三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

恩師からの葉書 

2009年08月29日 | 趣味その他
 私の活動報告「わらじ通信」をウッディタウン内に配付終了したのが、お盆前でした。そう言えば選挙で心の支えになっていただいた高校時代の恩師であるM先生に何の便りも出していなかったことを思い出し、わらじ通信と共に手紙を同封して先生のお住まいである稲美町へ送りしました。
 すると早速、M先生からの残暑お見舞いの葉書が昨日届いていました。
 ブログを開けて元気で活躍していることに安心したことや段ボールコンポストの取り組みは先生宅でも実行していることなど・・。
 そして、先生の葉書には「小生の楽しみが一つ増えました」と締めくくられていました。
 先生や高校の仲間と出合い35年になります。
 それぞれの道は違いますが、昨年市議会選挙に立候補すると決め、皆さんの激励を受けたことは、一生涯忘れることのできない出来事になりました。
 また、先生からは「肥後が頑張る姿を見て、子育て真っ最中の同級生や人生を半ば諦めムード漂う同級生にも刺激を与えているのだ」と聞いたことがあります。
 間もなく9月、昨年の熱かった選挙戦を振り返り、本当に1年経つのは早いものだと実感いたします。
 「初心忘れるべからず」。市民のため、これからの三田市のまちづくりや発展のために前職を辞して臨んだ気持ちをいつまでも忘れてはなりません。
 さて、今日は午後2時から第2回目となる「わらじミーティング」をゆりのき台コミュニティハウスの一室で開催します。
 前回同様、来てくださる方がおられるかどうか不安ですが、6月議会の簡単な報告や議会改革等議員に求められる姿、自主防災のあり方など参加してくださった皆さんと身近な課題として、考えたいと思います。
(写真は、平谷川でこの夏撮影)
 
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ソフトボール部のメンバーになりました ~次回はヒットを打つぞ!~

2009年08月25日 | 趣味その他
 先週の日曜日(23日)に小学校区で組織する「スポーツクラブ21ゆりのき」のソフトボール部(クラブ名称:ゆりのきウイングス)の練習に参加し、正式なメンバーとして登録(入部)しました。
 ソフトボールと言っても侮ってはいけません。運動量は結構ありますし、急に動いて怪我をする方も多いと聞いています。
 私は、久しぶり(というか20年ぶり)にボールを手にしました。妻にも「慣れない運動するとアキレス腱切るよ!」と脅されての初練習です。
 チーム内で早速、キャッチボールをしましたが、昔はちゃんと相手に返球できていたものが、ボールコントロールがまるで出来ていません。
 ボールすら投げられないようになっていたとは、情けない!
 また、練習試合では、2打席回ってきましたが、ピッチャーゴロとショートゴロに終わり、どこかのプロ選手のようにデビュー戦に華々しくヒットで飾ることができませんでした。
 それどころか、同じチームからは「ヒットを打たないとゆりのき台の票が逃げるよ!」とか「次回は落選するよ!」と言った鋭い野次とも応援とも取れる言葉をかけられる始末。(笑)
 チームの皆さんとは、これから和気藹々とやって行けそうです。
 そういえば、グローブすら持っていませんので、自己練習も今のところできていません。
 明日にでもグローブやボール、そしてシューズを購入し、次回の練習日には、少しは成長したところを見せなくては!と秘密の練習を企んでいます。
 このブログにもソフトボールチームの奮戦記を書き込むことにしたいと思います。
 (写真:先日散歩で撮影した草花です・・黄色が鮮やかで、目に留まりました)
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宍粟市で娘たちと作業しました!

