三田市議 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

地域防災 ~防災を楽しく!をテーマで実行したい~

2024年08月31日 | 防災・減災
 ノロノロ運転の台風10号が、近畿地方に近づいています。弱まっているとはいえ、和歌山など各地では、大雨が降っている模様。気を緩められません。
 さて、第2回ゆりのき台防災会主催の「防災会議」が7月20日(土)に開催されました。報告が遅くなりましたが、ブログにしたためます。

 話合いの中心は、11月に実施される「ゆりのき台防災訓練について」でした。
 参加者は、三田西陵高校、ゆりのき台中学校、ゆりのき台小学校、親和幼稚園、ゆりのき防災リーダーの会、ゆりのき台自主防災会の方々でした。
 11月開催の訓練内容について議論した後、前回の会議で反省点として上がっていた、「防災訓練に住民参加が少ない」との課題について提案しました。

 提案は、「防災意識向上のための住民参加プログラム」です。
 このプログラムは、ゆりのき台で重要となる11月の「防災訓練」に向け、住民の皆さんが、知らず知らずのうちに訓練に参加するようにしたいという想いから考え出したプログラムです。

 まず、1月の阪神淡路大震災か3月の東日本大震災に合わせ、ゆりのき台コミュニティハウスや公園の空地を活用した「カレーや豚汁を食べてみよう!」の炊き出し訓練を児童や生徒と一緒にします。実際に薪を用いて火おこしをしてみることから始めたいと思います。
 コミュニティハウスの自治会館では、阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震、その他の被災体験者からの実体験のお話し会、さらに水が大事だと言うことで、水のろ過実験などが実施出来たら良いかな?と会議で公表。
 次に第2弾として、ゆりのき台公園で「地震発生!テントに泊まってみよう!」を夏休み期間に実施。参加者は、親子。テントは、持参していただきます。
 晩御飯をどうするかなど課題は残りますが、アルファー化米を食べてみる事。ビデオ研修やAED訓練など、就寝までの時間を活用して実施します。
 防災会では、この際に受付訓練、テントで泊まらない家族向けの部屋の配置など、避難所設営訓練も兼ねて実施できればと思います。
 お楽しみとしては、児童・生徒らは、花火や肝試し? 大人参加の方は、地域の交流として「片手に缶ビール会」を開催し、なかなか地域の大人たちが話し合う場面が少ない中で交流会を開催します。
 この2回のイベントを経て、11月、ゆりのき台小学校で開催される防災訓練には、これらの経験を経た児童らが、学校で色んな訓練に参加します。もちろん大人(保護者)の方もこの時は参加していただけるのではないかと期待しています。 
 会議では、このプログラム(案)が了承され、第1回のスタートは、3月に実施することに確定しました。
 また、実施にあたっては、ゆりのき台防災リーダーの会が中心となりイベントの段取りを行うことになりました。
 南海トラフが動く地震は確実に発生すると言われています。日頃から楽しみながらの備えが重要ではないかと考えています。
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挨拶の話 ~金菱 清 関学教授 神戸新聞客員論説~

2024年07月27日 | 防災・減災
 今朝の神戸新聞に神戸新聞客員論説委員であられる関西学院大学社会学部教授の金菱清氏のコラム(進路21)が掲載されていました。
 「毎朝の挨拶に意味がある」ことを書かれています。
 毎日当たり前に食べている朝食、でも次の日は、災害に遭い、食べられなくなる日が来るかも知れない。
 毎日は、奇跡の連続なんですよ!と「当たり前にある日常の幸せに気づきましょう」と書かれています。
 だからこそ、朝の挨拶「おはよう、行ってきます」は、日常の会話の中でも特に大切です。と結ばれていました。
 
