三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

母が他界しました

2021年07月13日 | 走る
 令和3年7月6日に母タツコが他界しました。姉、妹、そして私に見守られ、90歳5か月の人生に幕を降ろしました。
 母は、鹿児島県奄美大島で生まれ、指宿市出身の父と出逢い、4人の子に恵まれ、父が築港の仕事をしていた関係で、与論島、指宿、坊津町と港造りの建設会社で数年に一度引っ越しを余儀なくされる生活をしておりました。
 そのような中で私たち兄弟姉妹も小学校や中学校の転校経験をしました。
 建設会社でこのまま居ても、子育てが出来ないと判断した母は、既に尼崎に出ていた親戚を頼って夜汽車に乗り込みました。
 母の強さが出た場面であり、私が九州ではなく関西で住むきっかけになったのが母の行動でした。
 両親は、関西で生きる選択をし、私たちが成人するまで必死に働いていたと思います。
 不景気で父の仕事(当時大工さん)が減ったときは、子どもらの前で大喧嘩していたのを記憶しています。
 決して裕福な家庭ではなく、高校を卒業して働くことを決めていた私ですが、そのような家庭の実情を見ていたからだと思います。
 母に教えられたことは、数え切れないくらいあります。中でも「自分の生き方は自分で決めなさい」と教えられたと思います。
 また、この母の行動がなければ、妻や友人との出会いや尼崎市役所での仕事、現在の三田市との関わりはありません。
 そんな母をこの半年間の間、兄弟姉妹で面倒診ることができたことは、私たち兄弟姉妹も幸せでした。
 母タツコは、一時三田にも住んでおり、ゆりのき台の皆様にも大変お世話になりました。
 また、尼崎市内の奄美大島の県人会の方々とも仲良くしていただきました。

 母の死に顔は、大変若く感じられ微笑んでいるかのようでした。母も悔いのない人生だったに違いありません。
 母と関係していただいた皆様、本当に有難うございました。
 

 
 

コメント (1)
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