2009年08月24日 | 地域活動
 先週末の金曜日(21日)、娘(大学4回生、高校3年生)と宍粟市の被災された民家でボランティア作業に参加しました。
 16日に行った佐用町の被害の大きさやまだまだ作業の手が不足していること、そして高校生や大学生も作業に加わっていた話を娘たちに伝えたところ「機会があれば作業に参加したい」と二人から提案がありました。
 父親としては、日頃地域でのボランティアの経験があまりない娘二人にとって、被災した現地や被災された方々とふれあうことで何かを感じ取ってくれたら・・・という気持ちもあり参加日程を調整しましたが、あいにく21日以外の日は、いろいろ忙しく、三田市からのボランティアバスの運行がありませんでしたので、事前に宍粟市の災害ボランティアセンターに3名で参加する旨をお伝えし、マイカーで向かいました。
 宍粟市の災害ボランティアセンターで受付を済ませた後、当日参加された50名程度を班分けし、それぞれ作業を必要としている民家へ出向きました。
 私たちは、12名のグループで、一宮町三方で被災された民家で作業を行いました。
 この民家では、既に数日前から何人ものボランティアが入り込んで、作業場や住居の床下の泥出し作業を行っており、スコップや一輪車は既に現地に置いてありました。
 従って、私たちのグループの作業は、最後の後始末とも言える家の庭先においてある机類やロッカー類に付着した泥の洗い流しや民家周囲に堆積した泥の除去作業が中心でした。
 水での洗い流し作業とはいうものの、未だに水道水が復旧しておらず、近くに流れる川からポンプアップしたあちらこちらの道路が決壊しておりその影響もあるのでしょうか濁った川の水での洗い流し作業です。
 この民家は、直ぐ近くに流れている倉床川が氾濫し、民家の地盤レベルから約1.2mまで水に浸かったようです。壁には、水が上がった証拠が至るところに残されていました。
 近くの川の氾濫、そして家の中にまで川が流れている状況、停電、それも真夜中です。住民たちの恐怖感は図り知れないものがあります。
 佐用町に比べると宍粟市の災害現場は川沿いのあちらこちらに点在しており、報道も佐用町が中心のような気がします。
 でも、災害に合われた方の悲壮感は、佐用町も宍粟市の各集落も同じです。
 先日、佐用町で被災された高齢者が自殺したとの報道がありました。新居を構えたばかりで、将来を悲観したのでは?との記事だったと記憶しています。
 今、佐用町や宍粟市に元気になっていただこうと願いながら、多くの方がボランティアで活動しています。今回の報道は、本当に残念でなりません。
 今回の災害は避難のあり方等、多くの教訓を残しています。現在は被災された方々のケアやまちの復興が優先されていますが、落ち着く頃には、この教訓を生かした対策が急がれます。
 しかし、ハード面の整備のみに目を奪われがちですが、「人の命を一人でも落とさない」という点に力を注いで欲しいと思います。
 今回の災害は、人が想定する雨量を遥かに超えたものです。自然に立ち向かって二度と災害が出ないようにするのではなく、自然災害に遭うことを想定して人の行動はどうあるべきか?が問われているのではないでしょうか?
 (写真:付着した泥を流す娘らとボランティア参加者)
 
 
 
