黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

野口雨情の歌碑・月田の東寿寺

2019-07-11 12:27:16 | 群馬県・旧勢多郡
今朝も晴れません。
霧雨というか、こぬか雨というか、レインコートを着るほどではないのですけど。
ひめちゃんと獅子丸は堀之内を北に出て、諏訪神社のあたりを廻ってきました。
両名とももっと遠くに行きたそうでしたけど、雨が心配なので、「また、あとでね。帰ろう
もちろん、だれにも逢いませんでした。




先日、前橋からの帰りに、いつもと違う道を通りました。
県道3号線なら、ほぼまっすぐなのですけど、旧勢多郡粕川村のある交差点で、何となく左折しました。
おや、見覚えあるお宅です。
確か山上の常広寺の役員さんのお宅です。
そのすぐそばに、「東寿寺200m→」の表示がありました
こんなに近くにお寺があるのに、常広寺も遠くはないけど。
ちょっと、寄り道をしましょう


矢印の方向に進みます。



わあ、古刹という感じです

門柱に、「関東百八地蔵尊霊場、関東九十一薬師尊霊場、札所」とあります。
御朱印がありそうです

確かにりっぱな個性的な御利益ありそうなお地蔵さまです。





そばの石造物に「庚申供養塔」の文字や2鶏2猿がみえます。

青面金剛とあじさい、いいですね




クラシックな門の脇に、新しそうな碑と説明板があります。







野口雨情は、大正14年8月、青柳花明住職の夏期児童学園の講師として来村。東寿寺に宿泊し、いくつもの作品を短冊に残した


かなり個性的な文字です
そうだったんですか

ところで、野口雨情って、何となくイメージあるけど、どこの人?

ウイキペデイアによれば、

1882年(明治15年)5月29日-1945年(昭和20年)1月27日は、詩人、童謡・民謡作詞家多くの名作を残し、北原白秋、西条八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。

そうなんだ
そして出身は、茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)とあります。



庫裏を尋ねます。
「あのう、御朱印でますか?」
「地蔵尊のでいいですか?書き置きになりますが。」

「はい、日付だけ入りますか?」
「ちょっと、お待ちください。」
ちょっと待って御朱印を戴きます。
「野口有情の歌碑があるんですね
「ええ、直筆の短冊もあります。よかったら、御覧になりますか?」
「はい、ぜひ拝見したいです。」
「本堂の方にお回りください。」

本堂に上がって待ちます。
程なく、直筆の短冊が運ばれてきました。



わあ、色あせもせず良好な状態です
貴重な寺宝を見せていただいてありがとうございます

本堂内を案内していただきながら、いろいろな話を伺いました
続きは次回に


コメント
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