朝一番でお散歩に出た七海ママは、デイナちゃんに逢いました。
ちょっと荒っぽいご挨拶です。
デイナちゃんもママです。
母は強しです
県道66号線梅田界隈のお寺巡りを続けます。
梅田中学校を過ごし、忍山(おしやま)川を渡り、かなり上ります。
たしか北向き観音の大きな看板があったはずなんだけど
ありました
右折して細い路地を上ります。
山門前に石造物がたくさんあります。
このお地蔵様はお首が無事だったようです。
「この付近に が出没しておりますので してください。」
何が出るのでしょう?
イノシシか、熊か、鹿か、はたまた猿か、鷹(たか)か、鷲(わし)か?
一番大切な文字が消えています
猿澤山鷹林寺(えんたくざんようりんじ)、山門が市指定の文化財なのですね
山門下の石造物にも庚申の文字があります。
庚申塔がたくさんあります
山門を裏から眺めます。
素朴だけど、質実剛健な鎌倉時代という感じです。
だれもいなかったけど、何か工事中らしいです。
さらに上がって本堂です。
こちらにも石造物がいっぱいです
さわやか青年のような青麺金剛がありました
見ざる聞かざるの2猿がはっきりわかります
桐生市仏教会のHPによると、「堂宇は火災のため焼失、山門と客殿のみ残ったため、客殿を本堂として使用している。」とあります。
「寺の歴史については建物の焼失によってわからない。」としています。
そういいながら、一方で、「牛久の金龍寺の徒弟宝山宗珍和尚の山居の道場として開かれた。」ともいってます。
古くからあった可能性もあるし、由良氏がらみで何かあるのかもしれません
本堂の左手に、北向観音(きたむきかんのん)です。
はたして北を向いているかどうかは、わかりません。
でも、額に確かに北向観音とありました。
縁結び安産子育ての御利益があるということです。
御利益にふさわしく、お産婆さんの像があり、狛犬ではなく招き猫がいました
裏山には墓地が広がり、本堂の右手には「砂防指定地鷲沢」の表示がありました。
桐生川の支流になるのでしょうか?
南を望めば、柄杓山かな?
ここは現在無住で、菱の泉龍院が兼務しているそうです。
泉龍院は、厄除け・厄落としの寺として有名だそうです
そして、あの細川内膳の屋敷門が移築されているのだそうです
(訪問は2018年10月27日です)
ちょっと荒っぽいご挨拶です。
デイナちゃんもママです。
母は強しです
県道66号線梅田界隈のお寺巡りを続けます。
梅田中学校を過ごし、忍山(おしやま)川を渡り、かなり上ります。
たしか北向き観音の大きな看板があったはずなんだけど
ありました
右折して細い路地を上ります。
山門前に石造物がたくさんあります。
このお地蔵様はお首が無事だったようです。
「この付近に が出没しておりますので してください。」
何が出るのでしょう?
イノシシか、熊か、鹿か、はたまた猿か、鷹(たか)か、鷲(わし)か?
一番大切な文字が消えています
猿澤山鷹林寺(えんたくざんようりんじ)、山門が市指定の文化財なのですね
山門下の石造物にも庚申の文字があります。
庚申塔がたくさんあります
山門を裏から眺めます。
素朴だけど、質実剛健な鎌倉時代という感じです。
だれもいなかったけど、何か工事中らしいです。
さらに上がって本堂です。
こちらにも石造物がいっぱいです
さわやか青年のような青麺金剛がありました
見ざる聞かざるの2猿がはっきりわかります
桐生市仏教会のHPによると、「堂宇は火災のため焼失、山門と客殿のみ残ったため、客殿を本堂として使用している。」とあります。
「寺の歴史については建物の焼失によってわからない。」としています。
そういいながら、一方で、「牛久の金龍寺の徒弟宝山宗珍和尚の山居の道場として開かれた。」ともいってます。
古くからあった可能性もあるし、由良氏がらみで何かあるのかもしれません
本堂の左手に、北向観音(きたむきかんのん)です。
はたして北を向いているかどうかは、わかりません。
でも、額に確かに北向観音とありました。
縁結び安産子育ての御利益があるということです。
御利益にふさわしく、お産婆さんの像があり、狛犬ではなく招き猫がいました
裏山には墓地が広がり、本堂の右手には「砂防指定地鷲沢」の表示がありました。
桐生川の支流になるのでしょうか?
南を望めば、柄杓山かな?
ここは現在無住で、菱の泉龍院が兼務しているそうです。
泉龍院は、厄除け・厄落としの寺として有名だそうです
そして、あの細川内膳の屋敷門が移築されているのだそうです
(訪問は2018年10月27日です)