早く起きてしまったのでパソコンを立ち上げた。
気持ちの整理をするべく、ブログでも。
妹は来週の今日、嫁ぐ。
結婚式の動画を閲覧したりしているものの、結婚式のイメージが湧かない。
我が家で結婚式を開催するのは初めてなので仕方が無いことなのかもしれない。
私は「結婚したら自殺する」とのたまう非婚主義(原理主義)、末っ子の弟は仕事一筋で休日は趣味の映画を観たり講習会で勉強したりしてて結婚どころではない。
そんな中、真ん中の妹、結婚。
妹は私が2歳4ヶ月のときに生まれた。
正直、厄介なのが来たなと思い、ちっとも嬉しくなかった。長子だった私は親の愛情を一心に受けてきた。だが彼女の出現により、それが分割されることに幼心に理不尽さを感じていた。
何より妹は何をしても要領がよくて怒られなかった。
てか、お調子者の私を諭す子だった。
私が幼稚園生のとき、父と妹と私とでスーパーのレジで会計をした際、なかなか商品をレジ台に置かない妹に、父が
「たんちゃん(妹のあだ名)、早く置いて」
と強い口調で言った。(父はあまり感情を露呈しない人だったにもかかわらず)
妹が強い口調で怒られるという珍しい光景を見た私は狂喜乱舞!やべぇ~、嬉しい!
「わ~い!たんこ、怒られてる!!わ~い!!」
と言うと、妹は
「亮ちゃん。パパは怒っているんじゃないの。注意してるの」
と静かに言い、父も私も唖然・・・。
そういう子だったのである。聖人というか、なんちゅうか。
小学生になった妹は成績も優秀で、学芸会では毎年、安定の主役だった。マラソン大会でも10位以内。絵を描けば入選し、習字も上手だった。ピアノは子犬のワルツを優雅に弾きこなし、親の理想とするような子であった。見てくれも色白の市松人形のようで可憐であった。
日焼けして真っ黒。成績も運動も低空飛行、おまけにいたずら好きで子供なのに子供が大嫌いで妹と弟をいじめることに異常な執念を燃やしていた私とは対極の存在であった。
「亮ちゃんがママのお腹の中に置いていった才能を、きっとたんちゃんは拾って生まれてきたんだね!」
と言っていた母の言葉に頷くしかなかった。
そして妹は弟の面倒を見ながら(おむつを替えていた)、私のことも案じる優しい子であった。
成績表を親にディスクローズせねばならない学期末。惨事を具現化したかのような私の成績表はランドセルの中で重かった。
そんな私を尻目に、
「あんまり亮ちゃんを怒らないであげてね」
と母にそっと言ってくれたらしい妹。
中学に入った妹はそれまでの優等生キャラに嫌気がさして、ちょっと派手な子とつるむ様になった。
母が咎めると強く反抗した。
が、一瞬落ちた成績もぶり返し、優しい性格が故、友人関係に苦慮しながらも中学を卒業。
その頃ミスチルのファンクラブに入会。
私の大学受験、彼女の高校受験が重なった時期は、二人でよく図書館に行った。
コタツでもよく勉強をした。
どっちかが寝てしまうと「起きろ!寝たら死ぬぞ」と越冬隊の如く、励ましあった。
記憶が正しければ、あの頃から一度も喧嘩をしていない。
第一志望校の県立高校は落ちてしまったものの、高校時代は真面目に勉強していた。
ただ家庭におけるお手伝いの件で母と対立し、床にフライパンを投げつけたことは我が家の伝説になっている(フライパン事件)。
やがて妹は都内の女子大へ進む。2年生まで東京の西側のキャンパスだったので、大学入学とともに一人暮らしを始めた。
埼玉の大学まで往復4時間かけていた私は心の中で若干イラっとしたが、家事が嫌いだったので「まあいいか」と思い直した。
妹の家に泊りに行き、シングルベッドで二人で寝たこと、朝までカラオケで熱唱したこと、あんず村というジャズ喫茶で食べたグラタンのこと、当時見ていたドラマ「セミダブル」のロケ地(東京薬科大)に行ったこと・・・良い思い出だ。
3年生になり、東京の中心地のキャンパスへ実家から通うようになった妹。
雑誌や化粧品やCDの貸し借り、一緒に横浜や都内へ遊びに行ったのもこの時期だ。
そして就職。美術系の勉強をしていたので都内のメーカーでデザインの仕事をしていた。
仕事柄、何度か転職をしたのだが、そのたびに年収アップ。
会社を辞めてからもかつての飲み仲間との絆は途切れることなく、飲み仲間は増えていく一方。
新卒以来、ずっとプロパーで同じ会社に地味に居続ける私とは一線を画し、WEBデザインの資格を取り上昇し続けている。
妹は私と違って弟の面倒をよく見ていたので、きっと面倒見のいい子なのだろう。
飲み会のときも気が利く。世話焼きなのかもしれない。
子供が嫌いで、親戚の子供に触られたりしつこくされると、鬼の形相で睨みながら「・・・チッ」っと舌打ちしたり無視したりする私とは違い、妹は子供がほしいと言っている。
婚活という活動をし、縁あって、彼氏と出会った。穏やかで優しくて、どことなく妹に似ている。
彼氏もミスチル好きで、嬉しいことにクマ好きという。
もし私がいなければクマ好きの男子なんて「きめぇ」で一蹴してしまっていただろうが、私で免疫ができたのか、嫌悪感を抱かずに彼氏を受け入れることができたらしい。
吉熊、グッジョブ。
プロポーズされたとき、最初に報告した相手は私だった。
去年の夏、淵野辺に上坂監督の「HAYABUSA2 Return to the Universe」を見に行き、その帰り、妹と飲むことになった。
居酒屋に大きな花束を抱えてやってきた妹はとても嬉しそうだった。
(2014年7月27日 はやぶさ2)
あの時飲んだビールは最高に美味しかった。
昨年9月に妹彼氏に会ったのだが、意気投合。
ずっとクマ談義をしていた。・・・妹は冷ややかに見守っていたが。
親族にクマ仲間が増えてすごく嬉しい。
そう。義理の弟ができたというよりも、私と吉熊にとっては「クマ仲間が増えた」という感覚のほうが強い。
奇跡だ!
思えば趣味も好みも生き方もまるで違う我々姉妹。製造元が一緒だとはにわかに信じがたい。
妹はナチュラルなテイストを好むが私は花柄の服が好き、など。
でも不思議と気が合う。何時間でも話していられる。
妹へ。
きっと忙しくてこの文章を目にすることはないと思うけど、本当に嬉しいよ。
優しくて器用な芋子さんのことだから、きっと素敵な家庭を築くことでしょう。
おめでとう。お幸せに!!
これからもよろしくね!!