三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

あ~兵庫県三田市広野駅 ~利用者の温かみを感じる駅~

2024年10月08日 | 幸せになるための政治

昨週に続いて、10月8日(火)の朝も広野駅でご挨拶をさせていただきました。
通勤時間帯の電車は、10分に1本程度大阪行きの電車が入ってきます。
でも、新三田駅や三田駅と違って、駅の利用者は、時間的なゆとりがあるのか、あまり走っている方を見かけません。
少し、気持ちに余裕がある方は、私に話しかけてくれる方が結構おられます。

今朝は、9月22日~28日にかけての市議会議員選挙に関連するお話をされる方が多い感じですが、中には「クラブ活動の地域移行について相談に乗っていただきたい」と相談を持ち掛けられる方もおられます。
もちろん、ご相談は気軽にお引き受けさせていただいておりますので、お名刺をお渡しました。
名刺も3期目で残った名刺、今回4期目の仕事をさせていただきますので、名刺も新しくしたいと思います。
駅利用者のある方は、道路整備について、また、兵庫県知事に〇〇さん立候補するらしいね!応援しなくては!とある女性の利用者。今の兵庫県政に新しい風を吹き込んでほしい!と言いながら電車ホームへ去って行きました。

駅では、自家用車での送迎も目立ちます。
間もなく、臨月を迎えるであろう車での送迎では、夫が車を運転し、下車すると妻が運転席へ。妻への配慮なことは一目両全です。
また、シニアのご夫婦は、下車すると妻に手を振っている夫の姿が実にかわいらしく思います。
有馬高校へ通っている生徒さんもいつも爽やかな笑顔で挨拶してくれていて、こちらがいつも笑顔にさせられます。
様々な、朝の送迎風景、そして駅の利用者の姿を観ながら、市民のために頑張らねば!と思う私がいます。

市民の皆様のお一人お一人には、なかなか寄り添うことができませんが、次の4年も頑張って仕事させていただきます!
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三田市議会議員選挙も最終日 ~投票所に足をお運びください~

2024年09月28日 | 幸せになるための政治

三田市議会議員選挙も終盤も終盤、7日目を迎えました。
昨日は、本庄を通り須磨田地域、藍本地域、大川瀬やつつじが丘を回り、肥後の政策を訴えてきました。
2020年の3期目当選は、市長選に落選後5年ぶりの選挙であり、実際に開票が進み、1800票近く支持を頂いたことに驚きを隠せませんでした。
今回の選挙は、ウッディタウン内から13名の方が立候補しており、市民の投票先の動きが全く読めない状況です。
しかし、私は、4年間、市政報告(J・repo)を13回発行し、市民の方々に肥後の活動をお知らせしています。
また、地域の課題や三田市の課題解決のために、皆様の声を聴き、それを三田市政に一般質問と言う形で反映してきましたので、実績をアピールしています。
本日、厳しい選挙戦の中にあって、私の7つの政策とさらに、「三田の魅力をUPさせること」「都市間競争に勝つこと」が、三田市の未来に必要である。ことも付け加えながら、本日市民の皆様に訴えてマイクを納めたいと思います。
私は、無所属で戦っています。無所属で戦っている候補者の方々は、組織もありませんし、本当に「しんどい」選挙をしています。
市民の皆様、選挙公報や候補者の声に耳を傾けていただき、是非とも投票所に足を運んでいけたら幸いです。
組織がある方だけが当選するまちでは、より良い政策を築くことはできません!
投票率を上げ、無所属議員の方々を押し上げ、未来の三田を託してください!

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感動の毎日

2024年09月24日 | 幸せになるための政治


24日の今日は、朝の立礼から始まりました。
中国自動車道手前の池尻交差点に立ち、立礼をさせていただきました。
その後、けやき台3丁目~イオン三田ウッディタウン店前の交差点で演説。
三田市に引っ越ししてからの26年間、地域活動してきたこと、そして私の次の4年間の公約を訴えました。
①新市民病院が令和10年に設置されることによるアクセスの充実
②免許を返納しても買い物や文化施設に移動できる仕組みづくり
③来るべき南海トラフ大地震に備え、三田市も被災地(者)の受け皿の準備を進めること
④学校・家庭・地域が一体となった子育てのまちにすること
⑤歴史・文化等の資源を活かした観光事業の拡大
⑥若者の発案を生かせるまちに
⑦オーガニック農業の推進