 地域の方と先日1年ぶりに会話をすることがありました。
 その方から「昨年末に夫が朝起きて来ないので、寝室に行くと亡くなっていた」と言うのです。
 私たちの日常は、この会話からも、「明日は分からない」ことが分かります。
 「夫とは、普段結構会話があり、夫婦間もいい感じで生活していたと思う。でも、今思うともっと夫に優しくしてやれたのかな」とも。
 就寝前に「お休み」を言い。朝起きて「おはよう」と言えなかったこの方の無念さも感じたのでした。
 あなたは、ご家族に「挨拶」できていますか。
 地域防災を「挨拶」から考える取り組みも必要かも知れません。
 心打たれた記事でした。
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能登半島地震から4か月

2024年05月14日 | 防災・減災
5月1日と2日に2度目となる七尾市への災害ボランティアに行ってきました。
今回は、七尾市城山野球場内に設営されたテント村を活用しました。

4月30日の午後2時に三田を車で出発し、テント村に到着したのが、午後7時前で薄暗くなってきておりました。
うかつにも、ランタンを忘れましたが、いつも提供しているのか、「忘れました!」と言う前にスタッフの方がランタンの代わりとなるものを差し出してくれました。

その夜は、近くのコンビニで購入したお弁当を薄暗いテントの中で頬張り、ビール1缶を飲み干し就寝しました。
テント村の前には、大型でかまぼこ型の白いテントが張られており、ここは、長期滞在者の憩いの場となっているようです。(この夜も21時まで話し声が聞こえていました)
5時前には目が覚めましたので、野球場の内外を散策、ここは、球場だけではなく、プールや陸上競技場もあります。
野球グランドは、前日暗かったので分からなかったのですが、地震時にできたと思われる地割れが無数に走っています。
朝食を購入するために車で約3分ほどのコンビニエンスストア―へ出かけました。被災地の食はコンビニエンスストアーにも守られています。
七尾市災害ボランティアセンター(文化センターが拠点)には、午前9時前に受付予定です。
午前8時15分頃にテント村を出発。同じテント村に宿泊していた方が前を歩いており、行き先に不安な私は、この方に声をかけさせていただきました。
道すがら、いつから宿泊しているのか?など質問しながらボランティアセンターを目指します。
この方は慣れたもので、住宅地の生活道路を利用しておられました。
この方は、千葉市から2週間前にテント村に到着し、七尾市を中心にして珠洲市、穴水町などで活動してきたとの事です。
この方のお話を聞くと人生観が変わったかのような悟りを開いたかのような口調になっている。と感じました。
「私たちは、単に片付け屋ではないんです」「被災された方と心の交流をしに来ているんです」「頑張りましょう!はたやすい。共に頑張りましょう!」なんですよね。
この2週間の活動で随分、被災者の方々と少しの時間だとは思いますが、心の交流があったのではないかと思いました。
5月1日は、2か所の災害廃棄物(ごみではありません。廃棄物と呼びましょう!がボランティアセンターからのお達し)を運搬し、午後2時にはチームが解散しました。
もし、時間がつくれたら輪島市の現状を見たいな?と思っていましたので、この時間を利用して車で七尾市から自動車専用道路を使って輪島市、穴水町を経て七尾市へ戻るルートで車を走らせました。
自動車専用道路は、山間部を輪島へ貫きできている道路ですが、輪島市に近づくにつれ、山間部に設置されていた橋梁が陥落しており、迂回道路を幾度となく使うことになります。

当然ですが、舗装もフラットではなく、地割れが発生した道路は、車が走られるようにと緊急補修をしている箇所が何か所も出てきます。注意を払って運転しないと凸凹の道で車がバウンドしてしまうことになります。
さて、いよいよ輪島市に入ってきました。
街中に入ったと感じたその瞬間、目の前に現れたのが、1階と2階が完全に潰された倒壊家屋で歩道部に覆いかぶさるように倒れています。
その場面を見るだけでも、この中に人がいたのでは?どうなったんだろう?などの思いが巡り、涙が自然に湧いてきました。
車は、輪島市の中心市街地、そして朝市で有名だったエリアへ向かいます。
中心市街地は、車道は通れるようになっていますが、歩道の片づけ、倒壊家屋の撤去は一切進んでいない状況でした。

