三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

まだ、まだ

2022年01月06日 | 走る
年末の24日に父が老衰で他界しました。
母が、7月6日に他界して半年も経っていないのに両親が仲良く旅立ちました。
両親は、晩年決して夫婦仲が良かったとは言えませんが、四十九日を終えた頃には、手を取り合って歩いているかも知れません。
私自身の心の整理をするためにも、今ブログにしたためています。
令和3年は、ブログに記載した別れが母を始め知人が続きます。「人は誰でも死ぬ」ことはわかっていますが、別れはやっぱり辛いものです。
お別れが言えなかった知人へは、なんとなくお伝え出来なかった感謝の気持ちが何処かに置き去りにされているような感覚が残っています。
母・父が亡くなり、自分の中の「頑張ろう!」の気持ちが薄れていることに気づきました。
これって一体全体何だろう?
私的には、父や母と一定の距離を保って生きていたつもりです。なのに、何か釈然としない「前向きになれない」自分がいることに気が付きます。
四十九日は、父の魂の昇華のためだけではなく、子どもたちの気持ちの整理のためにあるのかも知れません。

朝刊の広告欄にシンガーソングライターの小椋佳氏の書籍が紹介されていました。
「もう」と想えば、下り坂「まだ」と思えば、上り坂。いい言葉です。
「まだ、まだこれから・・・」の思考に切り替えていきたいと思います。

最後に、父と関係してくださった方々へ
父は、静かに息を引き取りました。91歳の生涯は私たち子供のモデルです。
父の仕事に対する姿勢は、今でも私たちの鏡です。
父との仕事で関係された皆様、そして地域の方々、本当にありがとうございました。
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母が他界しました

2021年07月13日 | 走る
 令和3年7月6日に母タツコが他界しました。姉、妹、そして私に見守られ、90歳5か月の人生に幕を降ろしました。
 母は、鹿児島県奄美大島で生まれ、指宿市出身の父と出逢い、4人の子に恵まれ、父が築港の仕事をしていた関係で、与論島、指宿、坊津町と港造りの建設会社で数年に一度引っ越しを余儀なくされる生活をしておりました。
 そのような中で私たち兄弟姉妹も小学校や中学校の転校経験をしました。
 建設会社でこのまま居ても、子育てが出来ないと判断した母は、既に尼崎に出ていた親戚を頼って夜汽車に乗り込みました。
 母の強さが出た場面であり、私が九州ではなく関西で住むきっかけになったのが母の行動でした。
 両親は、関西で生きる選択をし、私たちが成人するまで必死に働いていたと思います。
 不景気で父の仕事(当時大工さん)が減ったときは、子どもらの前で大喧嘩していたのを記憶しています。
 決して裕福な家庭ではなく、高校を卒業して働くことを決めていた私ですが、そのような家庭の実情を見ていたからだと思います。
 母に教えられたことは、数え切れないくらいあります。中でも「自分の生き方は自分で決めなさい」と教えられたと思います。
 また、この母の行動がなければ、妻や友人との出会いや尼崎市役所での仕事、現在の三田市との関わりはありません。
 そんな母をこの半年間の間、兄弟姉妹で面倒診ることができたことは、私たち兄弟姉妹も幸せでした。
 母タツコは、一時三田にも住んでおり、ゆりのき台の皆様にも大変お世話になりました。
 また、尼崎市内の奄美大島の県人会の方々とも仲良くしていただきました。

 母の死に顔は、大変若く感じられ微笑んでいるかのようでした。母も悔いのない人生だったに違いありません。
 母と関係していただいた皆様、本当に有難うございました。
 

 
 

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12月前半の幸せ

2016年12月21日 | 走る
 12月4日は、2年ぶりのサントリー1万人の第九に妻と参加しました。児玉先生に声の出し方を教えていただいたことで、後半の高音が出せるようになったと思います。今年の第九は、気持ちよく歌えました。
 本番前に撮影が解禁されましたので、隣の方(西宮市内在住、山形県職員)に写真を撮っていただきました。
 今回で6回目の第九ですが、すっかり妻との共通のイベントになりました。


 さて、12月18日は、三田国際ハーフマラソンに初参加、21kmのランを楽しみました。
 練習は、過去のブログにも記載しましたが、水曜日、日曜日の朝に7km程の練習を10月から開始。11月に入ると体調を崩し、走れなくなった時もありましたが、18日は、4000人以上のランナーの皆さんや三田エイサー喜心伝の方々の熱い応援に支えられて完走できたような気がします。
 また、沿道で応援してくださった市民の皆さんや三田祥雲館高校の生徒、三田西陵高校の生徒の応援も随分元気を取り戻すきっかけになりました。

 コースの途中には、駒ヶ谷運動公園があり、知り合いの方々が大勢出ていていました。
 昨年、私が走ると聞いて、墨で名前を書いてくださっていたMさんは、今はすでに天国の人になってしまいましたが、「あなたに会いに駒ヶ谷までは必ず来るよ!」といった私だけの約束を果たすことができました。
 完走できたのは、練習の成果だよ!とよく言われますが、Mさんのことやそしてやはり喜心伝のメンバーまー兄さんのアドバイス、一緒に練習に付き合ってくれた國吉夫妻が私を完走させたのだと思います。
 2時間26分、本当に幸せな時間でした。喜心伝の皆さん。そしてMさんありがとう!
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三田ハーフマラソン練習開始

2016年11月09日 | 走る
今朝は、本格的な冬の到来でしょうか?結構空気が冷たかったですね。
皆様、お変わりございませんか。
さて、昨年私は三田ハーフマラソンにエントリーさせてもらいましたが、従弟の他界があり急きょ出場を取りやめました。
今回、気を改め挑戦します。(マラソンをするのは、私の辞書にはありませんでした)
今朝は、國吉夫妻の「走るよ!」の声に背中を押され、ウッディタウンのリングロードの1周(約7km)を走りました。
基本7km/hのスピードを守り、上り下りの走り方などを教えてもらいながら・・・。
昨年は、2kmも走ると息が上がっていましたが、今回は何とか最後までペースを乱さずに走ることができました。

(7km完走後、國吉夫妻と:駒ヶ谷体育館近くで)

実は、昨年のハーフマラソン当日には、ご近所のMさんが、私がエントリーしていのを聞きつけて、筆文字の看板を作成してくれていたことを後日談でお聞きしました。
従弟の死去が急だったため、Mさんには、出場中止のお知らせをすることができず、後日感謝をお伝えしましたが、いつまでも姿が見えない私を待っていてくれていたようです。
残念なことにMさんは、今年3月他界しました。
12月18日は、このMさんが応援してくれていた駒ヶ谷運動公園前までは、絶対に走り抜きたいと思います。
もしかして、Mさんの応援が聞こえ来るかもしれません。
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