若くして 亡くなった母のことを書いたメモを見つけた。
ちょうど私が介護生活中のことだが、まだ母への思慕が
高かった頃のメモだと思う。
私は、手帳を常に持ち歩き、仕事用と私用とに分け、
何かあると、すぐにメモる傾向がある。
予定や、感想、アイデア、その他、何でも・・・。
そういう膨大な捨てるメモの中から、見つけたものだ。
ルーズリーフの中に、埋もれていた。
― ― ― 以下メモより ― ― ― ―
母が逝ってから、七年になる。
父の世話と、自分の生活に精一杯で、実家の隅から隅まで
これまでは 手を入れることができなかった。
呉服箪笥には、虫よけ防虫剤を入れるだけの七年間――。
このたび、初めて、全ての着物を開き、風通しをした。
桜 舞い散る 春の日。
我家を通り過ぎる風にのって、部屋中に 着物がおどった。
まるで、五月の節句に 川にわたす“鯉のぼり”のように、
色とりどり・・・。
ゆらりゆらり、ゆらりゆらり・・・。
一度も袖を通したことのない娘用の着物が幾つもあり、
その見立ては どれも素晴らしく、私好みの色味である。
「さくら色」と「もえぎ色」が好きだった母の好みは、
今や、私の好みとなった。
年月の流れを感じる。
言葉はなくとも、伝わるものはある。
感じるものもある。
なんて、親不孝な娘だったのだろう・・・と、
涙があふれた。
喪服や、紋付、羽織、・・・
一通りのものが、私用に 全て用意されていた。
これらを準備していた時の母は、どんな心境だったのだろうと
複雑な想いにかられる。
説明を受ける時間もないまま、母の葬儀を迎えた・・・。
ひとしきり、思い出に沈んでいたら・・・
昔の若かりし頃、元気に飛び回って、
人と会っては、高らかに笑い転げていた母の顔が浮かんだ。
本当に魅力的な人だったと思う。
― ― ― ― ― <終わり>
結局、母の葬儀には、借り物の着物(喪服)を着てしまって、
未だ母の用意してくれていた喪服は新品のままだ・・・。
なんという・・・悲劇だろう・・・。
今でも、母のお友達だった人と、電話でよく話をする。
大事なタイミングで(笑)、携帯にかかってくることも・・・。
私から かけることもあるが、すると「帰ってるの?」と
問われるので、言葉を失くすことがある。
過日は、久し振りに、母の親友に電話をした・・・。
懐かしかった。
最近、(家が離れているので)実家の近所の人に問い合わせて、
私が「元気か」と気にかけてくれ、しっかりと情報を得ていた。
その偶然に、二人で、笑いあったが・・・
感謝の気持ちで、それ以上のものが見つからなかった。
今も変わらず、母がつなげてくれている「縁」は、本当に
貴重なものである。
言葉がないくらい、有り難いことだ。