メイン通りから外れた家屋も道を塞いでいる家屋の撤去すらままならない状況です。

輪島には、初めて来た私です。
朝市、輪島塗で有名な場所であることは、私も知っていましたが・・・。朝市をしていたと思われるエリアも次の写真のように消失し、まるでウクライナへのロシアの侵攻を彷彿とさせる現場でした。ここもまだ何も変わっていませんし、言葉がでてきません。

輪島市内から穴水町へ向かう際に大きな薬局が営業しており、トイレを使わせてもらいましたが、ここもまだ水が来ていない様子で、屋外の簡易トイレを使わせていただきました。
穴水町へ向かう途中の山は土砂崩れしており、もう少しで民家を飲み込むところまで迫っていました。

穴水町も能登湾に位置しており、車窓から見える民家もいたるところで倒壊している状況でした。特に海岸線は、液状化が激しく、耐震化出来ている家屋も液状化で傾いている家が多いと聞きます。
穴水町から七尾市に入るルートは、「のと電道」のルートと併走して走る道です。少し復興を感じたのは、「のと鉄道」も復旧し、穴水駅から七尾駅まで走っていると聞きます。公共交通が復旧することは、地元の方々の力にもなるのではないかと思います。
穴水町を見て感じたのは、被災エリアが広く、点々と存在していることでした。
私たちテント村のボランティアは、どちらかと言うと中心市街地への作業依頼が多いのです。今後は、ボランティアセンターから遠く離れた場所での活動も入ってくると思われます。
2月は金沢市内からボランティアバスに乗り込み活動したのですが、活動時間を多くとるためには、今回のようにテント村などを拠点にした活動の展開が欠かせないと感じます。
初日、二日目を通して合計9軒の依頼を受けて毎回10名近いスタッフと共に一期一会チームで活動してきました。
2階部分が大破しているお家の方は「年金生活者には、この家はもう建て替えることは出来ません」との思いを聴くことができました。
能登半島で被災された方々は、家屋の被災状況に差はありますが、多くの方は希望を失いかけているのではないかと感じます。
私は、被災者の方々の支えにも、寄り添うことも何にもできていないと実感していますが、私にできることと言えば、時間がある時にこうしてボランティアに参加することしかありません。
今後もできる限り活動して行きたいと思います。
(今回のブログに輪島市内の写真を使わせていただきました。この写真を見て特に関係者の方は、お気持ちを害する方がおられるかも知れません。ご了承くださると嬉しい限りです)


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七尾市で災害ボランティア ~短時間でも心通じ合えるものだ~

2024年02月23日 | 防災・減災
甚大な災害をもたらした能登半島地震から1か月半となる2月15日(木)に七尾市での災害ボランティア活動に携わってきました。
長文となると思いますが、ブログにしたためます。

(金沢市内~七尾市へ)
15日の朝6時30分過ぎに災害ボランティアバスの始発地となる石川県産業振興センターに到着しました。
(実は、前泊し金沢駅前のゲストハウスに宿泊、出発に遅れないようにしていました。)
バスが2台、既に産業振興センターの建物近くに待機していました。
このボランティアバスには、2月7日に応募した40名の方が乗り込んでくる予定となっています。
自家用車をボランティア専用区画に駐車させ、名前を告げ、1号車に乗り込みました。

産業振興センターでは、約25名ほどが乗車した様子で、次のボランティアの方の乗車場所である金沢駅西口で、残りの15名ほどの方が乗車してきました。
バスは、7時30分に金沢西口を予定通り出発し、県道90号線、8号線、国道415号線を通り羽昨市を通過。
途中、中能登道の駅でトイレ休憩。
道の駅には、「能登は負けません!」の横断幕が掲げられていて、地元の方々の復興への意欲が伝わって来ます。
国道159号線を通り、ボランティアバスは、七尾市にいよいよ入って行きます。
徐々に道路事情が悪化、バスも徐行運転をしながら進みます。また、車窓から見える歩道は、地震による影響で地割れが起きている箇所が何か所も・・・。
さらに瓦屋根の家では、ブルーシートで覆われた家屋が少しずつ増えてきました。