阪神間に近接する立地を活かした政策は、③⑤⑦となります。きっと、阪神間の各市との差別化ができる政策となります。
他都市でやっていない事業は、三田市が取り組むまでに時間がかかっているのが実態です。
オーガニック農業についてもまだまだ進んでいないばかりか、農業者からするとオーガニック農業をすることは「生産性があがらない」「邪魔くさい」としか言いようがないのかも知れません。体にやさしい、環境に良いことは頭では理解できますが、実益面から拒否反応があります。
しかしながら、今のままの農業がベストなんだろか?と考えてしまいます。
農業は、原点に立ち返る必要はないのでしょうか。
未来の子供たちのこと、健康のこと、生物多様性のこと、最終的には、地球の環境にまで影響を及ぼしていることを考えるとオーガニック農業の推進は、今取り組まなければならない課題であると考えます。

さて、本日の夕方にもイオン三田ウッディタウン店前で演説をしたとき、6年前まで三田エイサー喜心伝で一緒に演舞をしていた仲間(当時は、小学生)が、私の演説を聴きに来てくれました。聞けば、もう選挙権のある18歳だということです。
本人曰く「18歳になり、初めて投票する人が目の前にいて感激!」
この言葉を聞いて、こちらが感動してしまいました。
また、5歳くらいの女の子が父親ときており、「頑張って!」と言われた時に、子どもや三田の未来は、私たち大人にかかっていると改めて感じています。
女の子に「頑張るね!」と約束させていただきました。
特にウッディタウンでは、多くの候補者が凌ぎを削っています。激戦としか言いようがありませんが、感動の日々が、私を元気にさせてくれています。
明日も頑張ります!

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三田市議会議員選挙ポスター掲示は1番!

2024年09月23日 | 幸せになるための政治

昨日、三田市議会議員選挙の告示日を迎えました。
ひご陣営では、スタッフ2名が三田市役所へ立候補の届け出を行い、なんと、抽選で選挙ポスターの掲示番号1番を引き当てました!
事務所で待機していた後援会長始め、スタッフは「おー!!!!」と驚きの声が上がり、これまでも「ゴッドハンド」と異名を持つY氏・O氏コンビニ脱帽!
早速、三田西陵高校前の掲示板に貼り出しをさせていただきました。
肥後の選挙では、毎回近くの駒ヶ谷運動公園の広場で選挙戦スタートの集会を開かせていただいています。
毎回来賓で挨拶していただいている、尼崎市議会議員である須田和さん、前県会議員であった中島かおりさんに有難いお言葉を頂きました。
また、今回は、前後援会長と現後援会長に激励の言葉、さらに学園の方からも応援メッセージをいただきました。
応援者にもう一人、沖縄舞踊や沖縄音楽で知り合いとなったA・Tさんにも応援メッセージをいただきました。
とっても直な彼女は、肥後の大好きところなどを皆さんのまえで披露、集まった支援者の方々に笑顔と感動を与えて下さいました。
肥後の周りには、まだまだ、沢山の方々が応援してくれている、支えて下さっていることに改めて実感しました。
市民の幸せづくりのためにも勝ち抜かなければなりません。
市民の皆様、応援・ご支援を宜しくお願いします!
選挙も2日目に突入。三田の未来のための政策を訴え続けます。
サー、今日も頑張るぞー!
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はっぴーの家で映画「かば」上映会~認知症進行の恩師と再会~

