「 無駄なことは、何もない 」
この言葉は、師のような存在であり、 父みたいだった人が、よく口にしていた。
「無駄」を、あえてテーマに 遊んでみよう 等・・・とても面白い発想をする人だった。
経験した全ての現実が、クリアに受け入れられるわけではない。
非常に微妙で、判断が難しい時もある。
だから、何が世間的に「無駄なこと」なのかというのも、よくわからないし・・・
そういう基準なんて、各々によって変わるものだとも思っている。
これまでも、「無駄こそ、必要なものだ」と、感じることが、多々あった。
「無駄だ」という思い込みをしておきながら、手にするものが大きかったり、
自分にとっては価値ある経験だったりすることも多い。
実際、「無駄」って何?・・・と感じるぐらいである。
「 この世の中に雑用という用はございません。
私たちが用を雑にした時に、雑用は生まれます 」 <by 渡辺和子>
彼女の持論からすると、時間の使い方は・・・・そのまま「命の使い方」になると言う。
丁寧に時間を使うと、丁寧な人生が残るそうだ。
時間を ぞんざいに使うと、人生の中で ぞんざいな時間として 残るらしい。
まさに、無駄だと思っていたことも、同じ論理であるように思う。
自分の捉え方と、対峙の仕方で、いかようにでも変化するものである・・・と。
この貴重で、愛しい「自分の人生を、どのようにして生きるのか」ということは、
まさに日々の平凡な毎日を、どれぐらいの「愛」を注ぎながら生きていけるか・・・・
そういうシンプルな問いに、答えは 詰まっているような気がする。
自分らしい「愛」の込め方と、伝え方・・・・その積み重ねが、日々の自分の暮らしと
重なり、同時に自分自身の存在意義とも重なってくるような気がする。
体裁や結果を過剰に 気にしたりしているうちに、
諸々の過程を重視するあまりに 見失ってしまうものがあったりして、
それと同時に“自分自身”の立ち位置をも (気がついたら)見失っていることが多い。
要するに、ものの判断をするときの機軸が、ぶれている証拠である。
「自分らしく生きる!」 ・・・私の壮大な課題は、これがキーワードかもしれない。