(七尾市災害ボランティアセンターで)
9時20分に「七尾市災害ボランティアセンター」に到着。2階で「頑張ろう能登! 七尾市」と背中に描かれた赤色のビブスを装着。胸にシール名札を付け、説明会場へ。

私達が入ると既にオリエンテーションを受けた他府県から来られたボランティアの方がおられます。
私たちへのオリエンテーションが、始まるまで30分ほど待たされた感じです。

さて、10時が回ったところで、オリエンテーションが始まりました。
説明者は、近畿圏内から応援に入られた社協(社会福祉協議会)の職員の方でした。
七尾市の職員や、七尾市社協の職員さんだけでは手が足りないことは明らかです。
災害ボランティアの方々が、実際に活動するまでの流れは次の通りです。
①災害ボランティアセンターで被災者から作業申し込み(活動依頼書)を受付。
②職員が依頼者の家屋を訪問し、片付けのボリュームや依頼内容を確認。
③依頼書に②のデータを記載し、1棟当たりの作業人数をボランティアセンターで確定。
④一日の作業量をボランティアセンターで確定し、チーム編成を行う。
⑤作業時間は、午前10時~正午、休憩は1時間、午後1時~2時30分まで。実に、最大3時間30分の短時間の作業となってます。
(金沢市内が起点となっている関係で作業時間が短くなっています。今後は、被災地内で宿泊が出来るようになると長時間作業が可能です)

私のチームは、6人編成でした。
チームが決まると早速マッチングと書かれたテーブルで担当者から被災ごみの分別方法、被災者に寄り添った行動をとる。など諸注意を確認。
依頼件数は、3件。静岡ナンバーのワンボックスカーと軽トラック1台で、依頼先を順番に回り、依頼人からの作業依頼内容に応じて廃棄する災害ごみを軽トラに積み込みます。軽トラックは、満杯になり次第、災害ごみの仮置き場に直行という流れとなります。

(被災者宅で)・・被災者の方に配慮して現地の写真は撮影していません。
最初の依頼人宅へ・・・依頼内容は、タンスの処分、壊れた茶器の片づけなどです。
室内へは、玄関口からではなく、庭先の客間から入らせていただきました。
奥に部屋が続いており、かなりの大邸宅の様子。ご頼人は、高齢者一人住まいと思われます。また、これまで過ごしてきた状況もお話ししてくださいました。
被災から45日経過していますが、家の中を通れるようにすることで精一杯だったようです。まだまだ、各室内は片付いていませんでした。
依頼人には、壊れた茶器、壊れた水屋、電化製品をトラックに積み込む前に1つ1つ処分して良いかどうかの確認を取らせていただきました。
この確認作業は、壊れている品であっても、本人にとっては「思い出の品」に相当するかも知れないからです。
また、倒れていない家具もありました。なんと、この家具には、転倒防止器具が設置されていました。改めて家具転倒防止器具設置の威力を垣間見たような気がします。
依頼人から「七尾市の担当者にも見てもらいましたが、2階がもっと酷いんです。一度見てください」と言われ、2階へ。
2階では、これまで入れなかった部屋があると言います。この部屋の狭くなっているドアから身体を差し入れ、室内でドアにもたれかかっていた物入を起こして何とか依頼者が室内に入れるように確保しました。でも、室内は、かなり物が散乱しています。
また、別の部屋には、書道家だった依頼者の書が多く散乱。最も大切にしていた「発表品」も手前のタンス類、書類が散乱していて取りに行くことができません。
「時間がなく発表品を取りに行くことができません」と依頼者にお断りを入れました。
時間が迫ってきたので、作業はここまで・・・。
依頼人から、この家には、調査に来た方からも「1日かかりますね」と言われていたようです。しかし、私たちには、ここまでが限界です。
災害ボランティアセンターに渡す依頼書には、必ず本日の状況を報告して次回以降もボランティアに来ていただくことをお約束しました。
1軒目の依頼人は、私たちの帰り際に「また、次の片づけにも同じチームで来て欲しい」と声をかけて頂きました。
短時間の間に私たちの心と依頼者の心が通いあったような不思議な感覚がありました。
依頼人に「同じチームで来られたら良いのですが、私たちも今日結成されたチームなんです。夕方には、全員帰路につきます」と説明。
依頼人は「こんなに親切にされ、何とお礼を言えば良いのか・・・」と声を詰まらせた様子で語られます。
この話は、ボランティアの全員が聴いていたと思います。「お礼なんてもったいない。お互い様です」「被災されてまだまだお家の片づけは続きますが、お元気でお過ごしください」と皆さんが声をかけています。
実に良いシーンを見たような気がしています。
車を発進させると、依頼人は頭を下げ、手を振ってくださっています。こちらも全員が手を振り返します。
本当に、これからも災害に負けずにお元気で過ごして欲しいと思います。

