黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編・心のいぼ取り地蔵(桐生山鳳仙寺)

2019-09-14 15:29:20 | 桐生川紀行

ひめちゃんは、獅子丸と、堀之内を北に出てお散歩してきました。

今朝の赤城山は、きれいでした

季節が変わり始めています。

獅子丸も変わり始めているようです。

 

 

ひめちゃんと同じ所を情報収集しています。

以前は、同じ所に首を突っ込むと、威嚇したり噛みつきそうになったりしました

ひめちゃんの家族はそんなことはなく、みんなで一緒に情報収集します。

実家の生活に慣れてきたのでしょう

まあ、もう少し一応用心してお散歩しましょう。

 

 

 

(2018年)11月4日に、桐生山鳳仙寺に行きました。

道がいやに混んでました

途中にある群馬大学で、クラシックカーフエステバルがあったとか。

県道66号線を北上し案内板に従って左折し、深山の雰囲気の杉木立の中を進みます

奥の大駐車場に駐車です。

 

今回はぜひ「いぼ取り地蔵」さんにお参りしたいので、山門の下まで戻ります。

途中、三尺坊大権現の碑がありました。

 

 

鳳仙寺では秋葉様(あきばさま)の祭があると聞いたことがありました。

三尺坊大権現とは、秋葉様のことで火防の神様ですね。

鳳仙寺のHPによると、

秋葉三尺坊大権現が、菩提寺に祭祀されましたのは、明治14年(1881)のことでした。徳川幕府が江戸に開かれた時代から三尺坊大権現が鳳仙寺に祭祀されるまでの期間、桐生は度々の大火に見舞われ、領民は塗炭の苦しみを味わい続けました。桐生市史をひもといてみましても、実に60回近くの火災があります。

このように桐生には火災が多かったものですから、鳳仙寺で「桐生の人々の大盗消除・家内安全ほかの請願成就」を願って、前記の年に静岡県の秋葉総本殿(秋葉山秋葉寺)から奉安されたのです。

 そうだったのですか

そして、毎年10月16日に秋葉三尺坊大祭が行われているとあります。

 

 

さて、もう少し下って、山門前に回り込みます。

 

 

 鳳仙寺というと、この山門のイメージです

 

 

山門前の向かって左側に「いぼ取り地蔵」です。

 

 


体にできた疣(いぼ)だけでなく、心の疣(いぼ)も取り除いてくれる、ありがたいお地蔵様です。

心を込めて祈ります

ちょうど、お遍路さんといういでたちのおじさんが、山門を出てきました。

全国のお寺を巡っているそうです。

御真言を7回唱えながら祈りなさいと教わりました

残念ながら御真言は、すぐに忘れました

 

 

山門前の右側は「一願一言地蔵」でした。

 

 

とりあえず心を込めて手を合わせておきました。

 

 

山門の仁王様は直接対面できました。

 

 

 

金網等に覆われているところが多いのですけれど、やはりこうでなくては

山門の龍も見事です

 

 

 

山門をくぐって、説明板を見ます。

 

 

 説明板の左側は、境内の図面です。


由良成繁は「天正2年(1574)に桐生にやってきて、鳳仙寺を開基したり町屋を整備したり民政に意を用いた」とあります。

為政者としては、よい評価のようです。

 

本堂にお参りです。

 

 

落ち着いた本堂です

 

 

庫裏で御朱印をお願いします。

 

 

 やはり山門が鳳仙寺のイメージなのですね。

 

 

本堂の裏手の由良成繁の墓をめざします。

イノシシよけの電線が張り巡らされています。

かなり上りました。

 

 


こんにちは

 

この前はいつだったでしょうか、とにかくお久しぶりです。

新田の大中黒の紋が目立ちます。

実家の遠いご先祖さまも由良氏配下であったという事ですが、北条氏による金山城攻撃の中で敗れ帰農、ご一緒していません。

 

 

桐生の町建てをした大野八右衛門の墓もあると聞きましたが、来る途中には見つかりませんでした。

少しうろうろして帰ろうとしたら、ありました

 

 

 なんだ、由良さんのお墓の下じゃないですか。

この前を通って由良さんのお墓に行ったのです。

「大野八右衛門の墓」、消えかかって倒れていて、さっきは気がつかなかったのです。

 

大野八右衛門によって、桐生新町は北は天満宮、南は浄運寺まで町割りされたといわれています。

 

裏山の墓地からの眺望です

 

 

心の疣(いぼ)は取れたかな

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする