1976年にアメリカで 結成された、4人組のバンドでアメリカのルーツミュージック、すなわちフォーク、カントリーそしてR&Bなどを演奏します。
CCR が解散したため、新たなプロジェクトを模索していた、CCRのベース担当だったスチュワート・クックと同じくドラムス担当だったダグ・クリフォードが、新人歌手、ドン・ハリソンのレコードをプロデュースを手がけることになったのですが、最終的に彼ら2人ともう1人ギタリストを参加させ、バンドとしてアルバムを制作することになりました。それがドン・ハリソン・バンドです。
彼ら2人がバンドに加わったということは、当然そのサウンドはCCRに似通ったものとなります。ファースト・アルバムからシングル・カットされ、全米47位と中ヒットしました“シックスティーン・トンズ” は、カントリー・シンガーのテネシー・アーニー・フォードが1955年に歌い全米1位となったヒット曲をカバーしたものでした。ドン・ハリソン・バージョンはCCRそっくりに仕上がっています。まあ、CCRのジョン・フォガティーが歌えばもっと迫力が増したのではと思いますが、新人バンドとしては及第点以上の出来でしょう。
このバンドは、翌年もう1枚アルバムを出して解散しています。10曲中、“シックスティーン・トンズ”を除いた9曲が彼らのオリジナルの曲だったのですが、これらの曲が弱くアピールしなかったのが敗因と思います。オリジナル曲を減らし、以前ヒットしたキャチーな曲を3-4曲彼ら流に カバーすれば、もっと売れたのではないかと思います。EX-CCRの2人組がついていながら、何故そうしなったのか今でも不思議に思います。
それでは、非常にご機嫌なサウンドに生まれ変わった“シックスティーン・トンズ”聴いてください。
DON HARRISON BAND - Sixteen Tons
ジャケ裏の写真。左から、スチュワート・クック、ラッセル・ダシェル(リードギター担当)、ダグ・クリフォードとドン・ハリソン(ボーカルとリズムギター担当)
CCR が解散したため、新たなプロジェクトを模索していた、CCRのベース担当だったスチュワート・クックと同じくドラムス担当だったダグ・クリフォードが、新人歌手、ドン・ハリソンのレコードをプロデュースを手がけることになったのですが、最終的に彼ら2人ともう1人ギタリストを参加させ、バンドとしてアルバムを制作することになりました。それがドン・ハリソン・バンドです。
彼ら2人がバンドに加わったということは、当然そのサウンドはCCRに似通ったものとなります。ファースト・アルバムからシングル・カットされ、全米47位と中ヒットしました“シックスティーン・トンズ” は、カントリー・シンガーのテネシー・アーニー・フォードが1955年に歌い全米1位となったヒット曲をカバーしたものでした。ドン・ハリソン・バージョンはCCRそっくりに仕上がっています。まあ、CCRのジョン・フォガティーが歌えばもっと迫力が増したのではと思いますが、新人バンドとしては及第点以上の出来でしょう。
このバンドは、翌年もう1枚アルバムを出して解散しています。10曲中、“シックスティーン・トンズ”を除いた9曲が彼らのオリジナルの曲だったのですが、これらの曲が弱くアピールしなかったのが敗因と思います。オリジナル曲を減らし、以前ヒットしたキャチーな曲を3-4曲彼ら流に カバーすれば、もっと売れたのではないかと思います。EX-CCRの2人組がついていながら、何故そうしなったのか今でも不思議に思います。
それでは、非常にご機嫌なサウンドに生まれ変わった“シックスティーン・トンズ”聴いてください。
DON HARRISON BAND - Sixteen Tons
ジャケ裏の写真。左から、スチュワート・クック、ラッセル・ダシェル(リードギター担当)、ダグ・クリフォードとドン・ハリソン(ボーカルとリズムギター担当)
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