2024年09月15日 | 幸せになるための政治

9月14日(土)午後2時からの上映に間に合うように県立尼崎工業高校時代の友人2人と新長田駅で待ち合わせをした。
切っ掛けは、息子さんからの電話である。
3年ほど前に認知症が進行し、新長田駅に近い「はっぴーの家ろっけん」に入所している父「三上 裕」氏の知人や友人、教え子を招いて、映画「かば」の上映会を開催したい。とのことであった。
4年前の三田市議会議員選挙告示日にも高校の恩師であった三上先生は、出発式にマイクを握り、「肥後の高校時代の思い出」などを語り、集まった地域の方々に肥後の人間性を訴えて下さっていたのが、昨日のように蘇る。
なぜ、ハッピーの家で映画?なの。とブログを読まれている方は、不思議に思うかもしれない。
息子さんの話では、この映画を観た時に父の姿が重なり、父も現役時代に確か「熱血先生」だった。
認知症がさらに進行してきている「今」関係者の皆さんとこの映画を鑑賞し、父と関係者と同じ時間を過ごさせてあげたい。との思いから、映画監督である川本監督に相談して実現したとのこと。
映画の内容は、大阪西成区の中学校で起こった実話を題材として教師の蒲先生を中心とした子供たちと教員の物語であった。1980年代の実話。
この映画の内容と私たち県立尼崎工業高校に通っていた3年間(1973年4月~1976年3月)が重なって見える。あの頃の私たちの時代も高度経済成長期に突入していた時代ではあったが、差別、貧困は当たり前の時代であり、当時の尼崎工業高校も「ごんたくれ」が集まった学校であった。
そんな中、3年間私たちのクラス担任の先生は、中田先生と三上(当時深見)先生であった。
クラスメイトには、在日朝鮮、非差別部落出身、沖縄県出身、貧困家庭の生徒もおり、3年間の先生の姿は、生徒の家族とのお付き合いが中心だったと奥様が言っておられた。
大工の父は、毎日焼酎をあおり、飲んだくれの父と息子(私)はいつも口喧嘩の日々を過ごしていた。そんな、我が家にもことある毎に家庭訪問してくださっていた。
高校の授業料の奨学金も申請手続き奨めてくれたのも先生方である。
3年間を思い出せば切りがない。今、ここに私が存在するのも、先生のお陰だと思う。
上映会終了後は、先生を囲んで参加者全員の記念撮影。そして県立小田高校卒業の生徒さんや同僚の方々と記念撮影した後、尼工卒業生3人は先生の手を握りしめ「先生〇〇だよ!」と・・・。私も何も語ることができない先生の目を見つめ、「肥後です!先生まだまだ、肥後は頑張っているよ!」と報告。

そう言えば、先生はいつも「〇〇頑張れ!」が口癖だったよな!と友人。
施設の職員さんも、まだ言葉が出ていた3年前は、入所していた方々に「頑張れ!」が口癖で有名だったと・・・。
先生の椅子には、道理で「がんばれ!」のカードが置いてあったんだと納得。

息子さん2人と奥様と先生を囲み、高校時代の思い出話に花を咲かせ帰路につきました。
長いようで短い半日でした。
先生に合わせて下さった息子さんらに感謝します。
それにしてもハッピーの家の職員さんも素敵な方々ばかりでした。このような雰囲気の中で暮らせるのは、利用者さんも幸せです。




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三田市庁舎1階原爆写真展

2024年08月08日 | 幸せになるための政治
 8月6日は、広島に原爆が投下されてから79年の日となりました。
 昨日、議会が終わり市役所1階に降りると、ロビーで原爆写真展が開催されていました。
 そういえば、昨年も開催されており、展示物を見た記憶があります。
 展示物は、毎年同じ内容ですが、いつ見ても心打たれる写真が展示されています。

 ご覧の写真は、説明書きにもあるように、幼児をおぶった小学生が、火葬されている現場を見つめている写真です。
 見つめている先には、背中の弟をこれから焼かなければならない、喪失感が現れています。
(先日の投稿では、おそらく両親が焼かれていると表現しましたが、背中の弟でした。お詫びして訂正いたします)
 この1枚の写真からも、大量破壊兵器(原爆)の酷さを知ることができます。


 この写真は、三田市立学園小学校の児童が書いた新聞です。
 鶉野飛行場から沖縄に向けて特攻隊が飛び立ったことを調べた記事です。
 特攻隊については、これまで数々の映画、物語などでも描かれており、いまさら述べることはありませんが、青年が「お国のため」と言いながら、命を散らして行った現実を私たちは、次の世代に継承しなければなりません。
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三田市内でクリニックを起こしたある医師の宇宙観 ~佐埜先生を偲んで~

2024年07月29日 | 幸せになるための政治
 私が、3期目(2020年)の市議会議員選挙を目指すまでの約5年間、広野と本庄地区の境にある「医療法人あおぞら会」に勤務していました。
 2015年7月の三田市長選挙に敗れた私は、あおぞらクリニックを受診。それも健康診断でのことでした。
 今は、亡き、医療法人あおぞら会(あおぞらクリニック)の創設者(医師)であった佐埜勇先生から、「ここで働いてみないか」の有難いお言葉をかけられたことがきっかけです。
 最初は、医療業界は未知の世界であり、就職を躊躇する私を、佐埜先生は「仕事は、誰でもできる。君には、クリニック事務の改善をお願いしたい。最初は見習いで・・」とのお言葉に背中を押され、「何とかなるか!60歳前で他の仕事に再就職となると探し回るのも大変だ!」の気持ちもあり、医療法人あおぞら会でお世話になることを決めました。

