高木村の村社となっているが昔は『栗ヶ沢村』ではないかと思われる

境内は鳥居が2つある細長いスタイル

小金原団地による宅地造成で主道も大分変ってしまった





『茂呂神社』とは大和国の三輪山(御諸山)をご神体としている古代神道系で

大国主を祭っています(松戸市の七福神には選ばれていない)

大和王権の支配地でもあるという証でもあります

灯篭の鹿は『奈良』のイメージもあるが、『お鹿狩り(おししかり)』も連想する


(他の山の神様の石碑もあり、山岳信仰色が強い)





狛犬は新しく新調されていました

水の出る『龍』のモチーフが破損しているのか個性的

拝殿の龍が2匹いるのは珍しく、

狛犬も右側が牙があり耳が尖っているのが特徴





松戸市内には水戸黄門と関わりのある神社仏閣が多くこの神社もその一つ

東側の隣の『七面神社』もその一つで、ここにも寄ったという言い伝えもある

しかし『延喜式神名帳』の式内社とは認めていないもよう


そして字名も『谷ツ口』と神社の名残がないのも不思議

近所には貝塚が二か所あり、高城氏が最初に建てた栗ヶ沢城もあるのに

水戸街道の方ではなくこっちなのかもピンとこない

昔は黄門様も歩くような大きい道があったのだろうか?


周辺を散策




南側に栗ヶ沢公園があり『若芝遺跡』であり貝塚跡

住居跡も確認されており『栗ヶ沢城』とも言われています

千葉氏と原氏は平家の流れの武士なので茂呂神社にはゆかりがなさそう

(千葉氏は大日如来と妙見菩薩)

その下の高城氏がのちに東葛地域の棟梁となりこのあたりも小金領になる

戦国時代の頃の話で、最後は大谷口城に移転し豊臣に天下統一された流れ

(高城氏は九州の出身とも言われている)



そこから西側の隣へ




『貝の花』公園

貝塚は縄文人が住んでいた土地

古墳は関西が多いけど、貝塚は千葉が一番多い



貝塚はゴミ捨て場ではなく神聖な場所だったとのこと

大昔の貨幣は『貝』を使っていたとなると凄い富の象徴にみえる

『小金『と『貝の花』は同じ意味あいなのかも


ここから茂呂神社は鬼門の方角にある

更にそこから北東には『万福寺』がある

これはレイラインか??


艮の方角へ移動



『栗澤山万福寺』

曹洞宗で1571年に開山

この寺が気になるのはあえて低地にあるところ

萬満寺もそうだけど後ろに高台があるのになぜ低地に建てたのか?


曹洞宗は高城氏の菩提寺として中金杉に広徳寺もあるので関連はありそう

この時代のお寺はお城のような役割は無かったのかな?

『お堂上』という字名が残っている



そこからさらに北東へ



『根木内稲荷神社』

稲荷神社なのに狛犬・・・狐さんが見当たらない

土用干しの土に『`』が付いているのも気になる

『初午』がないけど『御備社』のことかな





ネットの情報によると元は『30番神社』ではないかという

三十番神とは日蓮宗や天台宗が信仰している神(神仏習合)

近所に日蓮宗の寺がある

(さっきの『七面大明神』も日蓮宗と関連があるとのこと)


でも根木内と言ったら『根木内城』の縄張り

この辺の勢力図はどうなんだろう?

僧侶も第三の勢力だったといわれます


ここからは北西へ



細い坂を下る

『昌壽山了源寺』

日蓮宗なんだけど情報が無い





狛犬の土台の家紋が『五七桐』

赤い鳥居の階段を上がるとお堂もある

なんか違和感を感じる





一番印象深いのが『羅漢道』の石造

八体ありそれぞれ違う

七福神とも六地蔵とも違う(初めて見た)

そして鐘楼堂の屋根の家紋が『片喰』

なんだろう?千葉氏系には関連がなさそうな


ここから北西の方角に根木内城があり更に北西に本土寺がある

本土寺があるせいか松戸市内は日蓮宗が多い

室町幕府は臨済宗(萬満寺)を保護していたと言われる

当時を想像するには『神仏習合』を頭に入れておかないとならない





なぜ茂呂神社が松戸にあるのか?