2軒目の依頼人宅で昼食時間となりました。
こちらのお家も庭先が広く、縁側を利用させていただき、おにぎりを頬張りました。
2階からタンスを降ろし、処分品をトラックに積み込みますが、玄関は、地震の影響かドアがちゃんと開閉できない状況でした。
「あちらこちらの引き戸、ドアは歪んでいてちゃんと閉まらないところが多いんですよ。でも我が家は、何とか住めるので贅沢は言っておられないのですが・・・」と依頼人。
帰り際に「どちらから来ていただいたのですか」と聞かれ「兵庫県三田市からです」と答えると「あら、三田のゆりのき台と言うところに親戚が住んでいますよ。同じ姓です」
これを聴いた時に、確か私の自宅近くに同じ姓のお宅があるのを思い出しました。遠く離れていてもこうして不思議なご縁が生まれてくるのを感じました。

3軒目の依頼者からは、土壁の処分を依頼されていました。土壁は約20袋で米袋(紙製)に入れられており、仮処分場へは紙製品を分別の関係で持ち込むことができません。
これを全員で土嚢袋に入れ変えて、トラックに積み込みました。
帰路のボランティアバスは、仮処分場となっている美術館の駐車場です。
美術館へ向かう途中のまちの様子は、あの淡路大震災で垣間見た状況とよく似ています。
コンクリート構造物の1階部分が落ちてしまったビル。古民家を活用していた老舗が全壊している状況。隣の家屋が、もたれかかっている状況など。
被災された方々の心情は、この状況を見ただけでも計り知れません。
美術館に着きチームで近くのトイレ施設へ行く道も写真のように歩道が浮き上がっていました。

また、市内のガソリンスタンドもいつになれば営業が再開されるのか閉店しています。


3軒の依頼をこなした即席チームは、数時間で同じ目的を達成したこともあり、それぞれ何処から来たの?などの意思疎通を取るまでになっていました。
皆さん、私よりもかなり年下の方ばかり、20代後半から50代前半でしょうか。
ある方は、金沢市内から来られていて、空き部屋を被災者の方にお貸ししていることまでお話ししてくださいました。
また、ある方は会社から休暇を取り、来られています。また、ある方はスイーツのお店が木曜日に休みなので、ピンポイントで作業に来られています。
さらに岡山から7時間かけて駆け付けた方もおられました。
これは、ある方の発言です「行こうか、どうか迷いましたが、行かずに見ているよりも現地に行き少しでも役に立ちたかったので参加しました」
この言葉は、おそらく災害ボランティアに応募した方の全員の気持ちではないかと思います。
若い方々が、こうして時間を割いてボランティア活動に来ている様子を見ると大変嬉しく思います。
我が家の台所に「無財の七施」という仏教用語が掲示されています。
いつも何気なく見ていたのですが、改めて良い意味があるので掲載します。
七施には、眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施と言うものがあります。
このうちのどれもが、ボランティア活動に通じる意味があるのです。
特に身施は「自分の体でできることを奉仕する」と書かれています。
これもお互い様の精神に繋がってますね。
ここまで書き、2月15日のブログもそろそろ終わりにします。

ボランティアバスは、2台ですので、チームの皆さんとは、ここでお別れです。
その前にワンボックスカーの前で皆さんと写真を撮影し、LINE交換しました。
作業に携わった皆さん。本当にお疲れ様でした。
また、ご縁があれば、何処かでお会いできますよね。






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能登大震災・活動するのは今!

