武田家というと武田信玄の武田である。
信玄が戦に滅法強かったので、その印象があまりに強いが、また武田家は画才に秀でた諸将を輩出したことでも知られている。
信玄自身も『渡来天神図』など優れた作品を残している。
また信玄の弟、逍遥軒信廉などは名品として知られる『武田信虎像』をものしている。
戦国武将はただ戦が強い荒大名だけでは、国治も外政もままならなかったわけだ。
武田信虎はご存知のように信玄を疎んじたため、信玄に放逐され京に上った。
そこで足利義昭の同朋衆(お伽衆)として扶持を得る。
信虎も近国を切り従えて相当な武将だったが、唯々諾々とこのような晩年を過ごしたのは興味深い。
人間の運命は分からないものである。
染まりゆく白き梅花よ朝の園 素閑
楼上のあふるる梅の迷える香 素閑
さらばへていずれかぐはし梅の花 素閑
かそけくも梅一輪に月の出や 素閑
興亡しいまは廃れぬ梅の城 素閑
狂歌詠みそれもかなわず梅の花 素閑
あきなはれ梅一枝の涙かな 素閑
梅が枝のところ寂しい賤の庭 素閑
梅盗む心ありけり小若衆 素閑
梅老ひて木曾の檜も劣りせじ 素閑
梅を見ゆ今日碧なすあけの空 素閑