1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市上空で世界初の原子爆弾が投下されました
地上から約600m上空で爆発。広島市街は壊滅し、広島市に暮らしていた約35万人の日常を吹き飛ばしました。
原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていないそうです。
広島市のHPによると、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計されています。
人類はこの悲劇から目をそむけることなく、犠牲になった方々の霊を慰め、世界平和を祈る日として
広島市は8月6日を「平和記念日」に制定し、原爆慰霊碑の前で「平和祈念式典」を行っています。
◆原爆被害の概要 広島市公式ホームページ
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/9399.html
献花の意味を込めて、今日は花々の写真を投稿いたします。
◆広島市 HP
https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/9400.html
今年も8/6が訪れましたね。戦後78年経ちましたが、原爆の中を生きて来られた人々の数が減り、
更にはこの事実を伝える次代の人々が育たない現実を危惧しています。
そんな中、朝のテレビで伝えていたのは、10歳の少年の事でした。
広島市の彼は8歳の時から、広島を訪れた外国人たちに、英語で原爆について説明しているのだそうです。
自分の意見もはっきりと語れる、すばらしい少年です。8歳からそんな活動をしたのは、彼の曾祖母が被爆者だったからだそうです。
私たちの知らないところで、こんな子供たちがいたとは!とても感動しました。
私の夫の祖父と母は、原爆の日、まさに広島市の近くにいたそうです。もう少しで被爆者になるところでした。
原爆の日は我が家にも無縁ではない日になっていますが、では私に何ができるのか、と問われると、何も答えがないです。
それがきっかけで、10年前に原発反対運動に関わったり、子供の避難活動に協力したいきさつがありますが。。。
まもなく9日も来ますね。
今年の平和記念日は、いままでとは違った気持ちで迎えることとなりました。
現政権の方針が、日本をじわじわと戦争に向かわせている気がしてなりません。
多くの方が同じような危機感を抱いているとSNSでも強く感じます。
広島出身の岸田首相のもとで、そのような状況になるとは、
なんとも皮肉なものですね。
10歳で英語を話し、海外からの旅行者に広島を語り伝える少年もいるのですね。
襟を正したくなるお話をありがとうございました。
選挙権を持つ大人の一人として、私も戦争反対の意識を持って、一票の力を行使していこうと思います。