映画「惑星ソラリス」のロケ地から鹿島建設本社を調べる流れでウルトラセブンのロケ地を復習。「第四惑星の悪夢」の冒頭ロケ地に平和島のガソリンスタンドがある。
現在の様子をGoogle Earthで調べてみる。ガソリンスタンドは現存するも辺りの景色は一変していた。そのなかでガソリンスタンドの防火塀が撤去されていることに気づく。作中では防火塀もしっかりと映っていた。車両出入口以外は2m以上の防火塀で囲うことが消防法では定められている。給油設備からの空間距離(4m以上)などから延焼の危険性が無いと判断(H31危81)されたのかしら。
給油取扱所の基準
消防危第81号
このところ立て続けに映画の盤を買っている。大学生時代にエアチェックしてVHSに録画し何度も観かえしていた「惑星ソラリス」(1972)。ポーランドのSF作家「ソラリスの陽のもとに」が原作のソ連映画。映画を観て誰しもが驚くカットがある。それは未来都市のハイウェイを疾走する車の描写。この撮影に選ばれたロケ地がなんと高度経済成長只中の日本の首都高速。日本人には見慣れた風景ではあるが無機質で清潔で人工的な風景は作品のなかでも際立つ。
実はこの映画は2002年にも「ソラリス」としてリメイクされている。確かロンドン出張の機内で鑑賞したがあまり感動はなかった。CGや特撮レベルは高く原作にも忠実であったが人間味あるリアリティーでは一歩及ばず。翻ってこの50年前の作品は確実に未来を描き切っていた。映画のプロローグとエピローグにある自然に囲まれた主人公の実家一軒家は宇宙ステーションや首都高のキリキリしたドライな未来風景とのコントラスト。しかし、映画の最後の最後でこの安堵が大きく崩れる。この鳥肌ものの展開は安部公房の小説「R62号の発明」にも似た皮肉を感じる。そして作品の底流に流れるもの悲しさはどこか「チェブラーシカ」に通ずるものがある。
ブルーレイのレグザデッキはリビングに鎮座し妻が独占状態。ワシのPCはデスクトップにノートPCもDVDドライブしかなかった。そこで外付けのブルーレイドライブを物色するも思っていたより価格は高かった。普通に買いそろえてはジャンキーの名が廃る。ちょっと悪知恵を働かせる。出先用に持っていたI・O DATAのDVDドライブを分解。電源I/O基板だけはそのままにノート内臓用ブルーレイドライブを換装。ドライブは厚みの規格が3通り(12.7mm/9.5mm/7mm)あり、換装したDVDドライブに合わせてパイオニア製(BDR-TD05FAD)12.7mmを選ぶ。早速ノートPCにUSB接続で動作確認してみたが電源が足りていない模様。そこでドライブの5V端子に外部電源から供給、640mA前後の電流値。ヘッドのシーク時などにやや電流値は暴れる。
動作確認を兼ねてブルーレイ版「BLADE RINNER」(ファイナルカット)を買い直してみる。BS放送やDVDの画質でも鮮明すぎてショックを受けていたが、より精細な画像が映し出される。マット絵の合成やミニチュアのビルディングはそのまま模型としてそのディテールまで読み取れてしまう。見えないほうが幸せということもあるのだ。ロバート・オカザキの「2つで十分ですよ!」の後にガフと乗り込むポリススピナー。雨の演出で釣りワイヤーを隠していた有名シーン。ファイナルカットではワイヤーそのものがデジタル処理で消されていた。
何よりショックだったのは映画のエピローグ。ガフの温情で逃避行するデッカードとレイチェルの空撮シーン(シャイニング転用)がそっくりカットされていた。寿命設定を解かれたレイチェルとデッカード、「I didn't know how long we had together. Who does?」このセリフに痺れたというのに!
