今朝は爽やかに晴れました。
赤城山もみどりです
ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出て、高縄の摩崖仏の方に行きます
関東管領の城・雉岡城から、自宅を目的地にナビを入れます。
基本的に国道462号線を帰ります。
来るときに予定では駒形神社隣の重衡(しげひら)の首塚も通るはずでしたけど、わかりませんでした。
この日は、予想以上にいい出会いがあって満足でしたけど、まあもし見つかればいいなあ
しばらく行って、蛭川という信号を過ぎ、神社が見えてきました。
もしかしたら
あ、重衡首塚の指標があります
急遽、左折します。
駐車場が見つからず、神社裏のゴミ置き場に駐車します。
この地は、一の谷合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭川庄四郎高家がこの地へ持ち帰り供養した塚であると伝えられている
正面に廻ります。
武蔵の武士は、源平の合戦で活躍したのですね
隣の民家風の建物が気になります。
蛭川公会堂とあります。
公民館とか集会所のようなところですね。
さらに隣の神社も気になります。
きちんと地域で管理された神社のようです。
由緒書きがあります。
当地は児玉党蛭川氏の本貫の地である。
一の谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重が蛭川氏を称す。
蛭川氏の裏鬼門に祀られたと推測できる。
なぜ、重衡の首塚がここにあるのか納得です
なかなかりっぱな社殿です。
近世の石造物がいくつかありましたけど、この方が一番目立ちました。
馬頭観音ということになるのでしょうか?
駐車場に戻る途中、釈迦堂がありました。
さっきの由緒書きに、駒形神社の別当だった能淵寺は神仏分離の時に廃寺になったとありました。
でも釈迦堂は存在しています。
釈迦堂墓地の一角に、重衡の首塚があるのですね。
また、由緒書きに「良馬の蓄殖を本社に祈り」という引用がありました。
武士団としては良馬の蓄殖は切実な願いです。
思いがけず、児玉党の記憶に出会えました
五十子に寄って行きたいけど、今日は国道462号線を素直に北上します。