世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

月とメメントモリ

2016年09月15日 | Weblog
夕方から吉熊上司は外出。
明日の午後に帰社する予定。
「これを明日の朝、お願いね」
と言われて、緊張感が漲っているなう。


お昼はオムライス。




今日は中秋の名月だ。
今宵、残念ながら我が家からは名月は見えぬ。

幼き頃、十五夜の日は母ヨーコたんに「すすきを取ってきてね」と頼まれて空き地まで取りに行った。
当時から他人にお願いされる現象に嬉しくなる子だった。

妹を連れて空き地ですすきを手折り、南に面した廊下に生ける。
私たち子供が団子を捏ねてる間、母はけんちん汁をこしらえる。
十五夜にけんちん汁って群馬と栃木特有の文化らしい。

「うーさぎ、うさぎ、何見てはねる~♪」をジャイアンの如く熱唱しながら、妹と弟と一緒に歪な団子を製作。
図画工作みたくて楽しかった。

けんちん汁の美味しさは理解できなかったが、きな粉を塗した団子は子供心に美味しかった。
「これ、夕ご飯にカウントしてもいいの?」というクリスマスケーキに匹敵する非日常を感じたものである。

廊下に生けられたすすきのフワフワ部分の隙間から見える、雲にたなびく風雅な月にうっとりもしていた。




大人になった私は、十五夜というと、まず映画「かぐや姫の物語」を思い出してしまう。
姫が天人に連れ去られるシーンが不意打ちすぎて、「嗚呼、死ぬってこういうことなんだ」って思った。
天女がこの世の記憶を消す羽衣を姫に掛けるあのシーン。
無機質で否応無く、待った無し・・・死ぬってこういうことを指すのだなと思い知ったのである。


あの映画を観てから、
月→かぐや姫の物語→死
という連想が起こるようになった。

中秋の名月に・・・メメントモリ、死を想え。




もう一つ。
十五夜ったら、うさぎ。

我が家の「うさくみゃ」を引っ張り出した。
うさみみフードを被った、これでもクマなんである!!うさくみゃ。



BABY,THE STARS SHINE BRIGHTというメゾンの商品である。
が、私は4年前、下妻のイベント「世界で最も偉大なロリータのパーティ」で購入した。(2011年10月23日「世界で最も偉大なロリータのパーティ」)


死ぬ前にやらなくて後悔することがあるとしたら、ロリータのお洋服を着ることなく死ぬことだろうか。
いつも「BABY,THE STARS SHINE BRIGHT」のサイトは見るものの「あと20年若ければ」とため息を吐きながら、消す。
2つ年上の友人はロリータ現役なのだが、私は着こなす勇気が無い。自信が無い。「20年」の数字だけが年々加算されていく。


今日気づいたのだが、今年の初めに読んだ小説「メメント・モリ」の作者の原田宗典さんも、最近「落花生」でやはりメメント・モリについて書かれている嶽本野ばら先生も、大麻で逮捕されている。

メメントモリ、死を想え。

されども、今宵、月は見えぬ。




秋といったら、やはり読書の秋!!
月とクマのコラボ書籍を発見。

「ぼく、お月さまとはなしたよ」



弟がまだ小さい頃、我が家の本棚にあった。
内容は忘れちゃったけれども。
機会があったら読んでみたい。




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