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内越氏を調査をしていると、矢島に入部する1623年以前には、楠木正成と関りがあることが分かってきた。
1334年(建武元年)、後醍醐天皇は、楠木正成に対して、出羽国の内陸を縦断する羽州街道(国道13号線)の入り口にあたる出羽国屋代松(山形県東置賜郡高畠町)の地頭職を下賜(かし)しています。
また、陸奥国を縦断する奥州街道(国道4号線)の入り口にあたる多賀城には北畠顕家が地頭です。
出羽国の沿岸を縦断する羽州浜街道(国道7号線)の入り口にあたる大井田城(日本海側)に新田義貞をが地頭です。
楠木正家は、守備する常陸国久慈郡の瓜連城(うりづらじょう)を前線基地として東国の守備を固めていました。
その後、楠木正家は瓜連城が落城すると鎮守府将軍・北畠顕家を頼って陸奥国へ落ち延びました。
その後、出羽国へ移って南朝勢力を支援しながら再起を図ります。
由利地方(国道7号線沿い)や横手地方(国道4号線沿い)に楠木氏の末裔の分布があるのはこのような歴史的な経緯があります。
1347年(正平2年)、北畠顕家の弟・北畠顕信は霊山城が落城すると出羽国へのがれました。
また、1351年(正平8年)、再び現福島県須賀川の宇津峰城等が落城すると出羽国由利郡へ潜伏して再起を図っていました。
北畠顕信が出羽国由利郡へ潜伏していた時期に、鳥海山大物忌神社に納めた南朝復興と出羽国静謐(せいひつとは、 世の中が穏やかに治まっていること)を祈願する寄進状が残されています。
1350年頃に楠木正家の子・楠木正安が「打越将監」と名乗ります。
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楠木正家が打越城(白坂館)を構えた出羽国仙北郡打越郷の地名である「打越」と楠木正安の官位である「将監」から打越将監となったのです。
ちなみに「うつこし」とふりがなが標柱には書かれています。
また、小笠原大和守の三男・義知が楠木正家の娘の婿養子に入り、出羽国由利郡内越村に築いた内越城(平岡館)に移って「内越」と名字を改めました。
これが打越氏(内越氏)の発祥と思われます。
よって、打越氏(内越氏)の事実上の発祥地は、打越城(白坂館)を構えた出羽国仙北郡打越郷(現、大沢郷寺)ということになります。
また、豊臣秀吉から下賜された御朱印状を根拠とする打越氏(内越氏)のの発祥地は、出羽国由利郡内越村となります。
このような経緯から打越氏と内越氏の2つの表記が混在することになったと言われます。
1390年~1394年(明徳年間)、楠木(内越)正宣は楠木一族の菩提を弔うために、出羽国由利郡内黒瀬村に恵林寺を建立しました。(開基)
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境内には楠木(内越)正宣の墓があります。
寺紋は菊水紋です。
今回はここまで!
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