今朝は、第一陣で獅子くん一人散歩で、上の沼を目指します。
途中の乳牛さんの牛舎で、「おはよう」
みんな朝御飯中です。
東の新沼に到着です。
あれ、珍しくシラサギさんが、向こう岸を歩いています。
西の童沢貯水池は、水がとても少なくなってます。
カモさんたち、いないかな?
と思いきや、みなさん飛び立ちました。
けっこういつも通り、みなさんここで生活しているようです。
さあ、帰りましょう。
朝陽を浴びて、籾殻の山を背景にりりしい獅子くんです。
ここには毎年籾殻が置かれますけど、何時の間にか土に帰ってます。
(11月20日)東毛の将門伝説を記した由来記が、只上(八幡)神社そばの心王寺(太田市只上町)にあるというので、出かけました
高速道路(北関東自動車道)の脇を、墓地の方から進入して訪問です。
墓地から人家前を通って、門柱前です。
大きな石造物です。
お地蔵様、ちょっと寂しそうかな?
門柱から入って参拝です。
しっかりした門柱で、大正5年12月の建立です。
100年前は、賑やかだったのでしょう
堂宇は1つだけです。
額は「薬師如来」です。
薬師如来がご本尊ですね。
ご本尊は厨子の中でしょうか?
合掌
さて、堂宇脇の由来記を確認です。
医王山正徳院心王寺由来
天慶三年二月十四日常陸国岩井ノ戦ニ破レテ平親王将門公ハ一族郎党ヲ引連レテ渡良瀬川ヲ登リ只上リ内出ニ住居シ佐野ニ本拠ノ有ル藤原藤太秀郷トノ一戦ヲ計リタリ。然ルニ天慶三年旧七月二十三日妾桔梗ノ前ノ手引ニ秀郷ノ二男藤原次郎桐生氏ノ祖蘇鉄ノ影ヨリ弓ニテ射殺ス。其ノ首ヲ以ツテ逃ゲシヲ只上リ八幡宮ノ所デ取遮ッタト言フ。~(中略)~故ニ今ヲ去ル約六百七十年前岡崎此ノ地ニ寺ヲ建立シ心王寺ト命名祖先将門公兄弟一族郎党ヲ供養シテ成仏ヲ祈念スル。~(中略)~大日本史上将門公ハ反逆臣ト記載サレシタメ渡良瀬川沿岸ノ将門公政頼公ヲ祀ル神社寺院ハ明治四十年皆祀神由来ヲ変ヘ終ッタ残念也。只上八幡宮ハ将門公ノ胴体ヲ祀ル故ニ御胴八幡ト言フ。市場八幡宮ハ将門公ノ足ヲ祀ル。五十部大手権現(神社)ハ将門公ノ手ヲ祀ル。大前大原神社ハ将門公ノ腹ヲ祀ル。
平将門の子孫が建立したんですね
そして、これを記した人も将門の子孫なのですね
平将門は此の辺りに居住して、藤原秀郷と決戦しようとしていたけれど、愛妾・桔梗の前に裏切られ、秀郷の次男によって射殺されたんですか
遺体はバラバラになり、それぞれ落ちたところで祀られているんですね。
境内脇から墓地を通って帰ります。
将門伝説と高速道路、不思議なコラボです
今回は鹿島橋で渡良瀬川を渡ります。
この左手の岸辺りが、只上八幡神社の裏手・八幡川原ですね
県道67号線に出て右折、大手神社(足利市五十部町)を目指します。
この大きな手の神社、意味が分かりませんでした。
なんとなく納得して、初めて参拝です
(つづく)
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