数日前、ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の境内を通過してお散歩しました。
境内にはツツジの木が何本もあります。
全部ではないけれど、幾本かは返り咲いています
小次郎パパ&タバサねーちゃん&ののこねーちゃんが、前を行きます。
古い階段を登らなければならない箇所があります
先を行く小次郎パパは、コケコケしながらのぼります。
おねーちゃんたちは、普通に階段を一歩一歩のぼります。
ひめちゃんも、一歩ずつのぼります。
獅子丸は、ピョンピョンと数段飛ばしてジャンプしてのぼりきりました
もしかしたら、階段を登ったことがないのかも
県道66号線から細い路地を入って、梅田山西方寺(ばいでんざんさいほうじ)を訪れました。
数年前に、夜に講演会があって訪れています。
当然のことながら、夜だったので、境内は散策していません。
駐車場に入ると、西方寺阿弥陀如来像の説明板があります。
講演会の時にはこの阿弥陀様を拝ませていただきました
この仏像の胎内に、「大旦那佐野大炊介助綱」とあり、桐生氏が実は佐野氏だったということでした。
さらに、最後の佐野親綱は桐生を退去したあと、新田の由良郷で過ごし、その子は後に甲府藩に仕官したという話でした。
説明板は、胎内の墨書に「佐野大炊介助綱」とある写真まで載せながら、「桐生大炊介助綱」としています
何らかの配慮かも知れませんが、不可解です。
とにかく桐生氏累代の墓を探します。
本堂近くに石造物の山がありました。
けっこう保存状態のよい方もいます
庫裏によって御朱印をお願いします。
ご本尊阿弥陀如来と桐生七福神の布袋尊の御朱印をいただきました。
境内の墓地を山側に上ります。
ありました、桐生氏累代の墓です
十三基あり、南北朝時代のものと推定されているそうです。
え?何か腑に落ちませんね。
由良の円福寺にある、新田氏累代の墓が思い浮かびます。
桐生氏については、軍記物の世界と実際の文書等でみる姿とが異なるようです。
ましてや、さらに弱小の山上氏については、本当の姿を知ることはなおさら困難です。
帰りに、布袋尊にもちゃんとお参りしました
(訪問は2018年11月4日です、)