うちの集落の隣に豊栄という集落がある。終戦後樺太、満洲からの引き揚げ民に提供されて開拓した集落だ。
樺太に豊栄という地区があった。
きっとそこからとった名前だろうと思っていたが、どうや違うようだ。
豊栄という地名は、昭和二十三年、開拓祭のさい募集したものだが、樺太の豊原と満州の弥栄の地名を合せて"豊栄"とし、いまではこの俗称の方が通り名となって、地区名になったそうだ。
ここの人たちは樺太や満州に新天地を求めて西目村から移住、終戦によって再び帰ってきた人たちである。
二十一年には樺太から漁業従事の八世帯を皮切りに、二十二、三年には満州から農業移民五世帯、それに内地の疎開組と合せて二十四世帯が、敗戦の故郷に肩を寄せ合い苦労しながら田畑の開拓を進めて営農集団が作られたのだ。
今では、離農してしまった世帯が多く、以前あったグラウンドも発電所に貸してしまい面影もない。
更にアパートや刃物屋さん土地が売られて当時の開拓時の様子からは様変わりしている。
今は、菜の花やひまわり、コスモスで3期観光客を賑わせているこの地も砂丘を客土して開拓して田んぼだったことを知っている人は少なくなっている。