どうもこの世に期待しすぎるのは考え物のようだ。
それこそ「地に働けば角が立つ、情に掉させば流される」である。
世の中とはそんなものである。
それを、あたかもこの世は理想主義の天国であるべきだ、あるいは理想主義を実現しなければならない、と考えている向きがあるようだ。
しかし、そんなところは無い。
あったとしたら、そんなに住みにくいところは無いだろう。
でも、本気で考えているのかどうか知らないが、その理屈を力で圧してくるから、ありとあらゆるところで軋轢が生じる。
それは家庭や学校などの身近なところから、国会などの政治、国家間の国際関係など多岐にわたっている(会社はさすがに金を儲けるためには汚いこともしなければならないという現実主義が染みわたっているから、そんなことは少ない)。
そこで連中は美辞麗句のお題目を並べ立て、理想主義を振り回す。
そんなことには付き合わなくてよい。
「とかくこの世は生きにくい」ということで詩が生まれ芸術が生まれるということで納得しておけばよいのである。
猫柳雪消の藁家田の端に 素閑
猫柳孫の自慢の同級生 素閑
猫柳早きあしたの礼拝や 素閑
木はいまだはだかのままの猫柳 素閑
猫柳花屋に挿したる二三本 素閑
猫柳峻厳なるかな一ノ倉 素閑
猫柳静かな朝のガラス瓶 素閑
野の仏露地に挿したる猫柳 素閑
猫柳心折れたる青き雲 素閑
音程も狂えるワルツ猫柳 素閑
猫柳三十匹の子を連れて 素閑