2024年01月04日 | 防災・減災
1日に襲った震度7の地震により、家屋の倒壊、津波、火災、土砂崩れが発生、4日に判明しているだけでも70名以上の死者、安否確認ができていない方などを含めると100名以上になる様相です救助活動は、こうしている間にも続いています。
正月で子や孫が親元に帰省中の方もおられたようで、柱が落下し亡くなった方もおられると聞いています。
まさに、あの阪神淡路大震災を尼崎で経験した私にとっては、同じような光景に胸が締め付けられます。
1月は、視察などの予定が入っていますが、その合間を縫って災害ボランティアで被災地入りできればと考えています。
私は、既に石川県の災害ボランティアバンクに登録を済ませました。
災害ボランティアは強制して参加するものではありませんが、時間に都合がつく方は、下記の石川県災害ボランティアバンクから情報を提供してもらい、被災地が必要としているところで一緒に活動できればと思います。

石川県災害ボランティアバンク(個人・団体を事前に登録する制度であり、個人を登録するには、下記URLから個人登録をお願いします)
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/saigai/volunteerbank.html
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処理水放出・・国内で魚貝類を食べて応援しよう!

2023年08月31日 | 防災・減災
8月24日に東京電力福島第1原発の処理水が始まり1週間を迎えました
昨日、政府の漁協関係者への支援策の中に国内消費の推進策が盛り込まれました。
中国は、「核汚染水」と位置づけて日本からの海産物の全面輸入停止の措置を取っています。
ならば、中国に輸出できなかった海産物を国内消費に回すように政府主導で実施することが、漁協関係者には大きな支援策となるに違いないと思っていました。
物価高の影響、近年の温暖化の影響での近海での魚が獲れなくなってきており、以前と比較しても魚介類は高くなっています。
お刺身も毎回購入して食べられなくなっています。

この際、日本の昔からの食文化を守る為にも安価な供給で消費を拡大させてほしいと思います。
安価にした分の差額を政府が支援すれば良いと考えます。
魚貝類の値段が現状と同じ値段だと消費を刺激しないばかりか、輸出できなかった量をさばくことができません。
中国への輸出量を国内消費でカバーするのは、とてもできないことなのかもしれませんが・・・。
しかし、日本国内で消費することで少しでも漁師さんを始めとする関係者を助けることに繋がるはずです。

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被爆者合唱団最後の祈り

2022年08月10日 | 防災・減災
 9日の午前中は、尼崎に出かける用があり、車でラジオを聞いていました。
 そこに流れてきたのは、被爆者でつくる合唱団「ひまわり」さんの歌声でした。
 今回の長崎市の平和祈念式典で「もう二度と作らないでわたしたち被爆者を」を唄い紡いできたが、団員の方々の高齢化が進み今回が最後の出演だとアナウンサーから紹介がありました。私は、恥ずかしいことに合唱団「ひまわり」の存在も知らなかったのです。
 この合唱(歌詞)をジーと聞いているとこの歌は、被爆者の方しか歌えない歌詞が入っています。
 タイトルのとおり、二度と私たちのような被爆者を作らないでと訴えています。とても私には、歌えない内容です。
 今回で最後となった合唱団員(被爆者)の方々にとっては、長年、毎年のこの日の為に皆さんと声を合わせ、練習も積み重ねてきたんだろうことは私にも想像ができます。
「あー、最期の祈りの歌声なんだ!」と思うと本当に歌っている方々の思いがこちらにも伝わってきました。
ウクライナでの戦争、もしかして台湾をめぐる中国と米国、日本の扮装、尖閣諸島を巡る有事。なんだか、きな臭い感じがしてきています。
「戦争は、環境を破壊する」
もしかして既に地球はかなりダメージを受けている。被爆者の祈りである核兵器廃絶は、人間が生き延びていく上で必要不可欠なものであることは間違いないと思います。
 
