黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

伝えきくくらみ沢の古戦場

2019-09-15 21:51:01 | 群馬県・旧桐生市

ひめちゃんは、七海ママのちい散歩によく付き合います。

む、ママが茶髪になってる

ひめちゃんと色がちがいます。

年のせいで、まあ人間が白髪頭になるようなものでしょうか?

15歳になって、白髪は全くないわけではありませんけど、あまりないようです

 

 

 

山上城の隣、膳城の最後の城主・膳備中守宗次は、上杉勢と小俣城攻撃中に暗闇沢で討ち死したと云います。

この付近には、数年前に行ったことがあります。

現地のおばさんに、「暗闇沢はくらみざわと読むんだよ。」と教わりました。

また、気になって出掛けてみました。

記憶を頼りに、路地を入ります。

 

菱カルタ「伝えきくくらみざわの古戦場」が、ありました

 

残念ながら、おばさんには再会できませんでした

説明板では、膳備中守宗次の討ち死は書いてありませんね。

『新田老談記』からの小俣城攻撃のあらすじ(現代語訳)です。

元亀3年(1572)4月20日、上杉勢は、膳備中守の案内でくらやみ沢から攻め上った。ちょうど小俣城主渋川相模守が小田原に出かけている留守を狙った。小俣勢いはやっと防戦していたが、その日の申の下刻(午後4時ごろ)突然強風が吹き、大雨が降り始めて、登る敵の正面から吹き付けはじめ、二時ばかりの間、さながら闇のようになって敵も味方も見えなくしまった。その風雨の中で、先頭に立って攻め登って来た膳備中守の一族家人五六十人は、城から落としかけた大岩や丸太の下敷きになって残らず死んでしまった。

 

この菱カルタの所を、奥に進みます。

ここは群馬県桐生市菱町1丁目です。

そして、さっきのカルタの隣に、古い米沢(よねざわ)地区案内板があります。

米沢なのですね

向こうの山に小俣城があったのでしょう。

 

さらに進みます。

沢と云えば沢のような?

 

さらに進みます。

む、ゴルフ場の車

この向こうは、城山カントリークラブというゴルフ場になっています。

向こうは足利市です。

やむなく、ここで退却です。

 

小俣城攻撃の時に亡くなった人々の墓(供養塔)がある、米沢薬師にも寄って行きましょう

あれ、ここは米沢です。

米沢薬師は栃木県足利です。

もしかしたら越県合併したときに、米沢は二つに分かれたのでしょうか?

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桐生川紀行総集編・心のいぼ... | トップ | 米沢の宇都宮神社 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬県・旧桐生市」カテゴリの最新記事