黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

吉沢から勧請・田部井の鹿島宮

2022-05-18 20:07:25 | 早川物語 2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場を目指します。

牛さん、おはよう

牛さんたちは、ひめちゃんたちに興味を持ったようですけど、姉妹は無関心です。

 

ヤギさんたちの居た空間は、草に埋もれつつあります

今年のお正月まで、元気な女の子が1名生き残っていたのに

彼女、どうしたのかな?

 

ひめちゃんたちは、上のタケイ沼まで足を延ばします。

あれえ、ミドリ沼になってる

北側の沼も、やはりミドリ沼になってます

どうしたんだろう?

 

サマンサ坂を通って帰ります。

晴れてよかったね

 

 

 

5月5日、田部井(旧佐波郡東村)の虎薬師を再訪しました。

虎薬師には、駐車場がありませんので、前回と同じように近くの鹿島宮(鹿島神社)に駐車させてもらいました。

鹿島宮にもご挨拶です

 

右の駒犬さんです。

台座から落ちたことあるのかな?

 

左の駒犬さんです。

こちらは、疵がないようです。

 

どっしりとした拝殿です。

お賽銭を投入して、2礼2泊1礼です

 

本殿に描かれた絵も確認です

 

東面には、龍と虎の戦いの場面です。

北面には、三保の松原の天女?

西面には、黄色い花です。

何の花だろう?

 

拝殿の西側には、ゴミステーションと仲良く石造物の皆さんです。

ここは、神社も地域の会議所(公民館)もゴミステーションも、仲良く共存しているパワースポットです

 

『(佐波郡)東村誌 』に、鹿島宮の由緒がありました。

創立年月日不詳、旧社格無格社。社伝によれば、後鳥羽天皇の御宇建久五年十二月、総追捕使に任ぜられた源頼朝に、上野守護を命ぜられた安達藤九郎盛長が国家安穏を祈願するため、常陸国鹿島郡に鎮座する鹿島神宮を太田市森田の吉沢に分霊奉還したという。田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した。その後観音山に移され、次に現地番の1240付近に移り、慶長の頃和泉昭四郎氏宅地内にさらに移り、寛文九年現在地に建立され今日に及ぶ。

 

「田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した」んですね。

太田市森田の吉沢とは、太田市毛里田の吉沢?

 

太田の吉沢には、確かに鹿島神社があります。

数年前に訪問しましたけど、あまりの草の海にあえなく退却、社殿にまで至りませんでした

検索すると、古墳群があると言うことで、下草が刈ってあるという情報もあります

そのうちに、また訪問してみましょう

 

 

今日は、県道を少し南に下り、早川橋を渡って帰ります。

新里・奥沢の奥から流れ出した早川、まだまだいろいろな物語がありそうです

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ひめちゃんとタバサちゃんのシャクナゲ満開の山上城登城記

2022-05-17 14:11:38 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

すっきりしないお天気ですけど、雨は大丈夫そうです

 

諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

クンクン、姉妹はハンターに変身です

ハンターひめ、全開です

キジの雄です。

カメラが間に合いませんでした

声を上げながら、実を付けたアブラナの中に消えて行きました

 

 

高台から南に下ります。

ポピーの花がきれいに咲いています

向こうに見える山上城を通って帰ります。

ポピーの花と矢車草のコラボもいいね

ひめちゃんは、何か気にしてます。

 

 

山上城公園(三の丸)の南を通って帰ります。

ひめちゃんの足が鈍ります

黄色い帽子の小学生です

鬱蒼とした前面の木の向こうには、何故か数名の体操着姿の中学生です

 

怖いよう、どうしよう

仕方がないわね、三の丸に登城して帰りましょう

 

 

こちらには誰もいません。

太鼓橋を渡って帰りましょう。

あちゃあ、小学生がウジャウジャです

 

 

急遽そのまま前進です。

ショッキングピンクのシャクナゲが満開です

シャクナゲの根は城内というより、隣家の垣根から延びている感じです。

でも、まあ広く言えば山上城のシャクナゲです

 

 

ローラー滑り台の脇を通って帰ります。

きれいなシャクナゲを見ながら帰ります。

 

 

ここらへんは、腰部ということになりそうです。

青紅葉がたくさんあります

秋の紅葉シーズンは、いいかも

 

無事に小学生に会うこともなく、下城です

 

 

姉妹は、畑中の道をケンくんちに急ぎます。

ケンくん、いるかな?

