企業の 「 社会的責任 」

2012年08月29日 | 社会 -

数年前のことだった。
新卒の就活者にアンケートをとったところ、「社会貢献をしている企業に
就職したい」という結果が多かった・・・という記事を読んだ。

どうぜ働くなら、自己存在が明確になる仕事、社会にとってプラスになって
いるという自覚を抱ける企業が好まれているようだ。



昔は、企業のネームバリューや、給料他の待遇や条件が最優先されたが、
そのような企業の(所詮はコマとして働くので)過重労働を甘受するよりも・・・
自分が判断する “「やりがいのある仕事」を選びたい ” という。
また、“「社会に誇れる企業」に就職したい ” ・・・ということらしい。


上記のような、資本主義経済原理に起こっている(転換期のような)価値観は、
より新たな「企業の社会的責任」(CSR)の自覚が重要になってくる。



しかし、現在、このCSRの思想さえ、市場原理の変化によって歪曲する傾向がある。
その一方で、かつての日本型経営において、CSRの思想が、企業文化の中に、深く
根付いている会社や、特に意識して(以前から)掲げている企業もある。
これらは、消費者や、一般国民の抱くイメージにも、微妙に影響を与えるし・・・・
業績にも響くからかもしれないとも思う。



かつては、自発的規律として存在したり、自発的使命としてしか存在しなかった・・・
この概念は、これからの日本、あるいは地球にも、大きな影響を与える項目になった。


心ある企業だけが掲げていた思想が、今や、HPでチェックする企業の重要な要素に
なってきたように思う。
利益だけをあげるだけでなく、(もちろん利益をあげつつも)企業の社会的責任という
自覚も促されてくるようになる。
そして、これは思想だけではダメで、行動に伴っていなければ意味がない。
HPには、カッコ良い言葉を連ねて、現実には実績のない会社も、たくさんあるから、
実際、私も、必ず確認をしている大事な要素となっている。



この国では、昔から 「社会的責任」や「社会貢献」というものは、個人レベルでも
存在していたものである。
それが、企業単位でも、明確になってきたというだけのことだ。





おばあちゃんが言っていた言葉、・・・どんな仕事でも「世のため、人のため」という
社会に対する使命感を持って働くことを尊いと考える「職業観」とも一致する思想である。
同時に、日本独自の「美学」や「美意識」を大切にする文化であるからかもしれない。

どちらにしても、不義理な行為をしていたり、社会的責任を果たしていない企業には、
魅力を感じないし・・・・、代表の言い分を聴きたい気分になるときもあるぐらいだ。

グローバル企業を目指す会社にとっては、特に必須の条件になってきたように感じる。



隣国関係は冷静に対処を!

2012年08月29日 | 社会 -


ロンドン五輪での韓国人サッカー選手の竹島(韓国名・独島)問題をめぐる
反日宣伝行為は、確実に政治行為であり、スポーツマンシップに反する。
五輪は、「平和の祭典」だ。

これが、きっかけとなって、国際問題になっているが、こんなマナー違反には、
徹底的に抗議する姿勢で臨むべきだと思う。



昨今、特に目立ってきた韓国人の政治活動は、まるで日本の脱原発活動に似て、
ある意図を感じるし・・・
おそらく、それらのパフォーマンスを通して、「何かを訴えたい」のだと思う。


今回、韓国内では、問題の行為をたしなめる声はほとんど聞かれないらしいが、
大統領の行動と発言に関しては、さすがに「行き過ぎた行為である」と感じて
もらわないと、日本人としては示しがつかない。

大統領の天皇に対する発言は、特にひどいと思う。
訪韓の希望もない天皇に向かって、謝罪を求めるという理解不能な発言。
本当に、わけがわからない。
それが、政治的なパフォーマンスだとしても理解できないし、許せない。




韓国社会には
「日本相手なら何をしてもいい」という雰囲気があるらしい。
それが上記のようなマナー無視や 礼節度外視の行動を 生んでいるのだ。



長い自民党時代、“平和ボケをしたような時代” が あった。
いつも政治の世界は 「なしくずし」 「とりあえず」 が キーワードだった。
隣国の領土問題に関しても、ちゃんとした態度では接してこなかったからだ。

日本政治界の「今はとりあえず、まぁとりあえず。次の内閣へ」という姿勢は、
何の意味もない。 とにかく、建設的ではないし、相手を甘やかすだけだ。

ちょうど10年前に、韓国の某業界関係者と一緒に仕事をしたことがある。
双方とも、かなり神経を払ったのが、この領土問題に関してであった。
現場の人間は、友好的に日々を過ごしたが、このプロジェクトに参加した
韓国の文化人の発言と態度には、非常に複雑なものを感じとった。
公にしなくても、心の奥に潜む想いというのは、また違ったものがある・・・と。



今回の一連の騒動は、日本の国力が低下しただけの理由ではない。
日本国が反論をしないのが分かっているからでもあると思う。
もっと国際社会に向かって、日本政府は主張すべきであるし、隣国の非礼に
対しては、正式に抗議をするべきだ。

たとえ、「パフォーマンスだから」と解っていても、何の反応もしなければ、
某国のように親書を受け取らず、返されるという・・・非道な態度を繰り返す。


なぜ、日本国民は、これまでして、弱腰なのかと思う。
言うべきことは言って、聴くことは聴き、とことん話し合い、向き合わないと、
状況は変わりはしない。
いつまで「なしくずし政治」を続けていくのだろうと、不安になる。



草の根的には、韓国との友好関係を進めているのに、政治の世界だけが、
ずっと変わらない状況で、韓国の人々も、経済マーケットの観点でしか、
日本を捉えておらず、そこだけが目的なのなら、これほど寂しいことはない。

二つの顔を、併せ持つような変化を繰り変えされたら、何が本当の目的なのか・・・
わからなくなってしまう。

韓国内有識者は、大統領の発言と行為を(心の中では)非難しているようだが、
公にしてくれるだけのオープンさがなければ、心からの信頼はできないし、
今後の両国の関係は冷え切ってしまうだろう。・・・と期待するぐらいだ。

特に、北朝鮮や中国が隣国に控えているだけに、本来であれば、韓国も日本も、
冷静に周囲を見渡してもらいたいと切に願う。
稚拙な “小競り合い” を している場合ではないだろう・・・。






日本政府には、領土問題をたくさん抱えている状況を、一つ一つクリアして、
問題解決してもらえるように、努力してほしい。
何度も、何度も、同じような問題に関して、悲哀に満ちたニュースを
聴きたくはないし、「もっとしっかりとしてくれないか」と、凄く感じる。

「次の世代に・・・」という政治のやり方は、もう辞めていただきたい。