アレルギー性 気管支喘息

2012年08月03日 | 出来事 -

この時期になっても、まだ「咳」をしている人を
頻繁に見かける。 つい、目がいくようになった。

「春ごろから 咳こんでいなかったかなぁ ? 」

時間をかけて聞いてみると、やはり本人はアレルギーを
持っていて、「咳は、良くなったり、悪くなったりで、
相変わらず “咳止め” の薬を飲んでいる」とのこと。

少し前の私が経験したことを 話してあげると・・・
「実は、皆から、そろそろヤバイと言われている!」
そう語って、少しばかりインターネットで 情報を
集めたと話していた。不安そうでもあった。

アレルギーが原因で、咳が出て、気管支炎になり、
挙句の果てには、喘息になってしまうなんて!
びっくりしてしまうよねぇ。 当然だと思う。
私も、そうだったから・・・。

でも、それ以上に仕事中に、咳を我慢するのは
とても辛いし、夜中の咳こみは本当に嫌になる。



呼吸器科は、内科とそうかわらず・・・
大学病院でも、呼吸器科があっても、専門医がいなくて、
ほとんど内科の延長線上だったり、適切な判断ができない
医師ばかりの病院もある。
また、呼吸器専門の高額な機器がないと、気管支の状態が
的確に診断できないこともあり、やはり高くても正確な
自分の病状・喉の状態を知るべきだと思うので、極力・・・
専門医と専門機器がある病院を探すべきだと思う。
薬を飲んでいても、咳は止まらず、それが数ヶ月続いたら、
アレルギー性の咳喘息や、アレルギー性の気管支喘息を
疑うべきかもしれない。

大嫌いな薬も、少し我慢して飲めば、咳は必ず止まる。

確実に止まるので、アレルギー咳の薬を飲むべきだと思う。


病院関係は、セカンドオピニオン、サードオピニオンが、
フツーになってきた昨今だからこそ・・・
気楽というと語弊があるが、不安があったら、病院(医師)は
変えるべきだと思う。


私も、完璧に治すことを目的として、まだ今でも、吸入と
薬を一錠だけ服用している。

症状によって違うけれど、とてもひどかった私の場合は、
だいたい二ヶ月ぐらいの治療で、完璧に咳は止まった。
私は、それから二ヶ月ぐらいになるが、咳が止まってからも、
まだ吸入と服薬を続けている。


驚愕の「クライアントの要望」

2012年08月03日 | 仕事 -

いつも、いつも、やってくる。

まただ・・・と、思った。


担当者は、早口で、何を説明しているのか分からず、
聞きなおすと「ドッカーン」と雷が落ちてきそうな性格。
その人が、しぼんで、電話口で話している。


好きか、嫌いか、というのは、言うべきことではないと
そう思っているので、私は言わない。
  相性から言うと、疲れるか、疲れないか・・・
  あるいは、負担か、負担じゃないか・・・
  あるいは、ストレスがかかるか、かからないか・・・
そういう表現を使ってみて、彼の「仕事上のやり方」を
考えてみると、「No」というイメージがわいてくる。
実際、負荷がかかるし、疲れるし、ストレスもかかる。

また、今回のクライアントの背景や関係性が、非常に複雑で、
久し振りに、大いに気を遣って、初めてどうにかやれている
という風に、マジに思う。
だから、私としては、最大限に疲れる仕事だということだ。



昨日も、また、大きな要望の変化がつきつけられた。
そのため、今日は、あたふた・・・状態だった。


珍しくないことだ。
しかし、それが「当然のことだ」と思っているのが、
あまりにもキツイし、計画性がないし、横暴なことである。

昨日の連絡は、さすがに、担当者も「申し訳ない」と
珍しい言葉を使いながら、当方の出方をうかがっていた。
ここで、クレームをつけることもできたが・・・
私としては、「早く、この仕事を終わらせたい」という・・・
気持ちが強かったので、あえて冷静に対応をした。
しかし、通常であれば、これだけ大きな要望の変化は、
普通では受け入れられないことである。
私が、これまで動いた時間、仕事の交渉、アレンジ他、
すべてが無くなってしまう・・・ということだ。

クライアントからすると、仕事を落としていると思っていても、
私からすると、「仕事を受けてあげている」という姿勢を持ち、
決して理不尽な要望には応じないという気持ちがあって、
その交渉の仕方にも、常に神経を払っている。
状況によっては、ペナルティを要請することだったある。

クライアントに対しても、立場は50・50だという気持ちで、
毅然とした態度は守っているつもりだ。

だから、ある意味で、余計に、疲れる・・・。

言われたことに疑問を感じず、その通りに動いていれば簡単だ。
しかし、私の場合は、交わした契約書を思い出して、原理原則に
則って、頭で判断してから、声に出すように癖をつけている。

ストレスの大元は、このような何でもないことにも
潜んでいると、確実に思っている私は・・・
この仕事を遣り遂げて、「精神的な自由を手にしたい」 と、
心から感じている。


昨日の私は・・・
殊勝な声を聴きながら、内容の重要さにパニックになりつつ、
その一方では、担当者の「いやぁ、本当に申し訳ない」という声に、
私の感覚が冷えていっていったのを、確実に覚えている。


正直に言うと、私にとっては、良い方向へ向かっていると
言えなくもない。
仕事が減ったのだから・・・。
まぁ、そう考えるのが、楽であり、安易な納得のさせ方だ。

他では、そういう考え方にはならないが・・・
今回は、全てが異例なことだという印象がしている。

このような交渉の事例と、毎回の交渉の一つ一つが異例であり、
学びと経験となっているのだと思うが、現在はまだ・・・
そういう風には思えないところが、きっつい現実なのだ。