『サイパンの約束』に向けて、とにかく邁進する日々。
この劇のためのインタビューは、主に沖縄で行われた。サイパンで暮らし、戦禍を逃れた人たちは、自分の身体の傷跡をみせてくれたり、思いがけず私が調べている事件の当事者に近かったり、驚きの連続だったが、取材を受けてくださった方々が、皆さん克明に細かな数字のデータまで記憶されていることに驚いた。あとで調べてみてもすべて間違いがないのだ。
印象深かったのは、「死の臭い」の記憶だ。一度知ってしまえば、それは、戦争を体験した者にとって、終わることのないものなのだ。
サイパンに移住した日本人の七割が沖縄出身である。そしてテニアンは、日本人が住む前は、当時ほとんど誰も住んでいない島だった。
自分が日本人だと思っても、故郷が沖縄だと認識していなかった人もいた。強制的にサイパンから送還されることになって、本籍地データから沖縄に送られるという分別を受け、「どうして沖縄なの?」と驚愕し抵抗し、初めて沖縄に着いて、「みんなが何を言っているかまったくわからなかった」という人もいた。皇民化教育のサイパンで、彼女は標準語しか使っていなかったからである。
九十歳に届くはずの彼女は、どうみても七十代にしか見えなかった。その時その人が感じたであろうものを、私たちは想像するしかない。俳優が舞台上でまさに感じていることとして、観客につたえるしかない。