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佐用町災害ボランティアに参加しました

2009年08月17日 | 地域活動
 三田市社会福祉協議会(三田市ボランティア活動センター)からボランティアバスの運行が昨日、16日(日)にあり、私も参加させていただきました。行き先は、9日から10日にかけて300mm以上の大雨に見舞われ被災した佐用町です。
 参加者の中には、三田市の職員の姿も・・・最年少は、親子で参加している小学生もいました。
 三田市からの参加は総勢48名、佐用高校に設置された災害ボランティアセンターで受付を済ますと、被災された住民の支援ニーズカードに見合う人数のボランティアを数名~最大では20名近くをマッチングする作業がありました。
 このマッチング作業を終えて、被災された方のご自宅へスコップ、ゴムワイパーやバールなどの道具一式を一輪車に乗せて向かいます。
 午前中は男性ばかり5名のグループでの作業でした。このグループの中では、最年長ということでリーダーを仰せつかりました。
 主な作業は民家の駐車場に溜まった泥上げと道路上への搬出作業が中心で、午前11時30分に終了し、倉庫内をお借りして昼食休憩を取りました。この間に縁あって一緒のグループになったこともあり、簡単な自己紹介を行いました。
 尼崎市や加古川、明石市などから来られた県内の方ばかりでしたが、災害ボランティア活動するという申し出をしたら、ETC付きの社用車を社長が「乗ってけ!」て貸してくれた。という暖かい話も聞く事ができました。
 午後からは総勢15名体制(男子10名、女子5名)で日用雑貨を販売しているお店へ・・・・。
 泥水で浸かった商品が外に出され、店内はまるで田んぼを思わせる状況。
 それでも3時間ほどの短い作業でしたが、白い床タイルが見えるようになり、帰るころには、少しはお役に立てたかな?という気持ちになりましたが、生活が元に戻るには、まだまだ気の遠くなるような莫大な労力と時間がかかります。
 午後のグループには、京都府や滋賀県からも応援に駆けつけた親子の姿や大学生か高校生の女子の姿がありました。
 「最近の若い連中は!」とよく聞きますが、ボランティアの一員となって額に汗する姿を見るとなんだか日本の将来が明るく見えてきます。
 午後3時40分ごろには、ご家族の皆さんから冷えたお茶をいただき「ありがとうございました」との感謝のお言葉で体の疲れも少し楽になりましたが、被災された皆様が毎日、この泥との戦いに明け暮れているのかと思うと目頭が熱くなるものがあります。
 帰宅途中のバスの中では、午前中に作業されていた方がおっしゃていたことを思い浮かべていました。
 「泥上げなどのお手伝いをしてもほんの数時間、ほんの数日です。被災された方々が私の作業でどれだけ元気になるのか分かりません。でも、少しの時間でも手伝いたいのです」
 この方は、昨日から現地に入っておられた方です。
 また、尼崎市から単独で入られた方は、今日も佐用町で作業をされています。
 昨日は、人の温かさにふれた日でもありました。
 今日、私の体は、昨日の慣れない作業で体のあちらこちらが痛んでいますが、今週時間調整ができれば、今度は、娘二人と一緒に現地に入りたいと思っています。
 活動に参加された皆様、本当にお疲れ様でした!
 (写真:佐用高校に設置された災害ボランティアセンター:マッチング作業を待つ三田からのボランティアの方々)
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三田市の景観計画 ~地元説明会は9月に~ 

2009年08月15日 | 環境・都市計画
 10日(月)に景観審議会が開催されました。傍聴者は、報道関係者を除くと3名(うち、1名は田中議員)でした。
 さて、景観条例が、この6月議会に提案・可決されましたので、景観審議会は初回となります。
 担当課は都市計画課、この景観審議会を経て素案をつくり、市民(地元)説明を9月中に実施した後、第2回目となる景観審議会を10月に開催し景観計画の案をまとめ上げるタイトなスケジュールとなっています。
 景観審議会では、景観審議会の各委員さんからは、市民説明を行う際は、「この計画が何故必要かをビジュアル的な要素をふんだんに入れて説明してほしい」と指摘を受けていました。
 行政マンは、当然ながら法的な根拠で動くことが第1です。
 住民説明会についても、得てして法令等を遵守するあまり、難解な説明に陥り易いものです。
 しかしながら、ふだんから数字や用語に慣れ親しんでいる職員はともかく、これまで都市計画や景観等のまちづくりについて「あまり関係ない」と思い込んでいる住民に対しては、数字や法律用語の羅列だけでは、心に響きません。
 この景観計画で住環境がこのように維持されるとか。市民の皆様が外壁等の塗り替え工事を考えておられるのであれば、この点に配慮して欲しいなど。想定されうる実例を挙げて、職員の計画に対する熱い思いを述べて欲しいと思います。
 審議会では、職員からこれらの要素を取り入れて地元説明へ臨みたいと説明されていましたので、説明会を楽しみにしています。
 まずは、新市街地の景観からということで、三田駅前市街地、友が丘、フラワータウン、ウッディタウン、カルチャータウン、つつじヶ丘、テクノパークの7地区から計画が立てられます。
 関係市民の皆さん、景観計画は、今の景観を維持・保全しようとする大切な礎になるものです。まったく「関係ない」内容ではありません。
 皆様の地域のまちづくりを考えるためにも、今回の説明会が良いきっかけとなるのではないかと思いますので、ぜひ説明会に足をお運びください。
 (写真:我が家の緑のカーテン:ぶら下がっているゴーヤの実が分かりますか?)
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ダンボールコンポスト2号早くも降板