大神神社(おおみわじんじゃ)は三輪山がご神体で神南備の御諸(みもろ)とも呼ばれ

『お酒』と『蛇』『兎』『糸』が関連しているといわれる


こじつけようとすれば、隣町の地名に『酒井根』があり

隣の『七面大明神社』には黄門様の『大蛇の伝説』があるということだけ

古代官道らしき名残がみあたらないし茜津驛としての候補としては弱い

市川の方からくる道筋もおかしい


流山の方では大和王権の人達が移り住んできたという言い伝えがあるが

こっちの方には大和らしき名残も見当たらない

(唯一『芝』運動公園というのが奈良の桜井市に見かけた地名)

(苦しいけど『粟殿(おおどの)』の粟が栗と間違えたか変えてたりして、殿内もある)





今回はここまで


























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なま(鮮魚)街道ポタリング往路1

2018-08-02 | 松戸




スーパー猛暑の中を走ってきました

鮮魚街道を松戸納屋河岸から布佐河岸までを往復

車のガソリンのように水分を消費しました





プレ編で下見をしたので完成度は高いのですが

『なま街道』と言うのは1ルートだけではないのでした

魚河岸もここだけではなく3軒くらいあったようです


ここの角の家が世襲で名前を受け継いで今も残っています

土手の堤防も今みたいに高くなく砂地だったようです

では出発





前回は水戸街道を左に行ったのですが今回は右から

このルートが代表的な道のようです

松戸神社の前を通過

(この神社の灯篭が見どころ)





眼鏡橋を渡りGSを左折

このルートは『御成道』とも呼ばれお鹿狩りに通る道

なので個人的には庶民はこのルートはあまり使わなかったと思う





歩道橋を渡り千葉大の横道を

古地図では大学の敷地内の道

坂がきつい

この坂を積荷して下るのは危険そう





6号線を渡り坂をまた上る

464号の下に道があるが新しい道

6号線には『陣が前』とあるが

古地図にはこの先に『ジーガ前』『ジイノ前』と記されている





美野里の交差点を左折

この道が市川から通ずる『古代道』とも言われる

木戸の名が残り重要なポイント

この辺は『陣が前』と呼ばれ重要度は高い

大橋も御成道とよばれこっち周りもある

スーパーの横の細い道を走る





ちょっと早いが南部市場で食事

やはり『海鮮チラシ』

鮮魚街道だけに





再び本線に戻る

庚申塚とホームセンターの間の道を行く

この辺も下水遺跡があり古くからある土地

航空写真だと軍用鉄道のカーブの名残が分かる





坂を下りスーパー銭湯の脇から281号に出る

また坂を上がり稔台駅へ

ここに『御成道附』の小字があり


五香の御鹿狩りに通る道


余談だが、軍用鉄道の八柱演習所はこの辺


踏切を渡りカッパ横丁を通る





こっちの方も古くからある道

八柱駅の踏切がややこしいが

八坂神社の角から真っすぐに行くの正規

ここにも木戸があり

御鹿狩りは真っすぐ西病院の方の騎射立場へ向かう

なま街道は神社を右折





駐輪場の隙間から門前公園へ

この辺は道が開拓され旧道は無くなった

昔は金ケ作陣屋がありここを通るのは面倒だったようです


(木戸や陣屋は関所みたいなもの
牧場にあるのは馬の侵入を防ぐとも)





本線は一本左だが道が途中で切れる

坂を上がり281号と合流

古地図は明治になってからのモノが多く

(牧場を開拓して道になっているが

その前はどうだったのか疑問)






子和清水を左へ

中学校の横の道を走る

野馬除土手に沿って五香まで





五香の交差点は地下道を通るしかない

五香六実は元々の牧場を開拓した土地

野馬除けの土手は残っているが道はどうだったんだろうか?

想像できない


ちなみに御鹿狩りは十字路を右折し五香公園へ

そこに将軍様の『お立場』がある





五香の道は狭くて危険

逆走してくる自転車もいるので注意

六実に入ると広くなる





野田線を越えると佐津間(鎌ヶ谷市)

下り坂の2又を右へ

この先から下総航空基地になるので街道は途絶える

基地を迂回し常夜灯まで自力で進む


つづく





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プレ鮮魚(なま)街道ポタリング

2018-01-22 | 松戸




鮮魚と書いて「なま」

銚子から江戸に魚を運ぶルートとして松戸は重要な拠点

魚は最も腐りやすいので早く運ぶ必要がある

利根川の布佐と江戸川の松戸を結ぶ陸路を鮮魚街道と名付けられた

その道を馬の背に籠を乗せ魚を運んでいたのです

(銚子から布佐まで船、布佐から松戸まで馬、松戸から江戸の日本橋まで船)

今回はこの馬で運んだルートを走ります





松戸の河岸はここだけでなく他に3軒くらいあったようです

でも名残があるのはここだけ

ここからスタート




橋を渡り旧水戸街道へ

昔から川が氾濫すると2.3日は通れなくといわれるがどうだったんだろうか?