残念、お散歩に行っちゃったみたいだね。

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行仙上人の弟子の記憶2(田部井村の虎薬師)

2022-05-15 17:12:29 | 早川物語 2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

早々と用をすませた二人は、ご褒美の催促です

 

岩神沼に寄って帰ります。

逆さ赤城がきれいに映ってます

沼面は静かで誰もいません。

 

ひめちゃんちに、遅咲きのジャーマンアイリスが咲き始めました

複雑な色合いで豪華な方々です

 

 

 

 

来月、郷右衛門忌(常広寺開基本橋院殿の命日)で、行仙上人の話をミニ講演会でします。

昨年6月訪問していますけど、また行仙上人の弟子の記憶のある虎薬師を訪問しておきましょう

 

5月5日、行仙上人が居たかも知れない雷電山(桐生市新里町)の脇を通って、県道291号線に出ます。

ひたすら南下、「あずまはし」で早川を渡ります

 

少し下ると、薬師如来堂(田部井の虎薬師)です。

堂宇の前の石造物、一番奥にこの薬師堂の由来があります。

 

縁もゆかりもないこの薬師堂ですけど、昨年不思議な事が起こりました。

ストリートビューで旧東村(佐波郡)を見ていたら、なんと一番奥の由来記が映り、なんとなんと「新里村窪井」「行仙上人」「弟子妙禅」の文字が目に飛び込んできました

早速、訪問となりました

そして、また今回訪問となりました

 

今年は、がんばって全文活字にしてみました。

虎薬師縁起

本尊ハ大匡王佛ト言ひ十にノ請願ヲ発して衆生ノ疾患ヲ救ヒ来世ノ安堵ト明日ノ安生ヲ満足セシム灼ナ如来デアル此ノ堂宇発祥ノ由来ハ新里村窪井ニ日本三聖ト言ハレタ念仏僧行仙ガ隠棲シ其ノ門下二百聖ノ輩出ヲ見テ此ノ村ニ其ノ一人妙禅が嵯峨ノ寮ニ居タ田部井氏ガ滅亡シテ其ノ持仏堂デアッタ此ノ堂宇ガ庶民信仰ノ道場トナリ其ノ後平岩氏ノ治領トナリ寛文九年早川デ東西ニ分カレル。新屋敷ニヨリ村ノ南北端ニ上下ノ寮ノ設置ヲ見タ嵯峨ノ寮ノ住僧慶玄ガ移リ住ンダ西福寺モ平塚道上観音カラ現在地ニ移リ寛文十念十月落慶供養ガ執行サレタ山門前ニ設置サレタ六地尊ハ慶玄門下ノ念仏衆デアル人々ノ寄進デアル亦コノ村デ使用サレテイル葬儀用ノ什器ノ鐘ト双盤ハ薬師堂ノモノデアル例祭ハ春秋ノ彼岸中日信徒ガ参集シテ天道念仏ト言ハレ無病息災五穀豊穣ヲ祈ツタ亦タ更新待チト言ハレタ道教ニヨル庚申信仰ガコノ寮デ行ハレタ境内ニアル塔ハ六十年トスル庚申ノ年十一月ニ立テラレタモノデアル道教デハ六十日暦を使用シ太陽ヲ天帝ト見タテ庚申ノ夜此ノ堂ニ集つて信仰シタ亦村ノ会合ニモ利用サレ旅僧ヤ念仏行者ノ宿泊所デモアッタ昭和十七年法令ニ依リ西福寺ノ境外堂宇トナリ名義上ハ西福寺ノモノトナッタガ独特ナ民間信仰ノ堂場デアッタ昭和三十年無住トナッタ堂宇ノ腐朽甚ダシク取毀・・・本尊ハ西福寺ニ移シタガ明治以来住僧モ無ク相次イデコノ堂宇ニ住シテ堂宇護持ニ当タッテ来タ有縁ノ人々ノ発願発起ニ依リ亦区内外ノ有志ノ信者ノ参賛同ヲ得テ西野田弥八市ガ代表者トナッテ此のノ堂宇ノ建立ヲ見ルニ至ツタ此ノ堂宇ノ再現ハ民間信仰ノデアリ村ノ重要文化財デモアル

 

この薬師堂発祥由来は新里村窪井に居た行仙上人の弟子・妙禅がいた寮であったとあります

弟子の名前も、初めてです。

弟子が200人もいたともあります。

その後時代が下っても、庶民のための信仰の道場として存在し続けたのですね

庵主のいる堂宇だったのですね。

昭和30年に無住となって朽ち果てるまで、存在し続けたのです。

昭和55年に、復元となったのですね。

 

さて薬師様に参拝です。

こんにちは、お久しぶりです

合掌

お祭は、今年も行われているかな?

ご本尊様の姿が拝めるのは素晴らしいことです

さようなら、また来ます

 

道の角に、【ここは「ワンちゃんのトイレではありません】ですって

去年はあったっけ

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卯月小望月の雨の朝のムーハウスガーデン

2022-05-14 14:34:47 | 日記

雨の朝です

月の満ち欠けのカレンダーを見ると、今日は陰暦の4月(うづき)14日、満月の前の日・小望月ということです。

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、雨雲の切れ目を狙ってお散歩です。

ひめちゃんの視線の先には、小さな黒い物体が2つ見えます。

カラスです。

おじさんによると、はぐれカラスのカンタロウと彼女だそうです。

まもなく、彼らはどこかに去って行きました。

 

最近、お散歩コースの道ばたに、ポピーが咲いています。

後ろ姿で失礼します。

これは特大の花を咲かせているポピーです。

好みが分かれそう

このくらいの方がいいかな

 