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ゆりのき台防災会議

2020年09月20日 | 防災・減災
 20日、午前9時30分からゆりのき台コミュニティハウスでゆりのき台防災会議が開催されました。
 会議の内容は、この10月25日(日)に開催される防災訓練に向けての打合せです。
 ゆりのき台の防災訓練は、毎年、ゆりのき台小学校のオープンスクールに合わせ小学校と合同で訓練を実施しています。
 三田市内の自主防災会が開催する防災訓練は、ほとんどコロナ禍の影響で中止を余儀なくされています。
 ゆりのき台では、今回のように感染が広がる最中で避難を余儀なくされる場合もあることから、感染防止対策を講じた上で防災訓練を開催することになったものです。
 会議には、自主防災会(ゆりのき台自治会)、ゆりのき台小学校、ゆりのき台防災リーダーの会、ゆりのきデイサービス、訪問看護つな樹のそれぞれの代表者が集い、10月25日の防災訓練内容について確認作業を行いしました。
 例年の開催人数より大幅に縮小しての開催となりますが、毎年続けて開催することの意義・大切さは言うまでもありません。
 
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ゆりのき台中学校で第2回指定避難所見学会

2016年08月29日 | 防災・減災
 8月21日(日)の午前中にゆりのき台中学校(災害時一時避難所)で第2回目となる指定避難所見学会が開催されました。
 主催するのは、自治会(自主防災会)ですが、今回も地域で活動している防災リーダーの皆様の協力をお借りしての開催です。
 当日の一通りの流れを写真を添付して報告いたします。
(集合)
 スタッフである、自治会関係者と防災リーダーの皆さまは、8時にゆりのき台中学校の下駄箱付近に集合しました。
 受付の設営やAEDの訓練会場への物品の搬入、パネル展示物などの設営をスタッフで分担しました。
(受付・参加者への説明)
 受付は、丁目ごとに行い、参加人数を把握しました。三田西陵高校のスポーツクラブの生徒も駆けつけて下さり、総勢52名の参加となりました。
 8時30分からいよいよ見学会が始まります。
 最初に防火防犯部長の挨拶やAEDをご提供くださったJRあんしん財団担当者の紹介、ゆり中教頭先生の紹介があり、当日の流れの説明がありました。
 その後、三田市危機管理課長より防災に関する安全の心構えなどの説明があり、参加者は、中学校に備えてある防災倉庫へ移動しました。

(防災倉庫の見学)
 防災倉庫では、危機管理課長より防災倉庫の役割の説明がありました。防災倉庫では、最低限の物品しか置いていないことや食料と飲料水は最低3日分を各自確保していただく必要があること。三田市の組織では、大災害時には市民の命を救えない、ご近所の助け合いが必要なこと。などの説明があり、参加者は、防災倉庫の備品をのぞき込んでいました。
 参加者は、食料や水も中学校で備蓄しているものと思っていた様子でした。「日ごろの備えが大切ですね。」の声も・・。

(一時避難所・体育館の見学)
 ゆりのき台中学校の教頭先生の案内で体育館を見学させていただきました。ちょうど、クラブのやっていない時間帯でしたので、体育館の広さが実感できました。
 この体育館は、収容人数が450人となっています。大きな災害の時は、写真では床に段ボールが敷いてありますが、1畳分の広さで過ごしてもらう必要があります。
 450人の収容と言うけれど、通路の確保、真夏や真冬は大変だ!との声も聞かれました。

(非常食説明)
 体育館から非常食の説明会場へ移動し、アルファー化米の仕込み方などを教わりました。
 お湯で作る時約60分かかるため、この間に通報訓練やAEDの扱い訓練を行います。