川と坂が少ないルートがなま道と予想する





旧水戸街道から常磐線を越えるには歩道橋を渡る

根本交差点からから岩瀬に行くルートもあるが坂がきつい

安全な道を選ぶ




旧水戸街道の名残はある

雷電神社前を通る

旧道には神社がだいたいある




旧水戸街道はここまで

竹ヶ花から南花島へ6号線を越える

途中に材木屋さんがあったが江戸時代の木は物凄く重要

木は燃料になり、家にも、橋にも、船にもなる優れもの

木をいかに確保し運び出するか重大なことだったのだ




永松寺を過ぎた辺りから最初の坂になる

風早神社前あたりが頂上になり下総台地に入る

この上本郷の風早神社は鎌倉時代の前からあり

荘園制度時代の中心地だった



そこを道なりに進むとスーパーに庚申塚がある

松戸ヘルスランドとあるが銭湯で昭和40年創業

ここは松戸新田で台地にある田圃は珍しい




八柱周辺は難しい

八坂神社を曲がるのだが、さくら通りの入り口は右の方へ行くのが正解

間違って大きい道を行ってしまった





結果的には281号を通るのだか

古和清水も道なりではなく左の道が正解

この先けっこう間違いの道を通ってしまった




そのお陰か大仏ヘッドが見れました

現代の人気スポット

五香の地下道を通り十字路に出る




この辺から道が狭くなったり広くなったりする(車に注意)

五香と六実の数字は明治維新後に開拓された村の順番

なんと開拓は失敗に終わったとあるからビックリ




この辺でランチ

ここは「やっぱ寿司でしょ!」なんだけど

〆にすし屋なのに「クリームスープパスタ」




食事するにはこのエリアが一番充実している

火の見下はなぜか曲がり六実駅にでる

東武野田線は柏方面へはここから単線となる



ここまで松戸市

この先から下り坂になる

また道を間違えた、正解は右の道

(でもこの先飛行場があるので迂回しなくてはならない)




川があり橋を越えると上り坂

下総航空基地にあたる

本当はこのフェンスの向こうが本線

今回は右から行く


つづく






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五社さま?

2016-08-15 | 松戸




今回は地元の人でもあまり知られていない神社を探索

情報によると『五社様』と呼ばれているのだが

地図に記されていないのが摩訶不思議





参道らしきものもなく

田圃のあぜ道を歩く

隣にあるのは最近できた墓地である







鳥居は新しく感じるが

社はちょっと慣用な造りな感じでもある

でもご神木は歴史を感じるかも




この鳥居は昭和四六年四月に建たと記されている

約四五年くらいたっているわりには綺麗だ





もう片方には『九郎左衛門新田〇〇』と記されているが

下二文字が読めない(五社かな?)




社の中はもちろん覗けない

情報はこれだけ

ネットにも載っていない


地図を見るとこの神社のすぐ北側に『稲荷神社』がある

一つの村に稲荷神社が二つあるのも不思議

細かく言えば三つ目の稲荷神社も存在する(川通稲荷)


三社様と言ったら浅草を連想するが

五社様と言ったら『稲荷五社大明神』と『五社神社諏訪神社』と『五社大明神』が有名

お稲荷さん系なら狐のオブジェがあるのだが見当たらない
鳥居も隣の稲荷神社と形が違うので別物と予想される

鳥居の形なら愛知県春日井市の『五社大明神』と似ている
けれど縁とかゆかりは感じられない

となると静岡県浜松市の五社神社の方が有力な気がする
徳川家康と関連がありそうなので

余談ではあるが、隣の稲荷神社は『九郎左衛門新田稲荷』とは記されていない


そして神社ではないが金蔵院というお寺も近所にある

合わせると4つなのでどこかに5つ目の幻の神社があったんじゃないだろうか?

って基本的に五社様というのは5つの神を祭っていてるものが多い

何を5つ祭っているんだろうか?