 就任してからの仕事の話は横に置きますが、佐埜先生の宇宙観というか、人間離れした人間性に圧倒される日々でした。
 佐埜先生は、クリニックを開業するまで大病院で内科医として勤務、詳しくは知りませんが、救急医療にも従事し、多くの方の命を救ってきたようです。
 クリニックでは、月に1度「ガマの穂セミナー」を開催。いろんなテーマで命について語っていました。セミナーには、ご近所の方を始め、患者さんらが、聴きに来られます。
 もちろんセミナー参加料は無料、来ていただいた方には、甘いお菓子とお茶が必ず振舞われました。
 ガマの穂セミナーでは、そんな、先生が、思わず涙し、声を詰まらせる場面を幾度か見ることがありました。それは、決まって救えなかった命を思い出している場面でした。
 
 あおぞらクリニックでは、入院できるベッドもありました。19床です。実は、私もここで勤務する前には、2週間肺炎で入院していたことがあります。
 肺炎に罹り、かなり重症化しており、緊急入院を勧められました。
 退院までの2週間は、佐埜先生を始め看護師スタッフの方々にお世話になりました。その時点では、このクリニックにまさか勤務するとは、当然思っていませんでしたが・・・。
 
 先生の宇宙観の話を奨めます。その一端を語ると、毎月クリニック事務職・看護師やデイサービスの介護職員の方々へ研修を開催していました。
 ①あなたは、どのように死んでいきたいか ②生きるとは何か、どう生きていきたいか などなど。結構簡単なようで非常に難しいテーマです。研修でこのようなテーマはほぼ扱いません。当然、答えは、全員違います。きれいごとを語る場面もあれば、本音で涙する場面も出てきます。
 先生は、研修を通じて何を伝えたかったのでしょう。おそらく、人間はいつか死ぬ、死を見つめて正しく、楽しく生きよ!と言いたかったんだと思います。

 事務方でいた私は、佐埜先生の優しさも常に見ることがありました。
 ご高齢者(患者様)への対応、障害をお持ちの対応には、計り知れぬ愛情あふれる言葉で接していたように思います。
 あおぞらクリニックを離れ、3期目となる市議に再挑戦させていただき、ちょうど市議3期目の1年を経過しようとしていた2021年9月に「佐埜先生死す」の訃報が聞こえてきます。「まさか!あの元気だった佐埜先生が?」の訃報は、人としての目標にもなっていただけに非常にショックでした。

 そんな、佐埜勇先生が、毎年、クリスマスに送ってくれた「言葉」を今も大切にしまっています。
 タイトルには、「変わろう自分 変えよう世界」とあります。このタイトルも十分宇宙感満載ですが…。
 ・生きていて良かった道を歩もう ・生きていて嬉しい道を歩もう ・生きていて楽しい道を歩もう ・生きていて喜んでもらえる道を歩もう ・生きていて胸を張れる道を歩もう 「与えられた素晴らしい人生を生き切ろう 自分を信じて変革し続ける者に天は味方する」
 私の人生の前半の仕事は、市の職員、後半は市会議員、医療・介護、また市議として働かせていただきました。
 先生の宇宙観と言うべきこれらの言葉を胸にこれからも一生懸命働き、生きていきたいと思っています。

 ~今は亡き佐埜勇先生を偲んで実名を掲げブログにしたためました。佐埜勇先生は、多くの患者様にとっては、その存在自体が「生きる力」となっていたように感じます。佐埜先生には、感謝しかありません。~
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福祉施設のあり方「脳天ハイマー」を観劇 

2024年03月03日 | 幸せになるための政治
寒気が戻ってきた2日の18時に三田市内の知人らと「脳天ハイマー」と言う劇を観に行きました。
場所は、大阪堺筋線、日本橋近くの「インディペンデントシアター2nd」と言うミニシアターです。
この劇のモチーフは、鹿児島市に実際に存在する「いろ葉」という介護施設です。
この施設での理念は、「一人一人の生き方、活き方、逝き方に寄り添う」であり、現実に起こった施設内での出来事が劇で巧みに演出されていました。
ネタばれの様ですが、少し流れを説明します。