ブレラン記事1
ブレラン記事2
夢のような夏休みも終盤の土曜、飽きもせずロードバイクで家を出る。先ずは藤沢までを走り、盆は過ぎたが義父の墓参を済ませる。そのあと取って返して綾瀬市まで北上。綾瀬のメガドンキに駐輪し徒歩で厚木基地へ。この日はコロナ明け4年ぶりの基地祭。航空祭ではないので戦闘機の展示などはなし。盆踊り主体で露店が並ぶ。飛行機イベントがないので入場(開場15時)はスムーズだった。入場のためにわざわざパスポートも持参してきた。ID確認と持ち物チェックを済ませ基地内を移動。
時間が早いからか盆踊りの櫓周りは閑散としていた。露店も数は少な目。ちょっと期待していたものとは違った。折角なのでホットドッグ(300円)とコーラを買って芝生で休憩。他にすることもなく早々に引き上げる。昔の基地祭ではバドワイザーが投げ売りされていて皆が先を争ってケース買いしていたものだ。巨大なTボーンステーキが盛大に焼かれ、クリームが真っ青とか信じられない色味の大きなケーキが切り売りされていた。
メガドンキに駐輪させてもらった手前、パンを買って足りない昼食を補う。この綾瀬のドンキが入る前はスーパーのダイエーだった。1987年、タイトーに入社してすぐ営業所や工場での新人研修が数か月あった。この綾瀬のダイエーにも直営店(ゲーセン)があり1人店長で店番をしたことがある。筐体の清掃やクレーン機の景品補充、両替機の管理などが主な業務。基地が近いこともありアメリカ人の子供も大勢来店した。クレーンで獲得した菓子などはその場で食い散らかしゴミは床にポイ捨てだった。小さな店舗だったので清掃などの業務をさっさと済ませ、景品の酢昆布を食べながらバックヤードにこもっていた思い出。将来への漠然とした不安とこの先40年以上続くであろうサラリーマン生活に眩暈をおぼえたものだ。過ぎてしまえばあっという間だった。本日の走行距離 53.36km ロードバイク積算19,360km 自転車積算 30,662km。
折角の夏休みを吹っ飛ばした台風が去った木曜日、何も考えずロードで家を飛び出す。山側は急な雷雨がありそう、江の島は飽きたということで多摩川へ出る。そこから先に行くあてもなく久しぶりに多摩湖でも行くかと考える。そういえば多摩湖近く東村山駅の先に安部公房原作、映画「燃えつきた地図」のロケ地があることを思い出す。西武新宿線は高架工事が始まり辺りの風景も変わっていきそう。今のうちにとロケ地探訪を決め込む。多摩川から国立、国分寺を経由して府中街道へ。ひたすら北上して東村山駅を過ぎロケ地(鳥尾町のM燃料店(炭屋))に到着。
映画撮影当時のプロパンボンベの積み下ろし場はそのまま残っていた。驚いたのはこのプロパン会社は既に移転しており事務所は閉鎖されていた。良いタイミングで取材することができた。いつまでこの風景が残っているかわからない。因みに映画撮影当時この会社は榎本燃料(株)が屋号だった。
ロケ地の撮影を終え帰りがてら東村山駅に立ち寄る。コロナで他界された志村けんの銅像を見物。ドリフはリアルタイム世代なので東村山音頭が脳内再生される。
猛暑の走行でやや熱中症気味となり帰途を急ぐ。途中、3億円事件の舞台となった府中刑務所に出た。スマホで撮影しても良いか守衛さんにゼスチャーで尋ねると大きくバッテンされた。復路は府中街道1本で多摩川まで戻ったので稲田堤から読売ランド前、青葉台ルートを辿る。GPSナビを見ながらの走行は疲れる。本日の走行距離 76.33km ロードバイク積算 19,305km
燃えつきた地図ルート
先週トキワ荘を訪れその時代の漫画家の交流などを調べるうちに二人の漫画家を注目するに至る。1人は森安なおや氏。先輩から生活を助けてもらった恩を忘れ借金を踏み倒し、居候で転がり込んだ友人の部屋の家財道具を質屋に流してしまう。繊細で天才肌ではあるけれど自滅の道を歩む。いま一人は寺田ヒロオ氏。トキワ荘の兄貴分として新漫画党を立ち上げ藤子不二雄や赤塚不二夫に慕われた。森安氏に借金を踏み倒されたのはこの寺田氏。他の漫画家より先にデビューしていた寺田氏だが、徐々に作風が時流に取り残されるようになった。編集とも考え方の違いから衝突が増え70年代に惜しまれながら引退してしまう。晩年はトキワ荘のメンバーとの交流を絶ち家族とも距離をおき世捨て人のような暮らしとなる。自宅離れで一人寂しく61歳の生涯を閉じる。藤子不二雄A氏の言葉を借りるならそれは「緩慢な自殺」であった。寺田氏の菩提寺は茅ヶ崎の浄見寺。そこまでわかれば訪れたくなった。昨日まで祝日も返上で仕事だった。ようやく迎えた夏休み。雨雲レーダーは15時ころから雨の予報。自転車を飛ばせばなんとか雨前に茅ヶ崎まで行って帰れそうに思えた。何より今日を逃すと当分は台風で外出はできそうにない。無理を承知でクロスバイクで家を出る。いつもの江の島ルート境川と並行に走る藤沢街道を南下し湘南台を過ぎて右折。西に走り寒川、辻堂の中間地点、ゴルフ場に隣接する浄見寺に到着。墓石の場所はネット画像から民族資料館や樹木の背景配置から当たりをつける。一往復して直ぐに見つけることができた。