以後調査は続く




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松戸一周サイクリング(右回り)

2016-07-15 | 松戸




前回は左回りだったので

今回は右回りに

2度目なのでスムーズに行くのかと思いきや・・・






今回も、『これより松戸市』からスタート

交差点から病院前を通り坂川へ

流鉄の踏切は流山市の方が市境に近い





流山エリアの基本は市境は川

川沿いをしばらく走ります

わかりやすくよい

2つめの『これより松戸市』






しかし選択を誤ると、砂利道を走ることに

市によって力の入れようが違います

砂利はパンクや体力消耗の素

土手は上と下にも分かれています






場所によっては舗装されているので安心

『これより松戸市』を抑えたいので

松戸市側を走るのがお勧めです





ここのポイントは松戸市側を走る

川の分岐点があるので気を付けたい

しかしこの時期

草刈り作業中で通れないこともあるので注意

流山側に移動





でもこれはこれで最後は流山市側の方を通るので問題ない

常磐線のポイントはトンネル

トンネルへのアプローチが狭いので注意






トンネルを抜けるとまた川沿いに進

ここは昔、台風で水が上がったもよう

この電柱の高さまで上がったというんだから凄い





国道6号のポイントもトンネルをくくる

6号には『ここまで松戸市』は無い

今回は違うパターンを発見した

流山エリアはここまで






トンネルをくぐってからが難しい

ここからは柏エリア

出て左回りが3市境なのだが難しく

右回りの方が簡単に進める

この辺でちょっとロスしてしまった





旧水戸街道に出る

『これまで松戸』をおさえ

そこから教習所を目指す

『これまで松戸市』違うバージョン発見





市境にあるから中央ではないとツッコみ進む

せっかく坂道を上ったのに最後は下りて元の道に

280号に出る





『これまで松戸市』をおさえ

小金原と酒井根の境を走る

松戸側は高い丘になっていて

柏側は川が流れている





この辺も市境の道は力が入っていない

左柏市、右松戸市がつづく

大きい道の下をくくる




柏市の標識が見えた

この上に『ここまで松戸市』があるのだが

下からは見えない







緑が豊かになったと思ったら

ここは富士川の源流

この川があの坂川との分岐点まで続いているのだ

昔はここは大清水という地名





このまま道なりに坂を上がる

右松戸市、左柏市

柏市も市境には看板があることに気が付く





松戸と柏の境界線はまだつづく

パチンコ屋の交差点で普通の『↑松戸市』を発見

松戸市と柏市の見分け方は車のナンバー

柏市民はほぼ柏ナンバーにしている

松戸は野田ナンバー





金ヶ作の新並木通りの交差点を右折

この辺までは順調だったが

この後に道に迷う

五香と南逆井の境界線が難しすぎる







なんとかグリーンベルトに出て

クリーンセンターについた

六高台も市境が複雑

この辺から柏との付き合いが悪くなる







とりあえず『ここまで松戸市』はおさえる

そして3角形の富士見公園も

暑さで頭ももうろう

面倒くさくなってきた




高校と中学、小学校、幼稚園を抑える

さまよう

柏エリアとはここでお別れ

中学校の角地は3市の境なので抑えたいポイント





今回は野田線の踏切の新規開拓をした

この辺りから鎌ヶ谷エリア


六実周辺は実に難しい


『これより松戸市』をおさえ


前半終了


つづく



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松戸一周サイクリング右回り(2)

2016-07-14 | 松戸




前回は野田線の外側を走ったのですが

今回は六実駅の裏を通ります






野田線は六実駅で単線と複線に分かれます


こっちの方が車が少なくていいのですが


道が難しく道が繋がっていない所が多い






踏切を渡り、ダメもとで地図に無い道を走る

『この先行き止まり』とあったけど

急な坂道を下った先には

   ・
   ・

   ・

泥道があった





なんとか前回通った道に出た

ここからは道なりに行ける

『この先行き止まり』は車の場合が多い





自動車は通れないが自転車は通れる

ここから自衛隊前の踏切を目指す

ここは難しく説明がむり




『これより松戸市』をおさえたら

自衛隊の横を通る

市境は基地の中にあるので通れない





看板を無視して松飛台

基本は碁盤の目になっているが行き止まりも多い街

なのでこの町も市境にこだわりづらい








小学校の次の道を曲がるとスマートに行ける

道が狭いので不安になるが

左鎌ヶ谷、右松戸が味わえる





ここからがちょっと難しいが

ポイントはコンビニ前(標識なし)

