作家、藤本義一氏の訃報を聞く。11PMの司会として馴染み深かったが自分にとっては印象に残るエピソードがあった。1997年に業務用「電車でGO!」を発表しブームとなったとき藤本氏がそのブームに触れ、是非、阪神淡路大震災の区間をゲームにして現地の子供を勇気付けて欲しいとコメントされたのだった。大震災は95年に起こっていたのだ。折りしも電GOは1作目のヒットを受け業務命令として直ぐに2作目の製作へと取り掛かっていた。二作目はぼんやりと快速や特急を取り入れようと構想を膨らませていたのだが、その他に作家の言葉を実現させるべくプロジェクトの取材チームを神戸へと飛ばしたのだった。しかし取材チームからの報告は予想外のものだった。路線風景のあちこちはまだ空き地が続き、ブルーシートを被る甍。とてもではないがゲームでの再現は不可能というものだった。そこで路線構想から已む無く山陽本線を外し神戸どまりとせざるを得なかった。神戸以西、西明石までの路線再現となったのは震災の傷跡も癒えた2000年発表「電車でGO!3」まで待たねばならなかった。「電車でGO!3」完成時はプロジェクトで「藤本さん、ようやくこの路線を再現できましたよ!」と内輪で祝杯をあげたものだった。
電車でGO!開発プロジェクトを代表して作家のご冥福をお祈り申し上げます。
電車でGO!開発プロジェクトを代表して作家のご冥福をお祈り申し上げます。