衛星放送で映画「君よ憤怒の河を渉れ」(1976)を観る。原作となる西村寿行の小説は高校生の頃に読んでいた。この映画は初見ではなかったものの30年ほどのブランクもあり正直期待値は高かった。あらすじは主人公の検事(高倉健)が政界の不正に気付き内偵捜査中に罠に嵌められ強盗傷害容疑で追われるというもの。警察の執拗な追跡を逃れながらも不正のからくりを暴き、最後は無実を証明することとなる。映画は70年にありがちなコテコテのオープニングで始まる。始まって早々に高倉健は言われ無き容疑で逮捕されるも隙をみて逃亡となり話はまわり出す。観る者全員が先ずズッコケるものに逃亡シーンで必ず流れるBGMがある。軽妙でコミカルな曲が延々と流れるのだ。この映画はシリアスではなくコメディーなのか?!と我が耳を疑う。否々、この曲には何か深い演出意図か伏線でもあるのかしらと必至でフォローしてみる。しかし映画の最後までそういった仕掛けもなく、やはりコミカルなだけで終るのだ。どうして映画公開までに監督、ライター、役者の誰かがミスマッチに突っ込みを入れなかったのか不思議でならない。この曲だけで映画をぶち壊しているのだ。そして次なる見所は高倉健逃亡先の北海道でそれは起こる。森をつんざくヒロイン(中野良子)の悲鳴!見ればヒロインは熊に襲われ木の上に。その熊さんが着ぐるみモロバレの代物なのだ。ガオーガオーと木の下で暴れている。一度だけなら見なかったこととして忘れられるのだが、この熊さんは二度も出演することとなる。そして助けたヒロインの父にもらったセスナで高倉健は東京を目指す。そのセスナを追ってなんと航空自衛隊のF104スターファイターがモクモクと黒煙を噴いて飛来する!煙幕でセスナを墜落させるのが狙いなのかと勘ぐるも、どうやらジェット機模型の操演表現だった模様。その後もご都合主義の展開は続く。父の仕事で都内のホテルにいたヒロインは高倉健の電話を受け、わずか30分で西新宿に馬の大群を率いて乗り込む。逃げ惑う群集に紛れ逃げる高倉を追う刑事の容赦ない発砲。自分を罠にかけた一味の謎を暴く為に潜入したキチガイ病院での高倉のキチガイ演技。映画の最後は追い詰めた無抵抗な黒幕(西村晃)を拳銃で撃ち殺してしまう。そして正当防衛で無罪放免。原作陵辱もここまでくれば天晴れ。まあ、もし観る機会があればお勧めします。なんちゅうか本中華。因みに原作タイトルでは“憤怒”を「ふんぬ」と読むのが正しい。しかし映画ではご丁寧にも「ふんど」とルビがふられている。これも謎だ。
追記
映画のなかで違和感のあるBGMの意味を考えていてあることに気付いた。BGMはあの有名な映画「第三の男」のテーマ曲、チター奏でる「ハリー・ライムのテーマ」にそっくりなのだ。もし監督が「第三の男」のオマージュとしてこの選曲としたのならそれは相当な思い違いである。
追記2
同じような感想を持つものだなw
君よ憤怒の河を渉れ
トレーラ