施設の近くの海で自殺しようとしていた男性と施設で働く職員との出会いから、自殺しようとしていた男性は、いつしかこの介護施設「あお葉」を手伝うようになりました。
施設内には、今にも他界しそうな女性(認知症)に医師、女性の夫、その子供が寄り添っていますが、奇跡的に回復。
しかし、夫は既に末期がんを患っており、この施設でターミナルを迎えることを決めます。
しかし、高校生である息子は、「もっと良い病院へ行って欲しい」と父の決断を批判します。
施設内には、入所している高齢男性、女性がおり、それぞれ施設の職員とのやり取りの中で自分らしく生きている姿がそこにはありました。
施設内で意識が薄れる夫、認知症の妻、息子が寄り添う場面。ついに夫は最後を迎えます。逝ったことを悟った妻も号泣します。
場面は変わり、夫の若い頃にそっくりな子供と母親の場面。認知症の母親は子どもを見て夫と勘違いしています。
自殺しようとして施設を手伝うようになった男性も、この施設の職員の暖かさを知り、自分自身の成長とともに施設を出て自分のやりたい仕事をすることを決断します。
また、息子も父が何故、この施設で最後を迎える選択をしたのかを知ることになり、息子も大人の1人として成長していく。と言うストーリーでした。

人は、いつか認知症になったり、認知症にならなくても体の機能が衰えます。
改めて、介護や看護の仕事は、その人が幸せに生きるための大切な仕事であることは間違いありません。
ターミナルな仕事をする方々が、充実した報酬を得ることが、介護される方々の幸せに繋がると思います。
自分の最後を何処でどう迎えるのか。なかなか今から考えられませんが・・・・。素敵な死に方をしたいものです。


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田村克也への手紙~リアクションが必要では~

2024年01月22日 | 幸せになるための政治
12月に「田村克也市長への手紙」の制度について質問しました。
質問趣旨は以下のとおりです。
〇市長は、市民から広く意見を聞くとして「田村克也市長への手紙」を10月より開始。
〇手紙には、氏名や住所を明記する必要はないが、逆に手紙に対する個別の回答はしない。
上記のことについて、市民から「提案した手紙に対して何ら回答がないのは、市民は言いっぱなし状態であり、何らかの手ごたえ(採用・不採用・答えない)などのリアクションが欲しい」との声が聞こえていました。

そこで、手紙を読んで即時取り組まれた内容と手紙への回答は全て明らかにできないとは承知しているが、ホームページなどを活用して手紙の内容やその結果をカテゴリーで分けるなど整理して公開できないか。と質しました。

田村市長がこの質問にお応えになり、
まず、即刻取り組んだ内容は、障害者の関連手続き、施設の管理に関する事、植栽管理などのあり方に関する内容があったこと。
さらに内容によっては即時対応が出来ないものも多くある。手紙の内容が様々であり全容を公開するとなると手紙を出された市民にも影響があると考えられる。
しかしながら、その内容が確認できているものについては、カテゴリーに分け、その件数をホームページで公開し、お知らせしたい。と答弁がありました。

何らかの形で市民が提案したことに関しては、リアクションが必要ではないでしょうか。
名前も書かない、住所も書かなくてよい。としたのは、市長です。だからと言って市長がどのように対応したのかが分からなければ、この制度は続きません。
市民から市長が意見を徴取するツールの一つですが、信頼を構築するためにも、手紙を整理して公開するのが得策ではないでしょうか。

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5人目の孫みたい!Mちゃんよろしく!

2023年12月28日 | 幸せになるための政治
静岡にいる娘(長女)が孫と数日前に帰省しました。
28日の夕方、娘の友人が出産しけやき台の両親の家に里帰りしているとのことで娘を車で送ることになりました。
実は、このご友人、私も昔から応援していた1人。
とにかくダンスが好きな方で、前向きな彼女をいつしか私も心から応援!幾度かの舞台発表を時折観に行ってました。
そんな彼女が仕事に選んだのは、あの関西で有名なアミューズメントパークでの仕事でした。
そこで出会った方と結婚し、第1子を1か月前に出産!
なんと実家から赤ちゃんと出てきてくれました!
「抱っこしてあげてください!」
娘に撮影してもらったのが、この写真です。

後で、娘の友人から、じーじぃと呼ばせるよ!と・・・・。
こちらも大歓迎!5番目の孫Mちゃんよろしく!
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