香りのよいお線香を手向け引退後の心境を想い手を合わせる。墓参のあとはお寺に隣接する民族資料館に興味をもつも空はいよいよ暗くなり雨がいつ降り出してもおかしくない状況。一刻を争うのでダッシュで帰途に就く。本日の走行距離 48.00km クロスバイク積算 11,302km 自転車積算 30,478km
本日の走行ルート
ドウシシャの座敷扇風機 Pieria ピエリア(CLM-30A)が故障した。もう20年選手でプラスチックが経年劣化していた。とっくにお役御免のところ、ワシのPC部屋で細々と余生を送っていた。この扇風機の操作系は少し特殊で3段階の風量選択ボタンが3個並ぶ。その手前にメインのON/OFFスイッチがある。風量選択スイッチは押しっぱなしにしておいてメイン側でON/OFFしても良いし、メインはONにしたまま風量切り替えスイッチを軽く押して戻せばON/OFF操作も可能。今回故障したのはメインスイッチ。本来はオルタネイト型なので押せばロックされ通電されるものがロックが利かなくなってしまった。モーメンタリよろしく押している間だけ通電した。仕方なくダイソンのハンディークリーナーを重石代わりに使ってスイッチを押し込んで使っていたが面倒で仕方ない。この日曜は雨で時間もあったので修理にとりかかる。扇風機の底板を開けてメインスイッチをチェック。耐久性のないスイッチユニットは結構グラグラ。本来ならスイッチ交換だが部品を買ってまで修理する気はない。メインスイッチにバイパスされていた一次側を風量スイッチに直結し直す。これでメインスイッチはON状態と同じこと。
あとは風量選択スイッチで入り切りすればよろし。あと1~2年もってくれれば十分です。えっ、あんたのとこ扇風機何台あるのかって。6台がフル稼働。シーリングファン2台も稼働中。エアコンは先月から24時間運転に突入。みなさん働き者です。
YOUTUBEのお勧めにNHK特集「わが青春のトキワ荘」(1981)が表示される。この番組は確か本放送の時に視聴していた。森安なおや氏の扱いが酷くて番組制作側の誘導演出が後に問題視された。それでも今となっては鬼籍にはいられた有名漫画家や取り壊し前のトキワ荘が観られる貴重な資料映像となっている。2020年にはトキワ荘跡地に近い公園にマンガミュージアムがオープン。それほど強い思い入れはなかったけれどいつかは見学しようと思っていたのでロードバイクで出かけてみた。オバQの読売ランド前から稲田堤へ。多摩川を渡ってからはスマホのナビに従って走行。中野を越えて豊島区南長崎へ。この辺りの土地勘は全くないし来たこともない。西武池袋線の駅名なんて馴染なさ過ぎてパラレルワールドに迷い込んだかと錯覚してしまう。ようやくたどり着いた椎名町五丁目でトキワ荘跡地やミュージアムを見物して周る。
そして今回の遠征メインイベント。それはトキワ荘から徒歩30秒圏内にあった中華料理店「松葉」のラーメン。デビューしたばかりのトキワ荘の漫画家が出前をとり通ったお店。つまりは「オバケのQ太郎」で小池さんが毎回食べていたのもこの松葉ラーメンがモデルということになる。小学生の頃から念願だった小池さんのラーメンにようやくありつけたのだった。次なるターゲットはハクション大魔王のハンバーグかな。ところでこの炎天下走行、スマホはReliveのコース記録とGPSナビをフル稼働させていた。バッテリーの消耗は激しくて本体の発熱で熱暴走寸前。都内走行にナビは欠かせないのだけれど。
本日の走行距離 86.19km ロードバイク積算 19,159km 自転車積算 30,413km
トキワ荘道(まんが道)
妻のお誕生ケーキはラ・メゾン アンソレイユターブルのタルトをホールで。フルーツいっぱいのせでとても良いのだけれど切り分けに苦労する。ウクレレでハッピバースデーを弾き語りしたけれど音がズレていると怒られた。ウクレレのFはバレー(セーハ)でなくてよかった。
またまた腕時計を精進してしまた。TOMONY(SEKIKO)のSchool Timeという機種。名前の示す通り子供用の時計として70年代に売られていた。ワシも小学校3年の時に成基学園という学習塾に通っていてバスの時間を見るためにこの時計を買い与えられた。当時の小学生は腕時計が憧れのアイテムであったけれど、それは複雑系のクロノグラフであり、シチズンのツノクロやセイコーのスピードタイマーだった。なので親からこの時計を渡されたときはがっかりしたものだ。約半世紀ぶりに手にするSchool Timeはよく見ると味わい深い。タイムグラファーであたると21,600振動だった。製造工場を表すクレストマークは諏訪、亀戸両工場共通のリボンマーク。ケースを磨いて内部の機械を清掃し注油。本革ベルトに交換しヌメ革の台座を与えイメチェンをはかる。
数日かけて時間精度を見る。元々のゼンマイがチープでパワーリザーブはギリギリ24時間程度。ゼンマイがほどけるほどに時間も遅れ気味。理想は朝晩12時間おきにゼンマイを巻くのが良さそう。真夏に革ベルトはしたくないので秋になったら積極的に着けるとしよう。歳をとるほどに子供がえりではないけれど子供時代の反芻がしたくなるものだ。