 写真は、50人分のアルファー化米をつくっている様子です。
 また、AEDの提供やアルファー化米を提供していただいたコスモ食品さんに敬意を表してパネルにさせていただきました。
 
(通報訓練)
 今回初の試みとして119番通報の訓練を行いました。参加者から5名を選出し、消防署へ実際に事故・ケガが発生したものとと想定して携帯電話を活用して、消防本部指令室へかけさせていただきました。
 本部から場所の確認、けがをしたあるいは、病気の様子を的確に聞かれていることが、手に取るようにわかります。
 日ごろ救急通報を経験していない参加者が多いようでした。この訓練は、消防署の協力をお借りして実施したものですが、もちろん他の実際の通報や非常事態にはかけられないこと。をあらかじめ事前打ち合わせして実施したものです。

(AED訓練)
 ゆりのき台所有のAED2体、そして消防本部からAED2体をお借りしAEDの訓練を4班に分けて実施しました。
 消防本部の担当者と防災リーダーが各班に入り訓練開始です。今回は、心肺蘇生法全般を学びましたが、肺に空気を送り込むマウスツーマウスは、1回の訓練では難しい様子でした。

(非常食の試食)
 ここまで来るともう時間は、11時20分を回っています。
 AED訓練を終えた参加者にアルファー化米の試食をしていただきました。今回は、炊き込みご飯でしたので、味もついており、西陵高校の皆さんは、試食を楽しんでいる様子でした。
 帰りにアンケーをしていただき、企業提供のスープを参加記念に持って帰っていただきました。

 地域に存在する指定避難所を知っていることは、有事の時の動きが違うのではないかと思います。
 また、何でも行政がしてくれるのではなく、まずは、自助があり、次にご近所の助け合い、そして公助が最後になることを地域の皆様が知ることが大切です。
 地域の方々が過ごすには、広いようで狭い体育館も参加者には参考になったのではないかと思います。
 「三田は、大きな災害がない」と安心せずに災害に遭遇したことを想定して動く必要があるのではないでしょうか。
 ゆりのき台防災会・自治会・ゆりのき台中学校、三田消防本部、協賛企業、地域防災リーダーの皆さま。暑い一日でしたが、準備から片付けまでご協力くださり、ありがとうございました。
 

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3.11から間もなく5年

2016年02月15日 | 防災・減災
 東日本大震災が発生して間もなく5年が経過しようとしている。
 テレビ報道番組も増えてきている。
 被災地では、高台移転が進んでいる様子や防潮堤の建設も進んでいる。
 一方で、復興が待ちきれない被災住民は、都市部へ移住し生まれ育ったまちでの生活を断念した人も多くいるという。

 ここで私見。
 
 今進捗している復興計画は、国の主導で進んでいる事実は否めないと思っている。
 であれば、地方の思いは、何処に行ったのだろうか。
 確かに地方任せでは、復興がおぼつかないのも事実である。しかし、被災した地方や地域に選択する余地があったのかと言うと「なかった」に等しいと思う。そこには、元来から国の統一やどの地方にも平等でなければならないと言った国の精神が働いている。
 被災した地方の「個性」が、この5年間で失われてはいないだろうか?と感じるのである。
 あのような津波が今すぐ来ないとも限らないが、少なくとも高台移転や防潮堤の建設に関しては、地方住民の意見を取り入れた政策は出来なかったのかと感じている。
 「防潮堤は、いらぬ。防潮堤を建設する代わりにその費用を充てて高台への避難通路や訓練を重視する」地域が出てきてもおかしくなかったのではないか。したがって元のまちなみを再建してそこで暮らす。と言う選択が・・・・。

 これには、被災地住民のみなさんの反論もあると思います。被災地の皆さんの思いが分からずに書いているのかも知れません。
 「復興なくして日本の再建なし」とのうたい文句で始まった東日本の復興であるが、地域住民の心を置き去りにした復興はあり得ない・・。
 と感じています。・・・・あくまで私見です・・・。
 
 
 
コメント
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