雨が降ってこないうちに、諏訪神社でも廻ってきましょう。

 

神社の鳥居の脇は、かわいい黄色い花がいっぱいです。

境内には、山上・鶴谷公民館が同居しています。

道標も同居しています。

ここは道ではないから、近くから移動してきたモノでしょう。

道標があるから、道祖神もあるといいね

あれ、そういえば近くの蕨沢川向こうの石仏群に道祖神がありました。

この道標とあの道祖神、セットだったかもね

 

小雨が降り出してきたので大急ぎで帰ります。

 

 

ひめちゃんちには、昔グレーのペルシャ猫・ムーちゃんがいました

なので、ひめちゃんちのガーデンは、ムーハウスガーデンなのです。

雨の卯月小望月のムーハウスガーデン、がんばって咲いてくれた花々です

 

不思議な色合いのジャーマンアイリスです

 

七海ママと獅子くんのお墓は、まだビオラの花盛りです

この間、向日葵の種を埋めておきました。

なんとなく発芽している感じです

もう少ししたら世代交代をしましょう

 

付近には、芍薬も咲いています

 

 

雨に濡れたジャーマンアイリスもそれなりの風情ですけど、やっぱり晴れの日の方がきれいかな?

 

大輪のクレマチスは、たくましく咲いています。

 

昔、バラの園を夢見て果たせませんでした

でも、何名かは生き残って悪条件の中、きれいな花を咲かせてくれています

 

この花は、さほど巨大にもならずに、いつも咲いてくれます。

 

後ろに見える椿の木に、たくましく絡みついてたくさんの花を咲かせているバラもあります。

 

イングリッシュローズ、ザ・ピルグリムです。

毎年、春から秋まで花を咲かせ続けてくれます

 

こちらもイングリッシュローズです。

確か日本名は「マサコ」だったと思います。

悪条件の中、毎年きれいな花を咲かせてくれます

 

日本のつるバラ・新雪です。

枝の整枝がちょっと難しい。

でも、たくましく咲いてくれます

 

 

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石田川式土器に逢いに・高山彦九郎記念館

2022-05-13 15:38:19 | 群馬県・東毛

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、ビンボー合羽で堀之内を西に出て、天神田(字天神のたんぼ)を歩いてきました。

誰にも会いませんでした。

 

昨日の朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、北に出て、岩神沼で久しぶりにカモさんに逢いました

でも、ひめちゃんは落ち着きません。

ひめちゃんの視線の先には、黄色い帽子の集団です

小学生の集団登校に出くわしてしまいました

沼の淵に待機してやり過ごしてから、北上します。

 

高輪の摩崖仏に、おはようです

大きな梅の実がなってます

早いね

 

 

 

4月27日、石田川式土器に逢いに、高山彦九郎記念館に出かけました。

何度か来ていますけど、久しぶりの訪問です。

和の中に、さりげなく洋風の建物です。

ヒメシャガが、いい雰囲気で咲いています

あれ、ひめちゃんちのはどうしたろう?

絶滅してしまったかな

 

 

受付で、入館料¥100を払います。

彦九郎さん、こんにちは

カメラはここまでです。

1階の展示物はカメラ禁止です。

 

 

さっと見学して、2階に上がります。

2階はカメラOKです

藪塚から移転のご挨拶です。

 

 

いろいろあります。

こんな小さな土偶もあるんですね。

 

 

ありました、ありました

石田川式土器です

藪塚で何度か見ているはずですけど、はっきりした記憶がありませんでした。

ためつすがめつ、よく眺めます。

これが我が故郷の川、石田川の名を冠した石田川式土器です。

 

説明板も確認です。

S字のフチは東海地方のトレンド。この地域のモノの伝来に伴って、人の移動があったかもしれません。この土器が作られたころは、邪馬台国と狗奴国の戦いが終わり、ヤマト政権が広がっていった時期。集団移住?戦争難民?あなたの推理は?

 

約1700年前、石田川のあたりでは、この形の土器がつくられていたんですね。

 

あ、あの鶏の頭、ありました

石田川遺跡から出土した、鶏形埴輪です。

薮塚で見た記憶があります。

 

 

三島神社境内から出土の勾玉です。

この間、巨大案山子・かかまる君に惹かれて、薮塚の三島神社に寄りました

 

 

見なれない東山道駅路と遺跡の図です。

淡甘(たんかい)は、高尾(たこう 旧新田町高尾)になったとか言いますね。

滓野(かすの)・石西(いわせ)、どこだろう?

 

 

記念館隣の、彦九郎さんの遺髪塚にも参拝です。

合掌

 

 

彦九郎宅跡を通って帰ります。

平成5年(1993)の没後二百年に際して記念事業が実施され、現代的再評価が行われ、これをきっかけとして、平成8年(1996)に高山彦九郎記念館が開館した。

 

そうだったんですか。

子どもの頃は、彼の存在を知りませんでした。

 

また、時折お邪魔します

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