23日早朝、甥の死亡を知らせる電話が妻に入りました。
その日の朝早くに妻は姉のもとへ掛けつけ、私もいろいろな用事を済ませて、夕方には、葬儀会場へ駆けつけることができました。
27歳の若さで不慮の事故で他界した甥、本人はもっと生きたかったと思います。
両親である義姉や義兄からすれば、自分たちより早く天国に子どもが逝ってしまい、何と言葉をかければよいのか、言葉が思いつかないほどでした。
私の子ども達が幼かった頃には、義姉家族と一緒にディズニーリゾートへ遊びに出かけたこともありました。
彼からは、人の優しさなど、私の子ども達が少なからず影響を受けたと思います。
大人になってからは、私と彼が話しをする機会が随分と減りましたが、今年の正月は、義姉宅で冗談めいた話しをした記憶があります。
それが、私と彼が交わした最後の会話でした。
20代で他界した彼に残ったのは、アニメのデザイン画、アニメを愛していた証の数々のアニメ本、彼の漫画家になる夢は潰えましたが、私たちには、彼の生きた痕跡が心に刻まれています。
どうか、やすらかにお眠りください。そして、義姉家族をお守りください。
合掌
その日の朝早くに妻は姉のもとへ掛けつけ、私もいろいろな用事を済ませて、夕方には、葬儀会場へ駆けつけることができました。
27歳の若さで不慮の事故で他界した甥、本人はもっと生きたかったと思います。
両親である義姉や義兄からすれば、自分たちより早く天国に子どもが逝ってしまい、何と言葉をかければよいのか、言葉が思いつかないほどでした。
私の子ども達が幼かった頃には、義姉家族と一緒にディズニーリゾートへ遊びに出かけたこともありました。
彼からは、人の優しさなど、私の子ども達が少なからず影響を受けたと思います。
大人になってからは、私と彼が話しをする機会が随分と減りましたが、今年の正月は、義姉宅で冗談めいた話しをした記憶があります。
それが、私と彼が交わした最後の会話でした。
20代で他界した彼に残ったのは、アニメのデザイン画、アニメを愛していた証の数々のアニメ本、彼の漫画家になる夢は潰えましたが、私たちには、彼の生きた痕跡が心に刻まれています。
どうか、やすらかにお眠りください。そして、義姉家族をお守りください。
合掌