晴天の土曜日、久しぶりに多摩川・鶴見川コースをロードバイクで出撃。いつもの星川製麺に立ち寄るも休みだった。そういえば途中の向ヶ丘遊園にあったTVドラマ「どっこい大作」のラーメン屋も取り壊され更地になっていた。
星川製麺をスルーして南武線中野島駅を経て多摩川へ。少し考えて下流を目指す。上流側はGWの青梅遠征で走ったばかり。多摩川を3kmほど下って二ヶ領せせらぎ館横の舟島稲荷神社を参拝する。ここは以前から気になっていた神社だった。この境内の手水舎には珍しい手押しポンプがあり新鮮な地下水を給水させてもらう。因みにこの二ヶ領取水口から流れる用水路の先にドラマ「すいか」のロケ地がある。ロケ地検証でも幾度となくこの多摩川近辺を訪れていた。そしていつもの多摩川下流走行ルートでは下丸子のガス橋から新川崎駅前を経由して鶴見川に出ていた。しかし河原が工事中で景色が変わっていたこともありうっかりガス橋を行き過ぎる。引き返すもの疲れるのでそのまま走り続け川崎駅に出る。ここまで来たついでに川崎大師へ。
このところロクなことがないので厄除け祈願。復路は川崎駅から尻手駅を抜けて鶴見川へ。どのロケーションを走っても辿るルートはだいたい決まっている。神奈川県内は大概のところは走りつくしたのでちょっとマンネリ感がただよふ。本日の走行距離 67.26km ロードバイク積算16,142km ロード・クロス積算 26,930km。
薄曇りの日曜日、ロードバイクで中華街まで走る。久しぶりに臨海パークに立ち寄るとウォーキングイベントのゴールが設けられていた。人も多いのですぐに退散。赤レンガ倉庫は長期補修工事に入るときいていたので表の広場を覗く。テントが張られて道路規制されていた。ワールドトライアスロンの横浜大会が開催されているようだ。赤レンガ倉庫、大桟橋ターミナル、山下公園へのアクセスはできず素直に中華街を目指す。中華街は人出も多く歩きづらい。香港路の龍城飯店でランチ休憩。昼食後に関帝廟通りの馬さんの店に行くも閉まっていた。もうご商売を縮小されたのかもしれない。長安道にある聚楽と耀盛號でブタマンを買い求める。聚楽のご主人のお話ではGWは歩けないほどの人出だったらしい。春節では数年ぶりに中国獅子舞も出たとのこと。徐々にではあるが日常が戻りつつあることを実感する。本日の走行距離 46.35km ロードバイク積算 16,072km。
砂の上の植物群
GWにゴロゴロしていても勿体ないのでロードバイクで家を出る。久しぶりに多摩川を遡上したくなった。長津田から恩田川を辿り上流を目指す。本町田から鎌倉街道で多摩を抜けて野猿街道へ。京王線の百草園近くの踏切を越えれば多摩川。そういえば漫画家・山田花子嬢の命日も近いことを思い出す。美しい府中四谷橋で多摩川を渡りあとはひたすらSRを川上へ。玉川兄弟像からは奥多摩街道で青梅を目指す。以前に走った奥多摩走行の景色がよみがえる。青梅はとりあえず駅前を目指す。ゴールデンウィークではあるけれど駅前は閑散としていた。以前来たときは営業していた駅前の中華料理店も閉店しシャッターが下りている。特に宛てもなく青梅鉄道公園を目指す。途中、としまやで焼肉ライスの昼食。客は近所の常連さんばかりでアウェイ感が痛い。店員さんは親切で食事も良かったのが救い。店を出て激坂を登り鉄道公園へ。屋外の展示車両を見学したあと建屋2Fで「電車でGO!2」筐体の稼働を確認。「せいぜいお稼ぎ」と労う。時間も午後3時をまわったので来た道を引き返す。そういえば閉館した赤塚不二夫会館は取り壊され駐車場になっていた。本日の走行距離 96.52km ロードバイク積算16,024km。
青梅ルート動画
秋葉のジャンク通りで売られていた自転車用のボディーバッグ。財布とスマホ程度しか収納できないがチョイ乗りのときに良いかと買った。値段はやる気のない1,000円。はたして買って数度しか使っていないのにメインのファスナーが壊れてしまう。ファスナーを閉めてもすぐに開いていく。先達曰く「安物買いの銭失い」。ネットで改善策を調べるとスライダーの上下が開いているので並行になるようペンチで修正すれば良いらしい。さっそくラジペンで変形を修正。するとチープなダイキャストはポッキリ折れてしまった。万事休す。バッグの縫製はそこそこ良いのだが肝心のファスナーが粗悪品だった模様。このまま捨てるのもしのびない。かといって修繕に出すと本体価格以上に修理費がかかる。家に死蔵しているミシンを出すのも面倒。そこで近所の手芸屋で同じサイズのYKKコイルファスナー30センチを買い求める。お値段145円也。エンド金具を外してスライダーだけを抜き取る。これをば壊れたバッグのファスナーレールに移植して通す。ファスナーの開閉はスムーズに動作するようになった。スライダーを潜らせたエンドは縫い糸で固く縛る。安くして修理完了。これでまた暫くは使えそう。ファスナーで思い出すのは小学生低学年の頃。当時からファスナーメーカーはYKKがダントツの信頼ブランドではあったけれど、クラスのみんなの服のファスナーはYKKではないことに一人が気づいた。そこでファスナーメーカー(主にアルファベット3文字)の調査とコレクションが始まる。鞄やジャンパー、ズボンにポーチ、片っ端から調べていくと軽く20-30社ほどの亜種が見つかった。70年当時、アパレルは中国、東南アジアから流入していたのかそれとも国内中小メーカーが乱立していたのか。みんなで調査記録したメーカー一覧表が残っていればちょっと面白かったかも。因みに当時は“ファスナー”とは言わす“チャック”と呼んでいた。
ファスナー業界
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