昨日5月27日(水)の午後1時~開催された日経BP社主催の新・公民連携シンポジウム「地方創生・自治体会議」に参加しましたので、簡単に報告します。
氏は、グラフを示しなが、未だに大東京の転入超過(1年で10万人超え)の状況が続いていること、しかしながら、地方府県から転出している人が子供をたくさん産んでくれるのなら良いが、他府県よりも特殊出生率がかなり悪く、人口減少の要因ともなっている。
ここまでは、地方消滅論で論じられてきたことです。
では、地方創生の目指す方向性は何か。このままでは、高齢化率が40%、マイナス成長に。中山間地域で地域での生活が困難になる。地方都市では、人口流出が止まらず。東京圏でも高齢化が進展し活力の低下が見られるようになるとのシナリオ。
これに歯止めをかけ、上記の悪影響をなくして行くと言うのが、地方創生の考えです。
シンポジウムの中で奇しくも、浜松市長が「東京圏への人口流入はまさに国の仕事である」と言っていたように、いち地方が人口減少対策に頑張ってもあそこまで肥大化した東京へ移転するのを止めましょうというのは、難しい問題です。
経済の中心を東京に置きそして政府、官庁もまた東京に置いてしまったのが、今となっては、仇となっている気がします。
少なくともそれこそ日本列島改造論みたいな何かをしないとこの流れは収まらないと思います。昔は、各省庁を何処かの都市に置くとの議論もありました。今でも危機管理のためにそうすべきではないかと思います。
東京へ投じられたインフラは、相当なものです。道路網・ビルディング、特に鉄軌道にさえ乗れば、ほとんど何処にでも行けるような仕組みが出来上がっています。
さて、少し疑問がわきます。特殊出生率が上がってきても人口減少が緩やかになるのは、30年後先との説明です。戦後のベビーブームは30年サイクルで回っていましたが、ついに3サイクル目のブームは来なかった第2次ベビーブームが昭和46年~昭和49年にかけて、よって平成13年~平成16年にかけてと言うことになります。
政府は、10年も前のことで今慌てている。2008年から既に人口減少が始まっています。この人口減少さえ推計で分かっていたはずです。地方創生をやるのなら、第3次ベビーブームが来ないな?と思った平成17年には、地方創生戦略が出来ていたのではないかと思います。したがって、国は10年の政策的なロスをしているのではないかとも感じます。
話は、変わって、浜松市鈴木市長から貴重なご意見を聞くことができました。また、パネラーの熊本市 市長政策総室長 古庄氏、岡山県真庭市 総合政策部長吉永氏、公益財団法人日本生産性本部 公共政策部長澤田氏、大和リース㈱ 代表取締役社長 森田氏の第一線で活躍しているそれぞれの方からも貴重なご意見や体験を聞くことができました。
浜松市は、合併し人口80万人都市となっているが、他の政令都市とは異なり、合併前の町の高齢化率・過疎化が進展してきている市であること。DIDと言われている人口集中地区の面積割合もわずか5.6%で指定都市平均の41%に届かないような市であること。
鈴木市長は、「臨時財政対策債は、なるべく使わないようにしている」「財源手当てされるからと言ってこれを使うのは公債費を増やしているのと同じ」まさに、私がずーと思っていたことをさらりと言う方でもありました。
しかし、なかなか、臨時財政対策債を使わずに凌げる市は少ないと思いますが、浜松市では、職員数削減をはじめとする行革、外郭団体の改革、税収の確保対策、市債残高の削減などで財政改善していました。
さらに公共資産のFM(ファシリティーマネジメント)による公共施設の活用なども当たり前のように取り組んでいます。
公民連携で言えば、産業イノベーション構想、ものづくり特区、海外ビジネス支援、ベンチャー企業への支援や協議会の設立など矢継ぎ早に地方が元気になる取り組みを講じてきています。
シティプロモーションでは、公と民の連携で知恵とアイディアで地方を蘇らせたい。と締めくくりました。
熊本市の取り組み、真庭市の取り組みも地方の持っている潜在的な資源を活用しているのが特徴です。また、真庭市の吉永部長の話では、地域資源はものだけではなく、人も資源。との話は、ごもっとも地域に埋もれている人材資源も大切な要素です。
まずは、地域の人がやる気が出て来るかがポイントのように感じます。
三田市も阪神間近郊にありながら阪神間の観光客を上手く呼び込めていないと感じています。
三田市のシティーセールスの戦略では、アクションプランを描いてはいますが、三田を好きになってくれる「ときめいてくれる」プランなのかどうかを再検証する必要があると思います。
熊本市、真庭市も即刻今のように地域資源を活用できるようになったわけではありません。自分のまちの強みと弱みを知り、まちを愛する人、事業者の方々と真剣になって膝を交えて戦略を練ったことが、今生きてきています。
また、身の丈にあった戦略を!とのご助言もいただきました。
