「なんだかね
一日終るとね
ふりだしに戻ってる気がして」
華原朋美「Hate tell a lie」
自分が思っているほど、他人にはそう思われていない気がしてならない。
全てが私の自己満足だったのだろうか。
報われないと思うほど悲観的ではないのだが、今日、気になる発言をされたので色々と考えてしまう。
会社内で交される会話で私が一番嫌いな言葉は「女の子」だ。
女性社員を意味する「女の子」という言葉。
以前取引先の業者さんが「うちの女の子にやらせますよ」と言っていたのに対し、「御社は女児を雇用しているんですか?」と真顔で言い返してしまうほど、嫌いだ。
そこには「会社=家族」という何ともレトロこの上ないニュアンスが隠されている気がする。
それだけではない。
いずれ時期が来たら、「寿」という熨を付けてとっとと追い出そうという男性中心の企業心理も嗅ぎ取れる。
彼等の定説である「女の子」を早く脱却したいという揺ぎ無い信念のもと、私はずっと会社員をやってきたつもりである。
しかし、「女の子」と言われずとも、その単語を発生させる彼等の意識に接した今日、私は塩を揉み込まれたナメクジのように意気消沈。
このままこの先やっていって、いったい何になるんだろうか…普段は目をそらしている虚しさまで感じる。
と、まあ、ここまで書いて風呂に入る。
よく考えてみた。
自分の抱える仕事は、果たして何なのかを。
そして一つの結論に達した。
「今、やるべきことにしっかりと向き合うこと。それだけを信じよう」
結果は後からついてくる。
女性ということがハンデになるのならば、その分頑張ればいいんじゃない?と。
何をどうこう…という具体策はまだないんだが、基本に返り、抜け目がないかもう一度確認する。そして、何か専門的なマニア仕事を身に付けて高める。職人になる。
そう思い手帳を開く。
「生きているうちは何でもできる」という未知なる可能性に、思わず身震いしてしまう。
人の波に流されそうでも1ミリも動きたくない、離れたくない…あの場所に居座り続けるため、腹をくくった。
「きらいって言うのは簡単で
でも言ったって 何も変わらない」
って、朋ちゃんも歌っているし。
一日終るとね
ふりだしに戻ってる気がして」
華原朋美「Hate tell a lie」
自分が思っているほど、他人にはそう思われていない気がしてならない。
全てが私の自己満足だったのだろうか。
報われないと思うほど悲観的ではないのだが、今日、気になる発言をされたので色々と考えてしまう。
会社内で交される会話で私が一番嫌いな言葉は「女の子」だ。
女性社員を意味する「女の子」という言葉。
以前取引先の業者さんが「うちの女の子にやらせますよ」と言っていたのに対し、「御社は女児を雇用しているんですか?」と真顔で言い返してしまうほど、嫌いだ。
そこには「会社=家族」という何ともレトロこの上ないニュアンスが隠されている気がする。
それだけではない。
いずれ時期が来たら、「寿」という熨を付けてとっとと追い出そうという男性中心の企業心理も嗅ぎ取れる。
彼等の定説である「女の子」を早く脱却したいという揺ぎ無い信念のもと、私はずっと会社員をやってきたつもりである。
しかし、「女の子」と言われずとも、その単語を発生させる彼等の意識に接した今日、私は塩を揉み込まれたナメクジのように意気消沈。
このままこの先やっていって、いったい何になるんだろうか…普段は目をそらしている虚しさまで感じる。
と、まあ、ここまで書いて風呂に入る。
よく考えてみた。
自分の抱える仕事は、果たして何なのかを。
そして一つの結論に達した。
「今、やるべきことにしっかりと向き合うこと。それだけを信じよう」
結果は後からついてくる。
女性ということがハンデになるのならば、その分頑張ればいいんじゃない?と。
何をどうこう…という具体策はまだないんだが、基本に返り、抜け目がないかもう一度確認する。そして、何か専門的なマニア仕事を身に付けて高める。職人になる。
そう思い手帳を開く。
「生きているうちは何でもできる」という未知なる可能性に、思わず身震いしてしまう。
人の波に流されそうでも1ミリも動きたくない、離れたくない…あの場所に居座り続けるため、腹をくくった。
「きらいって言うのは簡単で
でも言ったって 何も変わらない」
って、朋ちゃんも歌っているし。