「KAWASAKIしんゆり映画祭」での、慰安婦問題をテーマにした映画「主戦場」について、上映に懸念を示していた川崎市の福田紀彦市長は、「内容ではなく、訴訟が起きていることへの懸念で指摘は適切だった」「表現の自由の侵害だという批判は的外れ」と発言したようだ。しかし、どうやら市の担当者は、電話や対面であわせて最低4回、主催者に懸念を伝えていたという。それは「圧力」ではないのか。福田市長は懸念表明の理由を「裁判上どちらかの有利不利になってはいけない」と説明するが、上映が出来なくなれば、一方的に「訴えた側のみが有利」になるではないか。市長は「どちらかの側」に立ったのだ。誰に忖度し、言い訳しているのだろう。こうして表現の自由をめぐる批判や上映を求める声が相次ぎ、一転して最終日の4日「主戦場」を上映したという現実を見たうえで、なぜこんなことを言うのだろう。おかしいと思わないのか。
ウィーンの「ミュージアム・クオーター」で、オーストリア外務省協力のもと、日本とオーストリア国交150年の記念事業として開かれた芸術展「ジャパン・アンリミテッド」について、在オーストリア日本大使館は公認を取り消したという。東京電力福島第1原発事故や安倍政権を批判的に扱った作品などが問題視されたとみられている。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に参加していたグループも出展している。放射線防護服に日の丸の形に浮かんだ血が流れ落ちるようなオブジェや、安倍首相に扮した人物が韓国、中国に謝罪する動画も展示。昭和天皇を風刺する作品もあったという。公式ロゴが使えなくなるだけで、芸術展は続いているという。国交150年の記念事業だというのに、相手国オーストリアに対して失礼ではないか。表現の自由を認めない偏狭な軍国主義回帰の国ニッポンを、ヨーロッパに強く印象づけただけではないか。
自民党稲田朋美幹事長代行は10月27日、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」への補助金を文化庁が不交付としたことについて、「(従軍慰安婦を象徴する少女像などを展示した)あれを公金を使ってやるのはおかしいことだと思うし、(不交付の)判断を責められるべきではない」と述べ、不交付決定を擁護したという。稲田氏は、「表現の自由は憲法の中で最も優位性のある人権」としつつ(意味がわかって言っているのか……)、「少女像や天皇陛下を焼き尽くす表現は、日本人からして民族的人格権を侵害する恐れのある行為。そういう展示物について税金を投入しない判断は、行政の裁量の範囲内だと思う」と述べたのだと。……いいですか、あなたの言う日本の「民族的人格権なるもの」があったとして、あなたの言うとおりなら、「自分に対する批判者を皆に話も聞かせずに駄々っ子のように嫌い、自分本位の屁理屈をこねて隠そうとし、相手の財布を取り上げて困らせようとするちっちゃい人間」が、その「民族的人格」ということになってしまいますよ。よろしいんですね。そんなことで「民族的人格権」が損なわれると思ってしまうのは、きちんと歴史責任を果たしておらず、きちんと相手の立場にも立って考える理性を持ち、何よりも公明正大に過去を見て語るということができないからである。
ほんとに、まったくわかってない。それらすべてが「行政の介入」であり、「表現の自由」の否定である。
皆さん「そうでない」と言いながら、まさにそのことをやってしまっている。
みんな首相とおんなじだ。「任命責任がある」と言いながら、責任を取ったためしがない、あの人。
もはや海外の目も誤魔化せない。誤った考えを疑いもせず公言して恥じず、言葉に責任を持たない、開き直りの嘘つき国家である。