三田市もまた、これからの人口減少、少子高齢化社会への突入、今元気だからこそやっておかなければならないことがあるのだと思います。
氏は、グラフを示しなが、未だに大東京の転入超過(1年で10万人超え)の状況が続いていること、しかしながら、地方府県から転出している人が子供をたくさん産んでくれるのなら良いが、他府県よりも特殊出生率がかなり悪く、人口減少の要因ともなっている。
ここまでは、地方消滅論で論じられてきたことです。
では、地方創生の目指す方向性は何か。このままでは、高齢化率が40%、マイナス成長に。中山間地域で地域での生活が困難になる。地方都市では、人口流出が止まらず。東京圏でも高齢化が進展し活力の低下が見られるようになるとのシナリオ。
これに歯止めをかけ、上記の悪影響をなくして行くと言うのが、地方創生の考えです。
シンポジウムの中で奇しくも、浜松市長が「東京圏への人口流入はまさに国の仕事である」と言っていたように、いち地方が人口減少対策に頑張ってもあそこまで肥大化した東京へ移転するのを止めましょうというのは、難しい問題です。
経済の中心を東京に置きそして政府、官庁もまた東京に置いてしまったのが、今となっては、仇となっている気がします。
少なくともそれこそ日本列島改造論みたいな何かをしないとこの流れは収まらないと思います。昔は、各省庁を何処かの都市に置くとの議論もありました。今でも危機管理のためにそうすべきではないかと思います。
東京へ投じられたインフラは、相当なものです。道路網・ビルディング、特に鉄軌道にさえ乗れば、ほとんど何処にでも行けるような仕組みが出来上がっています。
さて、少し疑問がわきます。特殊出生率が上がってきても人口減少が緩やかになるのは、30年後先との説明です。戦後のベビーブームは30年サイクルで回っていましたが、ついに3サイクル目のブームは来なかった第2次ベビーブームが昭和46年~昭和49年にかけて、よって平成13年~平成16年にかけてと言うことになります。
政府は、10年も前のことで今慌てている。2008年から既に人口減少が始まっています。この人口減少さえ推計で分かっていたはずです。地方創生をやるのなら、第3次ベビーブームが来ないな?と思った平成17年には、地方創生戦略が出来ていたのではないかと思います。したがって、国は10年の政策的なロスをしているのではないかとも感じます。
話は、変わって、浜松市鈴木市長から貴重なご意見を聞くことができました。また、パネラーの熊本市 市長政策総室長 古庄氏、岡山県真庭市 総合政策部長吉永氏、公益財団法人日本生産性本部 公共政策部長澤田氏、大和リース㈱ 代表取締役社長 森田氏の第一線で活躍しているそれぞれの方からも貴重なご意見や体験を聞くことができました。
浜松市は、合併し人口80万人都市となっているが、他の政令都市とは異なり、合併前の町の高齢化率・過疎化が進展してきている市であること。DIDと言われている人口集中地区の面積割合もわずか5.6%で指定都市平均の41%に届かないような市であること。
鈴木市長は、「臨時財政対策債は、なるべく使わないようにしている」「財源手当てされるからと言ってこれを使うのは公債費を増やしているのと同じ」まさに、私がずーと思っていたことをさらりと言う方でもありました。
しかし、なかなか、臨時財政対策債を使わずに凌げる市は少ないと思いますが、浜松市では、職員数削減をはじめとする行革、外郭団体の改革、税収の確保対策、市債残高の削減などで財政改善していました。
さらに公共資産のFM(ファシリティーマネジメント)による公共施設の活用なども当たり前のように取り組んでいます。
公民連携で言えば、産業イノベーション構想、ものづくり特区、海外ビジネス支援、ベンチャー企業への支援や協議会の設立など矢継ぎ早に地方が元気になる取り組みを講じてきています。
シティプロモーションでは、公と民の連携で知恵とアイディアで地方を蘇らせたい。と締めくくりました。
熊本市の取り組み、真庭市の取り組みも地方の持っている潜在的な資源を活用しているのが特徴です。また、真庭市の吉永部長の話では、地域資源はものだけではなく、人も資源。との話は、ごもっとも地域に埋もれている人材資源も大切な要素です。
まずは、地域の人がやる気が出て来るかがポイントのように感じます。
三田市も阪神間近郊にありながら阪神間の観光客を上手く呼び込めていないと感じています。
三田市のシティーセールスの戦略では、アクションプランを描いてはいますが、三田を好きになってくれる「ときめいてくれる」プランなのかどうかを再検証する必要があると思います。
熊本市、真庭市も即刻今のように地域資源を活用できるようになったわけではありません。自分のまちの強みと弱みを知り、まちを愛する人、事業者の方々と真剣になって膝を交えて戦略を練ったことが、今生きてきています。
また、身の丈にあった戦略を!とのご助言もいただきました。
三田市もまた、これからの人口減少、少子高齢化社会への突入、今元気だからこそやっておかなければならないことがあるのだと思います。