黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編・六三大士の寺(長泉寺)

2019-09-07 14:37:38 | 桐生川紀行
ちょうど12年前の今日、若かりしころの小次郎パパの姿が残ってます。



おや、シッポがしっかり巻いています
今は巻があまくなって、指尾(さしお)のようです。
念のため、この頃の写真を確かめます。





しっかり巻いています
小次くん、巻尾(まきお)だったんだ






碧雲寺の後、県道66号線を北上して長泉寺(ちょうせんじ)を目指します。
長泉寺入り口には、目印の釣り鐘があります。




路地を上り駐車場につくと、いきなり「六三大士(ろくさんだいし)」の梅田の民話です。



六三大士とは、何でしょう?

六三大士を検索してもありません。
六三は六三除け、大士はりっぱなお坊さんくらいの意味でしょうか?
六三除けとは、年齢による身体の部分的な厄除けだそうです。
今年どこが六三に当たるかは、数え年を9で割り、余った数字で判断するそうです。
そして、六三に当たる場所と、具合の悪い場所とが一致する場合は六三除けの祈祷をするのだそうです。

ちょっと自分自身を計算してみました。
今年は六三に当たらないようです、よかった


医学の発達してなかった時代には、六三大士さまはありがたい存在だったのでしょう。
お礼のお酒がいっぱい届いたことでしょう
お酒の飲み過ぎで体を壊したりなんて、六三大士さまにはありませんよね。
どんなおいしいお酒が届いたのでしょう?
あれ、桐生に酒造メーカーはありましたっけ?
隣の大間々にはありますよね



山門を入ったら、さらに石段が続きます。



石段の脇に、お地蔵さんがたくさんいます。
お地蔵様の赤いおがけと、南天の実の赤が目立ちます。






かなりの数の石段を登ります




本堂にやっと到着です



本堂が桐生市の指定重要文化財なので、説明板があります。



戦国時代に桐生佐野氏関連で開創され、その後江戸時代の初め頃再興された可能性があるということのようです。



本堂の西南に六三大士堂はありました。







御真言があるようですが、わかりません



鐘楼堂も本堂と同じ雰囲気を漂わせています。



こういう鐘楼堂は初めてです



本堂の北東は沢になってます。



長泉寺は桐生川の支流の沢沿いにあるのですね。
お寺の立地条件の一つとして、当たり前かもしれませんが、川のあるところがあげられそうです。



静かで誰もいないようでした。
静かに退却です



山門下から、参道を望みます。




車がやっと通れるくらいの、細い上り坂です。
訪れた梅田のお寺の参道は、みんなこんな感じでした。
梅田は思いのほかお寺が多かったです



昔、忍山(おしやま)に藍染め工房があって、夏にはよく通ってました。
でも、途中の梅田の風景は何も見えていませんでした
今少し見えるようになりました



(訪問は2018年10月29日です)
コメント
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