☆~Carefree Life~☆

HPの管理人 Sugaryが、日々の出来事から、趣味や宣伝まで勝手気ままに綴ります。

賛成派

2008-09-12 08:37:40 | 日常生活
ちょっと今更ですが…。
森山直太朗さんの、「生きてることが辛いなら」という歌がかなり注目を浴びていますね。
理由は冒頭の詞に賛否両論が出ているからで、放送するにも規制がかけられているそうです。

賛成派・反対派、どちらの割合が多いのかは分かりませんが、私は断然“賛成派”です。
正直、この歌を聴いてじんわりと涙が浮かんできましたもん。

確かに冒頭の言葉はインパクトがあって、現状が辛い人にとってはかなり痛い内容ではあります。ただ最後まで歌詞を読めば、それが本音ではなく、皮肉を込めた“叱咤激励”なんじゃないかな…と思えてくるのですが、皆さんはどう思いますか?

“死にたい”という人に、「死なないで」とか、「そんなこと言わずに、もっと頑張ろうよ」と励ます人は多い。でもその一方で、「死にたい? そんなに死にたきゃ死ねば? どうせ、死んだってすぐに忘れ去れるし」と突き放しながらも、実はそれが優しさだったりすることもあるんじゃないか、と。
実際、恋人や親は悲しみ、その死を忘れる事はありません。でも、“その他”の人にとっては、すぐに忘れてしまうものなんですよね。
例えば、飛び折り自殺の現場や、通り魔事件の現場など…人が亡くなった場所というのは、数日経てば何事もなかったかのように人が歩き、車が走り、いつもの光景に戻ってしまいます。そんな光景の虚しさのようなものを、“三日も経てば元通り”と表現しているのだと思います。
そして、どんな人生を送ろうとも、人はみんな“死”という場所に行きつくもので、ただそれが早いか遅いかというだけだ、と。

“生きてることが辛い”と弱音を吐くなら、どうせすぐに忘れ去られるんだし、いっそのことどっか隅っこの方で小さくなって死ねば?

──なんて言われて、“なにくそっ”という気になって欲しい、そんな思いがこの冒頭に感じられるんですよね。

そして、“死にたい”と思うほど辛い人にとって、“くたばる(=死)”ということは、“楽になる”という点で、ある意味、“楽しみ”というものに置き変える事ができるのではないか。
また、やるだけやってくたばったのなら、その充実感というか達成感という“喜び”もあるはず。
そう思うと、最後の“くたばる喜びとっておけ”というのも、“これでもか、これでもか”と頑張って、その“喜び”を最後の最後までとっておくくらい、頑張って生きてみろよ、というメッセージに聞こえてくるんですが…。


まぁ、捉え方は人それぞれですし、一概に“これだ”という答えはないのでしょうが、私はそう捉えました。
コメント
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