黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

円仁の旅は『宇津保物語』俊蔭のモデルか?

2020-07-21 20:01:22 | 下野国

昨夜は激しい雷雨に見舞われました。

「すわー、梅雨明けだ」と思いきや、今日もぐずついたお天気です

昨夜、小次郎パパと獅子丸が騒ぎ始めました。

まだ雨も降らず、普通の夜でした。

そのうち、雷鳴が一つ

犬の耳には、遠くの雷鳴が聞こえていたのです

朝見ると、獅子丸の小屋は大改造されていました

でも、本人は大満足です

 

ひめちゃんは、小次郎パパとお散歩に出ます。

でも、ひめちゃんがヘメロカリスの下の草に夢中で動きません

上手に笹のような草を食べています。

お腹の調子を調えるのでしょう

パパは早く行こうよ

 

雨と草の中でも、季節の花はきれいに咲いてくれてます

 

 

 

慈覚大師円仁は、最後の遣唐使一行と共に、唐に渡りました。

大慈寺のHPより、唐での修行の様子を引用させて頂きます。

・43歳になったとき、円仁様は遣唐使一行とともに短気の留学僧として、唐にむかて出発します。天台宗の密教を完成しようと、また延暦寺未決三十条を解決したいという、強い希望を持っての出発でしたが、実はこれは足掛け9年にもわたる大冒険への出発の時であったのです。

・唐に渡った円仁様は、時を惜しんで仏法の修行に励みましたが、留学の条件など、さまざまな制約があったため、天台宗の発祥地である天台山へゆくための許可をうることはかないませんでした。本来ならばそのまま遣唐使一行と共に日本に帰らなければなりませんでしたが、円仁様の求法の飯井は強く、その情熱はついに、遣唐使の一行を離れ、自力での旅を続ける事を決意させたのです。

・異国での、許可を得ない旅は危険であり、想像を超える困難の連続でありましたが、弟子の惟正、惟暁、従者の丁雄満とともに歩き続けた円仁様は、天台山同様、名だたる仏教の聖地、五台山に辿り着き、修行をすることができたのです。

・五台山巡礼を終えた一行は、さらに世界最大の国際都市である長安に向かいました。長安での修行と求法を通じ、密教の転で大きな成果を上げました。

 

この後、たくさんの経典をもって、波瀾万丈の旅をして帰国します。

最終的には新羅人の援助によって、新羅商人の貿易船に乗って、朝鮮半島沿岸の90日間の旅で、帰国したといいます。

そして、出発の日からの帰国までの日記、『入唐求法巡礼行記(にっとうじゅんれいこうき)』を残しました

 

そこで、ハタとひらめきました。

これは、俊蔭の旅だ。

宇津保物語の主人公・清原俊蔭(きよはらのとしかげ)は、遣唐使副使として旅立ちますけど、大嵐で流され波斯国(はしこく)に流れ着きます。

波斯国とは、ペルシャだろうと思われます。

そこで、天女から琴と技芸を伝えられて、二十余年の後、貿易船で帰朝するのです

 

昔、諏訪緑さんの『うつほ草紙』という作品がありました。

『宇津保物語』をもとに、でもオリジナルな作品に仕上がっていました。

現在手に入るのは小学館文庫です。

『うつほ草紙』の種本、『宇津保物語』にも凝った時期がありました。

結局長すぎて、途中で挫折ですけど

 

『宇津保物語』は最古の長編物語と言われます。

成立についてははっきりしませんけど、平安時代中期というです。

作者もはっきりしません。

けれども、作者は平安時代初期に書かれた『入唐求法巡礼行記(にっとうじゅんれいこうき)』を読んでいる可能性はあります。

俊蔭の物語は、遣唐使が廃止され国風文化の平安中期には、奇想天外というか全く想像できない世界の物語です。

参考テキストがあればこそと思うのですけど。

 

ライシャワーさんの『入唐求法巡礼行記』の研究、講談社学術文庫にありました。

岩波ジュニア新書『仏教入門』と一緒に、アマゾンで購入しました。

折を見て、じっくり読みたいと思います。

ちょっと難しそうだけど

成仏って、仏になることだったんですね

 

コメント (2)
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