「働く」ことには、たくさんの側面があり、
日々の中では自覚しなくても・・・・
時として、いろいろなことを感じるものである。
特に最近は、「仕事がある」だけで、有り難いと思う時代となった・・・。
数年前に、「働くとは、端を楽にすること」と聞いたことがある。
※端とは、自分を取巻く周囲の人々のことである。
「働く」ことで、報酬を手にすることができるが、働いた内容によっては、
手にした報酬が嬉しくなかったり、複雑な心境になることもある。
だから、仕事の質や、自分との相性は、非常に大切な要素となるのだ。
また、働くことで、社会の一員として貢献していることになり、
どんな仕事をしても、それは同じである。
仕事そのものに、良し悪しはないけれど・・・
労働の具体的な内容と、自分との相性はあるかもしれない。
私のケースを例にとれば・・・
まず自分自身が諸事情全てについて理解して、「満足している」のが何よりだ。
その感覚は、すべての指針となり、モチベーションにもなる。
しかし、たとえ自分が100% 納得していなくても、クライアントから喜ばれたら、
それまでの苦労が、一機にどこかへ飛んでいく。
相手に心から御礼を言われたら、自分のやってきたことが「間違いではなかった」と、
かすかではあっても“自信のような手ごたえ”を感じることがある。
評価は後からついてくるものだと思うが、まずは目の前のクライアントの笑顔が、
何よりも“やる気”を促進してくれるものだったりもする。
これらは、私の経験からくる「生の感想」だ。
非常に短絡的だとも思うが、私自身がモチベーションを維持していくためには、
たった一言の言葉が(現実的に)勇気を与えてくれることがあるようだ。
だから、人との関わりは、とても奥が深く、極めようと思えば限りがないのだろう。
しかし、決して、私は、「誉められるために、働いているのではない」。
これまでも、あらゆる条件は、労働環境によって変わってきたものであるし・・・
仕事の質や、立場についても、面白いぐらい臨機応変に順応ができたのが私だった。
「働く」ことは、まずは、生計を立てるという自立への近道であることは間違いない。
そうして、その先に・・・・いろいろな現実的な事実が見えてくる。
そこに見いだされる感覚や感情もまた、自分の価値観次第ということになるようだ。
ところが、最近の変化としては・・・
生計をたてるということが第一番目にこなくなったのが、私の変わってきた点だ。
おそらく、もっともっと端的なことを言えば・・・
将来的には、私にとっての「働く」という概念や定義が、変わっていくことになると
そんな予感がしている。
今日は、とりあえず、仕事のため、これから赤坂へ向かう・・・。
早く終わりますように!