串崎新田の境界線ははっきりしている





野馬土手がどうやら境界線になったようだ

その延長に新京成電鉄の車両基地がある

地図上ではこの先は松戸の敷地

自衛隊もそうだけど鎌ヶ谷との共同の土地が多い







突き当たった所は抜け道なのか


道が狭いうえに


車の交通量が多いので注意








ここにも野馬土手の名残がある

この先は『初富』で千葉県のナンバーズ開拓地でもある

一番最初に開墾したから初富ともいわれ

全部で13ある

(あるあるでした)





この辺の名物は他に野球部専用グランド

松戸市初の甲子園出場は去年のこと

今年はどうなるか?猛練習中でした





鎌ヶ谷エリアはここまで

大町駅からは市川市

残念ながら3市の境目は見れず

(ゴルフ場の中)





大町駅から松飛台駅までは

北総線の下を道なりに進む

松飛台駅南口から東松戸駅手前まで道なり

そこからが難しい





市川の道を横断する

464号へはこの道がスマート

坂を上る






ポイントはこのまごころゾーン

『これより松戸市』をおさえ

次のポイントも難しい





車では通行困難の道を行く

武蔵野線の上

ここが正規ルート(グランドライン)





市川ってこんなイメージなのかって道を走る

どっちに行ったらいいのか?郵便屋さんのいる方が正解

標識は何もない





道なりに進むと病院の裏にでる

このまま進んでもいいが

一本内側の道が本線なのでそっちに行く





地図だと階段マークになっているが自転車は進める

やっぱ実際に現場を見てみないと分からないこともある

この先から住宅街が境界線となる





大通りに出ると車が多くなるので注意

51号の『これより松戸市』を抑え次のポイントへ

ここからがまたちょっと難しい


市川エリアはまだつづく









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松戸一周サイクル右回り(3)

2016-07-13 | 松戸




今回失敗したのがここから

正規のルート(グランドライン)からはずた

全く道のイメージがつかめず









弁天池ルートが正規の道なのだが

直線の道を選んでしまった

大きい工場を曲がるはずが真っすぐ行ってしまった





突き当りは見晴らしのいい丘の上

高塚って地名のことはある

複雑なエリアを抜けたらそこは

秋山の180号だった







この辺も難しく付属高校を目指し軌道修正

戻る気力もなくなり集中力も切れてきた

まだ食事はしていない






なんとか学校の前に出た

ポイントは商店の横

高塚新田の梨香台からここに出てくる予定でした






こっちにも野球グランドがあり練習をしていた

市境はこの橋

(前回ここを探すの戸惑った)





川沿いの砂利道を通り

ここから北国分駅を目指すのだが

また微妙に間違えた

北総線の横の坂を上る





また180号に出たんだけど

頭の中と地図が合わない

とりあえず進んでみた





今回は北国分側から抜けようとしたが

予定とは違った所に出た

この道からは江戸川までイメージができる





外環を通り神社前に

左市川右松戸

やっとこの状態

これぞグランドライン♪




坂を下りお寺前

病院からコンビニへ坂を上がる


疲れた





『ここまで松戸市』をおさえ

矢切のスーパー銭湯に向かう

一風呂浴びて食事休憩


カレーはまずハズレることはない

スタミナ回復






リフレッシュしてリスタート


栗山を上り下って江戸川へ


雲行きが怪しくなる






海まで15.5k地点

流山ポイントまで約10kてとこ

ゴールまで後13kぐらいラストスパート

向いは東京都(葛飾区、微妙に江戸川区)






矢切を走り松戸市を見渡す

外環道もだいぶ出来上がりつつある

電車に見えるデザインなのかな?






海から25キロ

向いは埼玉県(三郷市)

江戸川サイクリングほぼ10k完走

『これより』をおさえる


(次回からはここをスタート地点にしたほうがいいのかもしれない

松戸と流山の境界線だから)





江戸川の土手を降りて

『これより松戸市へ』

流山街道は車が多いので要注意






このエリアの松戸と流山の市境は複雑

流山市内の方がスマートに進める

明神掘りを走り大型家電店を右折し道なりに進む






武蔵野線をくぐり

斜めに入る道が難しい

(コンビニの裏)





そこをまっすぐ進むとゴール

『これより松戸市』

そして病院前へ



なんと今回は67k

前回より1k短縮

結構ロスもあったけど秋山のあたりかな?


右回りの方が後半銭湯に寄れるのがいい

夏は南風に乗れて快適

サンセットが観れるのもいい


また今回も課題が残ってしまった

次回はもっと精密に周ってみようと思う


では

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