顔は人を表すというが本当にその通りだと思う。
もちろん「顔」とは目鼻立ちのことではない。
人間のこれまでの生き様や人格、考え方などが言い表しようのない表情や面相に如実に表れていることを言う。
その点、自分は実に貧相な底の浅い顔をしている。
何も考えないで時に流され生きてきたからだと思う。
目鼻立ちが整わない道具立てでも、実に立派な顔をしている人もいる。
こういう人は経歴も人格も立派なのだろうな、と思ってしまう。
これは男女を問わない。
リンカーンの「男は40になったら自分の顔に責任を持て」と言う言葉は「男も女も」と訂正すべきだろう。
ぬなわ生ふ和歌の師あらば雨に訪ふ 素閑
岸の路ぬなわ生ひたり仄暗し 素閑
行くならじぬなわ生ひたる池の端 素閑
蓴生ふ高徳の僧みまかりて 素閑
蓴生ふ水泡岸辺にあがりたり 素閑
蓴生ふ林の奥の古が池 素閑
水漬けし手を引っ込めてぬなわ生ふ 素閑
蓴生ふ近江の里の月寒し 素閑
蓴生ふ相手のおらぬ蕎麦屋酒 素閑
小沢より水を得る池蓴生ふ 素閑
神龍の棲み老ゆ池や蓴生ふ 素閑