2009年08月14日 | 趣味その他
 7月から再開したダンボールコンポスト2号ですが、ダンボール自体が薄く、早くもダンボールの角からコンポストの中身が漏れ出してきました。
 そこで、近くのスーパーマーケットで厚めのダンボールを物色して無料で持ち帰り、昨日新しいダンボール(3号)に移し替えました。
 ダンボールコンポストに挑戦されている皆様、コンポスト容器を選定される場合は、みかん箱など頑丈なものを選定してください。
 我が家の生ごみは、最近近所の畑で採れる野菜に応じた「くず」が多い様です。
 キュウリ、ナスビ、ジャガイモ、ピーマンが中心で、庭先で緑のカーテンに挑戦し、ようやく実がなりだしたゴーヤも仲間に入ってきました。
 
 話は変りますが、今朝車で移動中、交差点に黒色の車が止まっておりました。何か白い物体がチラッと落ちたかな?と思い、その車が信号が変り異動した後には、レジ袋に入れられたごみが残っていました。
 確かに、自分の車の中は美しいのかも知れません。その代わり、公共の場を汚してしまっています。自分の車の中には、不用物をひと時でも置いておくのは我慢ならないのでしょうか?
 この時イーデス・ハンソン氏の話を思い出しました。
 「人は、自分の家の前でポイ捨てはしない。また、自宅近くのバス停でもそうである。しかし、家から遠く離れるほど、ポイ捨てする心理が働くのである。私の家の近所にもこのような方が多く来られている。」
 自然がいっぱいだと思い山奥の村に引っ越してきたハンソンさんですが、心無いハイカーが、周囲の環境を汚しているというのです。飲み水などは水道水ではなく山で浄化された水を使っていますので、食べ残しの弁当など、あちらこちらに捨てられるのは生死に関わってきます。
 
 ポイ捨てする方は、相手を慮ることができない方なのでしょう。自分の家の前にごみをポイ捨てされたら誰も嫌な気持ちになりますよね。そういえば、近所のバス停留所も気が付けば、破れた傘を放置し、その中にタバコの空き箱や空き缶が入れられておりごみ箱代わりになっていました。ご近所の方が見かねてバス停を掃除することも度々です。
 一つのポイ捨て現象で世の中を見ることはできませんが、「自分だけよければ・・・」という感覚の持ち主が増えてきてはいませんか。
 (写真:ダンボールのコーナーが破れました)
 
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活動報告書 ~わらじ通信第3号をお配りしています~

2009年08月12日 | 地域活動
 私の活動報告である「わらじ通信」第3号が仕上がりました。
 8月初めからウッディタウンを中心にお配りしています。
 今回号は、バス停留所の件や議会改革プロジェクトチーム、そして6月議会での代表質問、視察報告等の紙面内容となりました。
 わらじ通信を読んでいただいた皆様のご意見等をお待ちしています。

 なお、8月29日(日)には、ゆりのき台コミュニティハウスで「わらじミーティング」を午後2時より開催いたします。
 わらじミーティングは、地域での話題、身近なまちづくりに関すること等、皆さんとの意見交換の場です、お気軽にお越しくださると嬉しいです。
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エイサーと平和

