運は大切にしたい。
人は必ず運と言うものを持っている。
運に恵まれた人もいるしそうでない人もいる。
しかし、そうでない人もいつかは運が巡ってくる。
その運を捕まえて放さないことだ。
しかし人の運の中で一番重要なのは人の運だ。
何か判じ物のような表現だが、起業しようとする人、組織の中で生きる人、志を立てて何かをなそうという人・・・これらはほとんどすべての人に当てはまるのだが、そうした人に最も重要なのは優れた人、誠心の人、真実の人に巡り合える運だ。
会社に入社して優れた上司に巡り合えるということは強運だ。
それはどんな有名な人も羨む会社に入社できたかと言うことよりも重要だ。
人の運に恵まれない人は、商売には向いていない。
しかし自分が誠意を尽くしていれば人の運は巡ってくる。
逆に不誠実な態度・行為を取り続ければ人の運は離れる。
人は石垣人は城である。
春の雨窯の影さへけぶりたり 素閑
神の座の奥の社に春の雨 素閑
まだならず奥閉ざしたる春の雨 素閑
起きて春時計のごとき雨だれや 素閑
居酒屋や思いはずれの春の雨 素閑
灯火の揺れも少なき春の雨 素閑
置き手ぬぐい春の雨にてござさうらう 素閑
唐様の岩の山水春の雨 素閑
両親と別れた仔猫春の雨 素閑
路銀なき旅も気ままや春の雨 素閑
鹿見ると訪れたれど春の雨 素閑
平均賃金を上げるためには雇用の流動化が必要との説がある。
これには賛成だ。
冗費、冗員が会社の業績を落とす。
従って給料も上がらない。
結局、悪循環で労働者の利益にもつながらない。
会社という所は利潤を追求する「組織」ではあるが、同時に従業員同士の「共同体」でもある。
仕事をしない社員でも、共同体にあっては「仲間」の一人である。
どうしても切り難い。
しかし、これでは会社はちと困る。
会社は稼がなくてはならないし、利潤を追求する戦闘集団でなければならない。
会社でのんべんだらりと暇を潰す、あるいは休んでばかりいる社員が増えては会社も立ちいかない。
こういう社員には意識改革してもらうか、会社を去ってもらうしかない。
それによって会社は稼ぎ、従業員の給与・賞与の原資も出来る。
賃金も上がる。
至って簡単な理屈である。
追われた元社員は再挑戦できる社会的制度を作ればよい。
なぜ日本の産業風土の生産性が低いか、もう一度、考えてみる必要がある。
墨すれど何も書かぬ日雨水かな 素閑
大敗けてその日暮らしの雨水かな 素閑
塩飯を食ひて一日雨水かな 素閑
塩焼けり浜に雨水の貝拾ふ 素閑
欧州にいずるあしたや雨水かな 素閑
ほのぐらし寺の奥間の雨水かな 素閑
苦界より浄土の雨水てらまほし 素閑
荒れたる夜あけて明るき雨水かな 素閑
川底も楽し雨水の賑わひや 素閑
土まみれ雨水の豚を追える日や 素閑
道しるべ雨水の野良の道祖神 素閑