2009年08月11日 | 地域活動
 先週末の土曜日(8日)に知人がフラワータウン(フローラ88)の夏祭りに出演するとの連絡がありましたので出向きました。
 知人のSさんは、沖縄県出身で、最近知り合いになった方とグループを結成し日頃の練習成果をようやく発表できるまでになったとのことです。
 舞台では、写真のようにメンバーの子どもたちも一緒になって、勇壮な衣装に身を包んで、エイサーを披露、最後に沖縄では定番のカチャーシで大いに盛り上がりました。
 私の妻は、沖縄の久米島出身で私も奄美大島生まれということもあり、南国の血が騒ぎ、時折阪神間で開催される沖縄のイベントに参加させていただいています。
 この日もエイサーやカチャーシの独特のリズムに心の奥で何か蘇るものがありました。

 さて、沖縄と言えば、太平洋戦争では、多くの命が奪われた戦場となったところです。
 その日の午後から開催された「平和を考える市民のつどい」では、「納棺夫日記」の著者である青木新門氏の戦中体験の話に心打たれるものがありました。
 納棺夫日記にも書かれていますが、満州での妹と弟の死と急ごしらえの火葬場での火葬体験の話。
 納棺夫として生活していた頃、親戚や友人からの差別的な体験や現代の死を遠ざける生き方など、まさに青木氏から伝わってくるものは「生と死の境界」をどうのように感じ取るか!を考えらされる講話だったと思います。
 間もなく終戦記念日を迎えますが、戦争でいやおうなく命を奪われた方々の無念に思いを馳せてしまいます。
 近年、不況の影響もあって自殺者が増加傾向にあります。
 青木氏の演題にもなっていましたが、命をつむいで今この世に生を受けたと考えるとき、改めて自分の命は自分だけのものではないことが、ぼんやりですが理解できるのではないでしょうか。 
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地域の防災力について

2009年08月08日 | 地域活動
 2週間ほど前になりますが、三田市主催の「ぼうさい市民フォーラムin三田」に参加しました。市民の関心も高く約150名が参加していました。
 当日は2名の講師の方から貴重なお話をお伺いすることができましたが、特に2部で講演された群馬大学大学院の片田敏孝教授の話には、地域の防災力のあり方を原点から考えらされた内容でした。
 確か1月に実施された三田市の総合防災訓練でも書きましたが、私は、地域の防災力の低下が気になっていましたので、今回の片田先生のお話は、胸にしみるものでした。
 その概要ですが、
 ①行政は、これまでの災害(水害が中心です)を教訓にして、河川の氾濫を100年程度の確立で降る大雨に対応できるよう土木の技術力を高めてきた。
 ②その結果、河川の氾濫は抑えられ、床下や床上浸水の被害頻度が少なくなった。
 ③これと並行して、災害の発生頻度の低下とともに住民の防災意識が低下、住民は自らの判断ではなく、行政側が発する避難勧告でしか動きがとれない体質となっている。
 というものです。
 事例としては、床上まで水が上がってきているのにある地域の住民は、行政が逃げよ!と指示しないから家にいた。という極端な事象を紹介されていましたが、これは、「災害から守ってくれるのは行政」という考えが当然のようになっている事例の一つです。
 私たちの考えの中には、「川から遠いから安心」だとか、「何かあったら直ぐ行政が助けてくれる」という考えがはびこっていないでしょうか?
 先生は、最後に住民自信の自助力、共助力、そして公助力を身につけ、行政に委ね過ぎずに、災害に立ち向かう社会の構築を目指す必要がある。と締めくくりました。
 私の住む地域で憂うことは、まさにこの自助力や共助力なのです。
 阪神淡路大震災を経験してきた住民の方が多い地域であると思うのですが、万が一の際、自分自身が何処に避難すればいいのかさえ理解出来ていない住民が多いと思います。
 また、独居老人など人の手助けなしでは、避難が遅れてしまう方が、高齢化が進むこれから先に多く出てくるのではないかと思います。
 三田市は要援護者支援制度をスタートさせていますが、やはり地域の共助力が低下している現在では、あまり期待できそうにありません。
 地域の防災意識の高まりとともに、要援護者支援制度がなくても地域の誰かが助けに来てくれる安心して生活のできる社会(地域)にしたいものです。
 (写真:上内神の感神社境内)

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